建築家になるまで

代表の八木です。改めまして当事務所のホームページを御覧いただきお礼申し上げます。

これから建築の依頼を検討される皆様に、自己紹介を兼ね御挨拶をさせていただきます。

 

皆様の人生は、誰一人として同じものはありません。それぞれに生き方や夢があり、それに応じた建築をお望みのことと思います。設計とは決めることであり、建築をつくることは人生や仕事の形を決めることでもあります。その過程では時に応じ、様々な決断を迫られることがあります。簡単に済むこともあれば、悩むことも多々あります。

 

依頼主と建築家の相性というものがあるのなら、それは物事を決める過程において、お互いが人生の中で体得してきた考え方や感じ方が影響してくるからなのでしょう。性能や数値の話とは別に、建築には人生が投影されると言われる所以なのかもしれません。

 

とは言え、私が建築家になるまでの人生は決して真っ直ぐだったわけではありません。

その時々で悩みながら進むべき道を選択し、周りに支えられながら歩んで参りました。

 

私が建築に興味を持ったのは、高2の冬に神戸を訪れたことがきっかけでした。自然と都市が一体となり、人々の街並みへの意識が高く歴史的建造物も多い。得意教科が数学と世界史と美術という、進路選択に悩める高校生の目には、建築や都市を通して人々が生きる環境を創る仕事は魅力的に映りました。しかし翌年のセンター試験直後に阪神淡路大震災が起きました。西は諦め東に進路を変更し、横浜国立大学に進学しました。同じように港街の開かれた環境と空気に惹かれました。

 

横国の建築教育は建築家を養成する意識が強く、作品のクリエイションはもちろん、社会の課題を建築でどう解決していくかを強く問われました。人への伝え方も深く考えさせられました。

3年生の時にはアメリカで建築を学ぶ機会を得て、バージニア工科大学のプログラムに参加しました。ワシントンを中心に、イェールやハーバード、MITなども廻り建築や都市デザインに触れました。研究室では横浜の歴史的建造物を活かしたまちづくりに惹かれ、都市再生の意識で作品制作に向き合いました。卒業後は大学院で都市の産業や経済を学ぼうとも考えましたが、縁あってイタリア発祥のモダンインテリア企業に就職しました。豊かな生活文化の考え方に共感しました。

 

一方で、大学入学と同時に演劇に取り組み始めました。きっかけは学内で新歓公演を観たことでしたが、一番の理由はそこで出会った人でした。言葉の感性がいい。想像力の展開が面白い。舞台を構築し、音響や照明のセンス、自由な批評がありました。

いろいろな背景の人達と一つの作品を創り上げるバランス感覚や、目の前の空間で直接人の心と意識を揺さぶる行為や仕掛けが面白く、大学卒業後も自分達で劇団を立上げプロデュースし、東京や横浜で演劇を続けました。翌年には会社も辞めて演劇に専念するようになりました。出演、脚本、演出とやりましたが、同一空間におけるヒリヒリするような緊張感の中で養ったクリエイティブな感覚が、私の創造の核になりました。濃密な日々でした。

 

しかし次第に、舞台や映像の世界の中で表現するだけでなく、現実の社会の中で直接世の中を変えていきたいと思うようになりました。演劇が社会に対する批評、世の中を映す鏡に留まることに飽き足らなくなっていました。それに気づいてしまった時には大きな挫折を感じました。続けてきたことに対する葛藤もありましたが、最終的には目に見える空間に直接関わること、実社会の仕組みづくりに直接貢献できる職業であることに惹かれ、建築家になることを志しました。そして覚悟を決め全てを整理するために東京から静岡に戻り、建築設計事務所に就職して再出発をすることにしました。26歳の時でした。

 

当初は不安や焦りもありました。しかし改めて建築に取り組んでみれば、社会の中で人が生きる環境をつくるということは、空間と時間、身体と言葉、文学と美術、音と光が複雑に絡み合う演劇という総合芸術の経験が大いに活きるものでした。脚本を書くことと設計をすることが似ていると知れたことも自信になりました。

なにより、空間で起きる中身をつくっていた経験から、コトを問いながらモノを創るようになっていました。

 

私は回り道をしたからこそ、建築家として自分なりの強みを手に入れたのかもしれません。

それからは建築だけに向き合いました。

 

アトリエのボスにマンツーマンで鍛えられた日々。組織の仲間と協力してコンペやプロポーザルに挑む日々。こつこつと現場に通う日々。技術や知識の習得にも積極的に取り組むことで分かることが増え、益々仕事が好きになりました。社会の中でものを創ることの緊張感、責任感も強く身につきました。仕事帰りに自分が設計した建築の近くを通り、明かりが点いていたり人の声が聞こえたりすると幸せな気持ちになりました。

 

一級建築士試験には29歳の時に合格しました。一次の学科は最初の年に、二次の製図は翌年二回目で合格しました。耐震偽装事件の次の年で、合格率が7%の時でした。実は最初の年に製図で落ちた時は悔しくて泣いてしまいました。早く同期の連中に追いつきたい。がむしゃらに頑張ってきた心の底にはそんな気持ちがありました。

しかしこの浪人生活は自分にとって大きなものを与えてくれました。じっくりと実力を養うこと、より良い建築を目指し細心の注意を払うこと、そして何より謙虚になること。単に一級建築士という資格を得るのでははなく、この姿勢を身につけたことが後の実務や人生にも活きました。その年に結婚し、翌年には子どもも生まれ、なんとかここまで来たとホッとしたのを覚えています。

 

そして34歳の時に八木紀彰建築事務所を設立しました。東日本大震災の年でした。図らずも自分の人生の転機に重なるように起きる災害に対し、安全への意識を強く心に刻んでのスタートでした。

 

私は今、仕事以外にも学校やワークショップで教えたり、様々な人と触れ合う機会がありますが、生徒から時々、建築家として歩んで来る中で自分の人生に影響を与えたことは何ですかと聞かれることがあります。

 

あえて答えるのならば、それは外から受けた刺激というよりも、回り道をしながらでも何者かになろうと自分に向き合い続けたことだと思います。

 

その中で自分なりに体得した物事の考え方や感じ方が基礎となり、今でも私の人生を根底の所で支え続けてくれているのだと思います。

 

これからも自分の建築を通して日々成長し、私の依頼主の為に尽くしていきたいと思います。

 

写真(右側)は最初の仕事となった藤枝小学校屋内運動場の現場監理の時のもの。暑い夏でした。