弘前にて1

10/17、18と日本建築家協会の全国大会で弘前に行ってきました。津軽平野は初めてです。

新幹線の道中では、太宰治の「津軽」を再読しながらやって来ました。「弘前は津軽人の魂の拠りどころである」太宰の故郷への等身大の愛と思いが軽妙に語られるこの本を手元にしのばせることで何を感じるかは分かりませんが、とりあえず自分なりの弘前準備。

さて初日は全国地域会長会議。昼すぎに着いて急いでまちを歩き(写真は文化活動の場/百石町展示館:1883年築)、6時過ぎまで会議をしたら、外は暗くなっていました。

ウェルカムパーティー会場の弘前市民会館まで弘前公園の中を歩いて行きましたが、途中弘前城がライトアップされていてきれいでした。旧城郭内は思いの外広く、緑も多く、門や水濠がしっかりと保存されている印象。まちなかにも歴史的建造物が多く残されており、感心していたのですが、あとで知ったところ弘前って第二次世界大戦で空襲がなかったんですね。陸軍の第8師団がある軍都としても有名だったので、そんなはずはないと思いこんでいたのですが意外でした。

闇夜に浮かぶ弘前城本丸は写真で見ると忽然と現れているようですが、本当は今いる場所は仮の場所。石垣がはらんできて修理工事をする為に、曳家をされています。周りに付属建物がないので不思議な感じもしますね。明日はこの向こうに岩木山が見えることを期待します。

会場の弘前市民会館は建築家・前川國男の設計です。夜ですが、なかなか味があります。

前川さんは東京帝国大学を卒業した後、フランスに渡り、ル・コルビュジェのアトリエで修行をして帰国した、日本のモダニズム建築の巨匠です。

東京丸の内の東京海上ビル本館、上野の国立西洋美術館の向かいの東京文化会館といえばご存知の人もいるはず。

私の故郷の藤枝市立図書館も前川さんの設計で、よく通いました。

実はこの弘前ですが、前川建築が現在8つ残っており、前川建築詣でのまちとして建築界では有名です。

駐仏外交官だった前川さんの伯父さんの縁もありフランスに渡ることができ、更に弘前が父型の祖母の出身地で親戚も多く残っており、時の市長にも気にいられたため数々の公共建築を手掛けることができたとか。建築家にとって、縁を大事にすることがいかに大切か、しみじみ思いました。

 

館内は全国から集った建築家たちで大賑わい。一般の人は分かりませんが、私達はマニアックなので、前川建築の締まったコンクリートの梁を眺めながらお酒を飲むだけでご満悦(笑)。会話の内容は寒冷地での凍害対策の設計について。りんごの産地ということで、シードルも出てましたが、私は豊盃という地酒をいただきました。とても美味しかったです。

この弘前大会では、青森だけでなく福島や宮城など東北地方の同世代の建築家たちも頑張ってくれており、とてもよい夜を過ごすことができました。再会でき嬉しかったです。ありがとうございました。