MAKINOHARADAICHI

本日は息子のバスケの試合の送迎で相良に行ったので、空き時間を牧之原台地で過ごしました。最近はコロナの関係で保護者の試合観戦も自粛なので、トーナメントの勝敗如何で終わりの時間が読めず大変です。勝ち続けることを考え、一旦家に帰ってしまうと、2時間/往復✕2往復=4時間。しかしあのチームは弱いので多分初戦で負けるはず(私は悪い親でしょうか)・・・。よし!天気もいいので少し歩こうと、牧之原台地の東北端、島田市金谷の諏訪原城跡にやってきました。

 

ここは武田勝頼が遠江侵攻の拠点にするため、家臣の馬場美濃守に築かせた山城です。立地は、大井川を西に渡可し、牧之原台地に上がる坂を登りきったところと言えばよいでしょうか。城の南の城域内を東海道が通過する、まさに東西交通の要衝の地に位置していました。掛川城(掛川市)、高天神城(掛川市(旧大東町))の攻略作戦を念頭にしつつ街道を押さえる、絶妙な敷地選定です。常々思うのですが、強い大名って、本当にここぞって場所に城を築いています。

 

さて城の特徴ですが、武田流築城術の特徴である、虎口の前に設けられた三日月堀と曲輪がセットになった、大きな丸馬出が残っていることで城郭ファンにはちょっと有名です。ちなみにこの考え方は、後に武田家家臣だった真田家が大阪夏の陣の時に大阪城の南に築いた真田丸にもつながっているようです。想像より広く、不思議な距離感。何と言っても騎馬軍団ですからね。実際に柵や塀が築かれていたらどうだったでしょうか。堀の向こうに矢を射掛けてる時に、丸馬出のサイドから一気に騎馬が突進してきたら、とても逃げられないでしょうね。う~ん、ひどい。

ところでたまに言われるのですが、私は別に城マニアではありません(笑)。今日も若い城ガール達が朝9時に歩いていて驚きましたが、私の場合はといえば、空間体験が主な目的です。

現代建築で求められる用途とは全くかけ離れた、使いにくさ(攻めにくさ)を成立させるための距離感や動線の作り、圧倒的な圧迫感など、利便性が追求される現代では、こんなところでも来ないと体験できませんからね。

自分が便利さに偏りすぎないよう、反面教師?としての経験です、経験。

本曲輪から東を望むと、金谷の市街地の向こうに大井川が流れ、橋がかかっています。その先は志太平野が広がり、あの時代なら藤枝に田中城が築かれていました。

後にこの城を攻め落とした徳川家康は、ここから東の駿河に攻め込み、高天神城への兵站基地となっていた田中城や小山城(吉田町)を牽制し、ついに高天神城を落城させ取り戻し、武田家の滅亡につながっていきました。

「静岡ってのんびりしていいね」なんて、とても言えない激しい時代でした。

さてその後は、ふじのくに茶の都ミュージアムに寄って一服。明治末期から清水港がお茶の輸出を本格的に取り扱い、横浜港や神戸港を抜いて日本一になった歴史、外国商館が静岡市安西に立ち並んでいたことなど、以前静岡市内の洋館建築の視察で得た知識を補強できて良かったです。勉強になりました。牧之原のお茶畑って、この時期本当に風が気持ちいいので、みなさんも良かったら通ってみてくださいね。