掛川城、二の丸御殿

桜の咲く頃、家族と掛川城へ行ってきました。このところ既存宅地の農転処理に向けて忙しく、やっと先日非農地証明申請を出すところまでこぎつけたので、気分転換です。

掛川という地は、訪れる度に他にはない土地だなと感じます。昔から東海道の交通の要衝でありながら、南に小笠山を抱え、温暖な気候に包まれているような感覚があります。経済や文化活動もあり、今までどれほどの人達がこの地で生活を営んできたのだろうと、土地の歴史に思いを馳せてしまいます。

最近私がずっと、既存宅地(登記上の地目は農地だけど、住宅を建てて使っていた)であったことを立証すべく、あの手この手で資料を集めていたからですね(笑)。お城ほどハッキリしたものを見ると文句なしって感じです。娘も口を開けて見ていました。

さて天守閣から東を見下ろすと、藩主が生活していた二の丸御殿が見えます。こうして見ると建物に瓦屋根がたっぷりとかかっており、「日本建築は屋根の建築」と昔から言われているのが分かりますね。

スカッと庭に開放された内部空間を目にすると、つくづく御殿というものは、柱と梁、桁で屋根を持ち上げ、間取りの可変性を有する襖で仕切り構成された、空間の開放を目指すインターナショナルスタイルに通じる建築だなと思う。

 

このタイプの日本の建築様式が、後年西欧で注目を集めた頃、西欧ではレンガ造から鉄骨ラーメン構造への大転換が起きており、壁の文化から脱却した連続空間を生み出すことで、採光や視界の確保はもとより、時間軸の変化による空間利用の変化を許容することができたとか。

 

そう考えれば二の丸御殿も、「何とかの間」と室名の記録は残っていても、当時は結構ざっくり違う用途に使ってたりして、なんて思いますね。じゃないと諸事まわらなかったでしょうね。