遠州・横須賀

仕事で遠州横須賀を通ったので、清水邸庭園に立ち寄りました。

横須賀は小笠山の南に位置し、山と海に挟まれた東西に広がる地域。その昔、徳川家康が武田勝頼の高天神城攻略のために横須賀城を築いた、浜側の要衝です。東名高速やJRの線路とは離れていますが、現在でも歴史的町並みの保存活用が盛んなエリアでもあります。

私も今回初めて来たのですが、ちょうど高校生達の下校時間とも重なり、地域の日常生活の雰囲気も知ることができました。

この庭園を築いた清水家は、江戸時代に廻船問屋を営み、横須賀藩の御用達を務めて栄えた旧家でした。庭園には中央に湧水を取り入れた池が配置され、その廻りを散策できる回遊式の構成になっています。季節ごとの樹木を愛でながら、のんびりと和むことができそうです。

 

ん?廻船問屋…?と今の町並みを見たら不思議な気がしますが、実は横須賀は元々、城の西側から南側にかけて入江池や内海(潟湖)で遠州灘まで囲まれた土地でした。その汽水域を運河として利用して河口付近に湊を有し、遠州南部の陸路の交差点という特性を活かすことで、海陸の物資集散地として賑わいました。この公園の東側にも、船着き場の跡がありました。

しかし残念ながら、現在は水運の姿を見ることはできません。1704年の宝永の大地震によって地殻変動が起き、汽水域が干上がり湊の機能が低下するなど、大打撃を受けてしまったからです。この時期の藩の石高は江戸前期と比べ急激に減少しており、家臣の数も減らさずを得ないなど大変な苦労があったようです。

 

その後なんとか建物は復興を成し遂げ、現在まで春には三熊野神社大祭が盛大に催されるなど、地域の伝統がしっかり受け継がれています。今度は祭りの季節に訪れてみたいと思います。