「木曽路はすべて山の中である」
静岡に住んでいると中山道、特に木曽路は全く使う機会がなく、風情も何も分かりません。古来より交通の要衝としてあり続けた、両側を山に挟まれた100キロにも及ぶ街道とはいかなるものか。いつか行かなければとずっと心に秘めていた、今回のツーリングの重要な目的でした。
松代から松本で一泊して翌朝出発。塩尻で諏訪、飯田、木曽方面の分岐の一番右を選択し、緊張しながら山間の木曽路に入りました。初めてこの道を発見した人って誰なんでしょうね。
走り始めてまず驚いたのが、川が北上していること。愛知の伊勢湾に注ぐ木曽川のイメージが強かったからでしょうか。標高差も分からなかったのですが、私は登っていたんですね。
奈良井宿までは奈良井川が木曽路に沿って北に流れており、そしてこの川は松本盆地をさらに北上して安曇野で梓川に合流し、犀川と名を変え川中島まで流れていく。木曽路北部から松本盆地南部の人々の生活を支える由緒ある大切な川。恥ずかしながら全く無知であったとはいえ、自分がたどってきたルートと重なっていることにご縁を感じます。
木曽路最大の難所と言われた鳥居峠。その北に位置する奈良井宿は、木曽11宿の中で最も標高が高く(940m)、交通の要の宿場町として多くの旅人で栄えました。
「奈良井千軒」と謳われたまち並みは、1978年に国の重要伝統的建造物群保存地区に指定され、往時の面影が色濃く残されています。写真は「木曽の大橋」。総ヒノキ造りの太鼓橋が、奈良井宿の水辺公園と道の駅をつなぐように、奈良井川の清流に架かっています。
職業柄、橋の構造架構に興味深々です。
文化財保護法の中に定められる「伝統的建造物保存地区制度」では、新築や増改築、修繕等の外観に影響する現状変更に関して許可が必要です。特に伝統的な建築物はその特性を維持するため変更に際しての規制があり、周囲の町並みと調和するよう様々な基準が設けられています。
とはいえ、江戸時代からずっとそのままというわけではありません。1978年の制度制定までを振り返ってみると、江戸時代には町屋が連続していましたが、明治から戦前にかけては洋風建築が建ち始めました。写真右手前は旧奈良井診療所ですが、奈良井宿では珍しい重厚な感じの洋館です。
さらに昭和40年代になると建物の高さが大きくなります。経済成長の影響でしょうか。そして昭和末から平成にかけて、高さを整えるなど歴史に配慮した整備が進みました。
重伝健に指定されて50年近く経った現在の奈良井宿は、修理修景がしっかり行われてきた結果、江戸の宿場町の雰囲気を肌で感じる町並みとなっています。
保存地区の中での暮らしは窮屈で堅苦しいと思う方も多いかもしれません。もちろん、そのような面もあるでしょう。しかしよく見ると、表通りに面した外観の形式は守りながらも、内部で現代の生活が営まれています。裏側には町並みに合わせながら生活できる設備や倉庫、もちろん駐車場もあり、日常生活を維持できる仕組みを取り入れながら保存しています。
その一方で、この日は平日でしたが、欧米やアジアからの観光客の方々がたくさんいらしていました。日本人ももちろんですが、景観整備をやり抜くことで重要な観光資源を生み出し、山間地の重要な生活の糧になっているように見えました。
この日は天気が良いため日差しも強く、宿場町の軒先が大きく前に張り出した建築様式に助けられました。気づいたらどなたも日陰の下をお行儀よく歩いていたので、天気と付き合う設えの工夫は時代を超えると実感しました。
さて、中山道の旅は時間的にそろそろここまで。
観光案内所のそばの食事処「松波」さんで信州名物ソースカツ丼をいただいて腹ごしらえをし(とても美味しくておすすめです)、バイクに乗って出発です。
鳥居峠を南に超えた後は、左に曲がって権兵衛峠で木曽山脈を越えて伊那に入り(見晴らし最高)、高遠から北上し杖突峠を超えて諏訪へ出て、中央道を走り南アルプスを右目に静岡まで帰って来ました。なかなか走りまして、なかなか体にきて、翌日は休養しました(笑)。いい旅でした。
一級建築士事務所 八木紀彰建築設計事務所/YAGI NORIAKI ARCHITECT STUDIO







