岡山の旅4

ふう。曇ったり晴れたり、風はちょっと冷たいです。岡山大学鹿田キャンパスの次は津島キャンパスに移動してまいりました。こちらに他の学部が集まっていますが、広!!なんか真っ平らです。

目指して来たのはJテラスカフェ(Junko Fukutake Teracce)です。Junko Fukutake Hallの翌年完成しました。設計は同じくSANNA(妹島和世+西澤立衛)。フラットな鉄板の薄い屋根を細い木立のような柱が林立して支えています。

ホールよりこっちの方が全然いいですね。伸び伸びして。やってることがスケールに合っています。

柱間1500~1800程度ですがあまり気になりません。人がゆっくり移動する、集まるには丁度いいのかもしれません。高さを押さえたところも素朴で好感が持てます。

柱の径は50~60ミリ程。存在感を消しながら緩やかに空間を規定しています。

コーヒーで温まりました。目線が自然に芝生の方に落ちます。最近自分の来し方を考えることもあったけど、士業として自分の道を進んでいけばいいと思いました。外が眩しいです。

岡山はバスも電車も駅が交通の起点なのか、この数時間で何度も駅に行きました。そしてこれから次の目的地のためにまたバスで駅へ。JR桃太郎線に乗ります。

電車に乗ること20分。

やってきたのは備中高松駅です。

さあ、これで分かる人はいるでしょうか。

 

正解は秀吉の水攻めで有名な備中高松城でした。毛利との戦における最大の攻防戦。清水宗治の兵5千が籠る高松城を挟んだ狭い地域に、秀吉軍3万、毛利軍4万が対峙します。

と、いうことらしいけど、実はいくら本を読んでもドラマを見ても、土木的空間スケールがまったく分かりませんでした。いい機会なので実際に来てみました。

 

駅前の集落を抜けていくと、田んぼの中に高松城跡の公園がありました。いや~広い。広いです。堤をつくり写真左上の辺りから足守川の水を引き入れて全部を湖にしちゃうんですから。

水攻めにあった面積は、静岡市で言えば葵区の1号バイパスより北の麻機地域一帯ぐらい水没してます。

本丸の高さは秀吉が造った堤より1.5メートル低いくらい。もう完全に水に囲まれていたレベル。

公園の一部は沼になっていますが、周囲の田んぼもこの時期なのに水が溜まっていました。

やはり元々水捌けの悪い土地なんでしょうね。

立っている所が高松城。建物のある辺りまで水面で、正面の日差山に毛利の将小早川隆景の陣。

司馬遼太郎の播磨灘物語を読んでいた頃、この光景が全くわからなかった。もし毛利の軍が救出に向かってきたら堤を切って一気に濁流で押し流してしまえばいい。秀吉有利と見える陣で、秀吉は一体どんな気持ちだったのだろうとずっと考えていたけど、ここに来てわかった気がします。

 

秀吉は怖かったんだと思う。あんな近くの山の上に4万の敵がいて。この備中の野で本気で戦いになれば勝敗などわかったものではないし、そもそも秀吉は野戦は得意ではない。だからこそ講和後は毛利をあれほど厚遇したのかと勝手ながらに合点が行った気がする。それもこの土地の空間スケールを確認して初めて分かったことでした。

 

なにもない所に来たと言えば来たのだけれど、それが為に想像力の糧になりました。来てよかった。

ちなみに本丸あとでは子供達が追いかけっこをしていました。それもまたよし。