手摺とバリアフリー

この半年、実家の中に手摺をつけることが増えました。父が病気になってから足が不自由になり、自分の足の力だけで立ち上がったり歩いたりすることが難しくなりました。リハビリをしていますが直ぐに回復するわけではなく、かといって日常生活は送らなければいけないということで、足の踏ん張りがきかない父の生活動線や所作に合わせて、あちらこちらに私が手摺を付けています。

 

先日は浴室に付けました。父が転倒したり浴槽から立ちあがれなくなってしまったと、困った母からの依頼でした。こんな時母は、「いいよ、ついでの時で」などと言うのですが、よく心配を口にしますし、事実その晩から困るわけですから、早いほうがいいだろうと早速検討しました。浴槽や浴室壁面を下手にいじると防水等の問題がでてきてしまうので、浴室のヘリに挟んでつける介護用の手摺がいい。そう思ってホームセンターなどを回ってみましたが、介護保険の対象商品ということで取扱いしている店舗も限定されており、なかなか見当たりません。店員さんに聞いたら、年に何個も売れるものでもないので置いていないとのこと。なのでネットで探して注文しました。そうしたら出品業者の方が、お困りでしょうから急ぎで送りますとメッセージを添えて翌日には届けてくれました。そういう通販のやりとりは初めてで驚きました。

 

翌日実家に行って仮付けし、父に脱衣室から空の浴槽に入ってもらい、その動きをじっと観察。今度は起き上がって出てもらい、どの位置、どの高さに取り付けるのがベストか調整しました。父にとっても初めての動きですから(こう動けるはずと脳で想像するのと、実際に体を動かすのは大違いの状態なので…)時間はかかります。それでも焦らすことなく、どの位置なら力が入るか、ワンクッション所作を入れたらやりやすくなるかなど検証をしました。さらに浴室から脱衣室に戻ってもらい、その間にどこを持ちたいのか、重心をどこに移動させたいのかを確認して、脱衣室の壁につけていた手摺の高さを直しました。さらに脱衣室の出入に必要な手摺を付けました。結局この日は、浴槽手摺を1ヶ所、壁手摺を2ヶ所取り付け、既存手摺の調整を2ヶ所行いました。

 

父の手摺を自分で付けるようになって思ったことは、バリアフリーというのは健常者が取り付ける感覚と身障者が欲しい感覚に開きがあるということです。例えば健常者の母が「お父さんはそこは触らないからいらない」なんて言いますが、触りたくても手摺が無いから触れないだけで、明らかに何かを探して体が堪えている。そんな時「本人の感覚だけを聞きたいから他人は黙ってて」と私は言うのですが、やはり父にしても言いたくても言い出せないものもあるようでした。なので「これは見た感じで必要そうだから自分が勝手につけるから、その上で要らなかったら外そうね」と言って付けて帰ると、後日しっかり使っているということもありました。

 

思うに健康な人が考える手摺とは、便利だけど生活の邪魔をせず、美しく、シンプルな物ですが、体の不自由な人の身になれば、それは雲梯で体重移動を確かめながら必死にバーを握り変えていくが如く、自分の所作の中で怪我との恐怖と隣合わせになりながら使う、切実なものに他ならないということです。

 

父にしても、足が動かないということは手の可動範囲を計算しながら次の動線を作り上げていく他なく、ここ持って、椅子の背を持って、こっちのツマミを持って、この手摺を掴んで廊下に出る。タンスの肩のツマミを持って、廊下の水平手摺を持ちながらトイレの前の手摺を持って、ドアを開く。と、中々大変だったりします(※ツマミは家具天板につけました)。

実際このルートが確立するまでは、よく転倒もしました。本人も周りも困っていましたが、強がりをやめて、周りもタカをくくることをやめて向き合い、何とか改善してきました。悩むより付けちゃう。それから考える。で、いいと思っています。

 

きっと同じような状況の人達もいっぱいいるんだろうなと、父の背を見つめながら思いました。直視はしたくないけど受け入れなければいけない。そんな気持ちを積み重ねることが増えました。これからもいろいろあると思いますが、介護は周りの家族(母)の負担を減らすことも大切と思い、向き合っていくと思います。