まちの中を歩いてみると、落ち着いたたたずまいの建物や玉砂利で舗装された道路で修景されているのが分かります。北信の小布施の街並みを思い出しますが、あちらは栗と北斎の商都、こちらは城下町ですから少し違います。松代藩真田家ゆかりの施設を訪ねてみました。
幕末の安政2年(1855年)、殿町に松代藩士の子弟が学ぶ藩校・文武(ぶんぶ)学校が開設されました。敷地内には文学所、教室(東序・西序)、剣術所、柔術所、弓道所、槍術所などがあり200名以上の生徒が通っていました。当時の時間割には医学や西洋軍学、砲術も組み込まれ、藩の防衛も視野に入れた近代的な授業がなされていました。
学校開設を計画した第八代松代藩主・真田幸貫は、幕府の老中兼海防掛に任命されており、藩士である西洋兵学家の佐久間象山が顧問としてアヘン戦争や海外情勢を研究するなど、その目線は海外に向いていました。山に囲まれ海から遠い信州松代の地で、海外に目を向けた熱い議論が日夜交わされていたことでしょう。
建物群は創建時の姿で伝えられており、手入もが行き届いた気持ちの良い空間です。武道場を含めたほぼ全ての建物が開校当初の位置に現存している日本唯一の藩校であることが高く評価され、1953年には国の史跡に指定されています。
ちなみに松代は太平洋戦争末期、日本帝国軍部により本土決戦最後の拠点として、大本営や政府機関の移設を計画され、総延長5853mの地下壕が掘られました。
真田家という小豪族の一筋の流れは、数百年に渡り日本の戦に関わり続ける、まことに数奇な運命をたどることになりました。
一級建築士事務所 八木紀彰建築設計事務所/YAGI NORIAKI ARCHITECT STUDIO










