設計事務所で働くこと

新聞に、設計事務所ではたらき始めた新人がその労働環境について裁判を起こした記事が出ていた。新卒で設計事務所に就職したにもかかわらず、先輩や上司のサポートが十分でなかったのか多くの残業をするはめになったと言うことで、理不尽であるという訴えであった。

 

記事を読んでの素直な感想としては、「そりゃ当たり前だ」ということだ。

 

誤解しないでいただきたい。

残業をすることが正しいのではなくて、建築設計とはそれだけ難しい業務であるということだ。

 

若い人たちの中には、やれデザイン性だとか、楽しさだとか学生コンペの延長でクリエイティブな想像が先走ることも多々あると思うが、正直に言えばそこに責任はない。しかし設計事務所で仕事としてやる以上、一本の線を引くことはその線の建築を作り出すために多くの人々を動かすことになるし、明確な合理的理由も求められる。法規や施工上の調整なども含め、建築を世に生み出すということは戦いなのだ。そしてその戦いは他人が戦ってくれるものではない。自分で戦うのだ。

 

自分も最初は大変だった。夜も遅かった。建築用語から何からわからないことだらけですべてを調べまくった。あっという間に夕方になった。よく聞いたし開き直って恥もかいた。でも仕事に後悔をしたくないからできることは全てやりつくしながら日々を過ごした。勉強をしながら勘所を押さえていった。自分で膨大なメモをとった。その結果次の年からは早く帰るようになっていった。それも大事だと思った。

 

だから建築をつくるということはなんなのか、年月を経た今でも忘れることはない。必死さが自分を作ってくれた。どうせやるなら専門的なことを分かったほうが楽しいと思い向き合っただけだ。

 

専門職とはなんなのだろうか。

その厳しさを今一度考えてもらいたい。

 

一級建築士事務所としての業務ならなおさらだ。クライアントは自分の大切な財産をかけてくる。それに誠実かつ高水準のレベルで応えることは社会的責任であると思う。

 

訴えを起こした人の労働環境、周囲の人の状況等も決して余裕があったわけではなく無茶振りもあったのだろう。その事務所としても簡単に任せきったことを反省しなくてはいけないし、押し付けともとれる構図になっていたのだろう。

 

しかし世の高度専門職という職域の人々の仕事とは、一般の大学同期のサラリーマンと比べられるものばかりではないことも事実だろう。それはその職能を目指す人間が理解していなければいけないことでもある。期待され任されることは、手柄を立てるチャンスでもあるからだ。労働環境の整備と共に、そのあたりの覚悟も伝えていくことが大切なんだろうなと、記事を読み感じた。

 

ちなみに自分は、仕事中は猛然と集中してやり、時間が来ればさっさと切り上げる。

それを自分のスタイルとしている。