岩村町岩村本通り伝統的建造物保存地区は東西延長約1.3km、面積14.6haの範囲で平成10年に指定を受けました。保存地区中央の枡形東側と西側で性格が分かれ、東側は江戸時代からの商家として栄え今でも当時の建造物が数多く残っています。西側は江戸末期から順次発展し、明治39年開通の現明智鉄道岩村駅につながる地域となりました。各中庭には天正疎水と呼ばれる水路が縦断するように通っており、城下町の商家地区の近代的発展過程が分かる都市構成となっています。
木村家は、江戸時代中期から末期に栄えた問屋で、藩が財政難になるたびに御用金を調達して危機を救ってきました。御用金については商家からしたら厳しいところもありますが、殿様専用の出入口があるなど、藩政と密着したかなりの有力者でもありました。
建物配置は、本通りに面して店があり、ゆったりとした中庭を挟んで蔵などが立ち並んでいます。奥に長い町割りを活かした計画ですね。ちなみにここで映画「銀河鉄道の父」のロケも行われたとか。後で気づいたのですが、前のブログ記事のなまこ壁の写真は、この屋敷の蔵の外壁でした。
土佐屋は今から260年程前に染物業を営んでいた商家です。通りに面した母屋は1780年頃の建築であると推定されており、ドマミセの商家形式の町家となっています。このドマミセに染壷が据えられ、職人が生糸や布を染めていました。
通り土間を抜け中庭に入り(足元には天正疎水が流れています)、その奥の離れ座敷、さらには土蔵、収蔵庫へとつながります。一番奥には染工場があり、二階は染色した紺糸を乾燥させる場所として使用していたようです。岩村川に近い裏路地にもつながっていましたから、表と裏で総動員で忙しく働いていたことでしょう。
世にいろいろなリノベーションはありますが、元々どんな用途の建物だったか、それが地域にどう役立っていたかが分かる形式で残されていると、当時の暮らしや経済、文化などがイメージできますね。建築は地域を写す鏡と言われる、面白いところです。
そうこうしていたら日も暮れてきたので、かめや菓子舗のカステラcafeで休憩です。
コーヒーを頼んだだけなのに、美味しいカステラをつけていただき、江戸時代につくられた朱の高膳が並ぶ和の客席からお庭を眺めながら休めるなんて・・・、豊かすぎる。
伝建地区であること、その中で頑張る事、大事にすることで喜んでもらえ、また人が来ること。この秋いろいろな歴史のまちを見ましたが、住民の教養にもとづいた愛情があれば、まちはいつまでも続くのでしょうね。
一級建築士事務所 八木紀彰建築設計事務所/YAGI NORIAKI ARCHITECT STUDIO
















