島根紀行その5

いや~、昨夜の地酒は旨かった。懐石料理も久しぶり。人間、一人の静かな時間も必要ですね。

 

今日は島根最終日。一畑電車に乗って、出雲大社にやって来ました。しかもご縁電車しまねっこ号です。

まあそれはどうでもいいんですが、来てみてびっくり、出雲大社すごい人です。

 

60年に一度の平成の大遷宮ですから、これを見逃せば生きてる内は次はないってことなんでしょうか。

 

ちなみに伊勢神宮は20年毎行う式年遷宮ですが、出雲大社は損傷が進んだら行う随破遷宮のため、だいたい60年に一度という流動的なもののようです。

 

ドン!

軒先も反りくりシュッ!

妻入りで、グングン!

完成された様式美。いやもはや美とかそんなことではなく、「日本の形式はこういうこと」と言い切られているがごとく。

 

古さや伝統というよりも、もはや時空を超えたロマンを感じる素形というのでしょうか・・・。

 

最近建築を設計する時に、革新的で普遍的とはどういうことだろうかとよく考えます。

それには、仕組みであったり、環境の捉え方であったり、または生き方であったりを、ドライにボンヤリ半分頭を空っぽに考えてみることが必要なんだけど、やっぱりそこでしか機能しない固有性というものが必要な気がする。

 

出雲大社は固有性という意味ではそれはもう当然なんだけど、きっとこの仕組み、神々を集めるということも含めて、千年二千年と民族が存在し続ける限り継承されていくんだろう。

 

なんてことを考えながら、出雲大社の参道を戻る。

途中、頭が良くなるよう牛の頭もさわさわ。

 

そして東隣りの、島根県立出雲歴史博物館へ。

 

設計は槇文彦。現在、新国立競技場が大きすぎると議論を投げかけている、モダニズム建築の大家です。

 

社の丘を道に沿ってゆっくり廻るように下りてアプローチするこの施設。

 

やはり出雲の鉄をモチーフに、コールテン鋼の壁面が迎えてくれました。

建物は、鉄で覆われた展示空間とガラスで覆われたホール空間で構成されています。

 

何もない平原のようなランドスケープ。

神社の軸線を意識した、真っ直ぐなアプローチが参道のように伸び、ガラスホールが正対して人々を迎えます。

 

展示は縄文から現在に至る暮らしの歴史、石見銀山、半島の形成史から出雲大社の調査考察模型まで。

 

特に興味を持ったのは島根半島のでき方。

 

2万年前の氷河期には隠岐の島まで地続きだった山陰地方が、7000年前には100m以上の海水上昇で半島(宍道湖北側)は切り離され島になり、その後、中国山地の三瓶火山の大噴火で河川流域に堆積物がデルタを形成。広大な出雲平野ができてやがて島とつながり、晴れて島根半島となるというもの。

 

ホテルで目覚めた時に、何でこんな地形なんだろうと思っていたけど、そんな理由があったとは・・・。

 

ガラスホールの状況については、残念ながらひどいの一言。ベタベタとポスターや案内をガラスに貼り、はては外から中が見えないようポリカのボードで覆う始末(値札も付いたまま(泣))

 

ただこういう場合、おうおうにして建物についていけてない運用側が悪いと言う人もいるけれど、今回は人間の活動を許容できていない設計が悪い。いくらカフェやショップといったって、さすがにバックスペース皆無じゃ可哀想過ぎる・・・。

 

だめな現代建築を見た気分になったので、気を取り直して最後のお目当てに行くことにした。

 

参道にいたる出雲のまち。

平たく、広く、出雲平野は広がっていく。