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2019年

12月

30日

年末なので

空がキレイですな~。と、竹林越しに仰ぎ見ているのは娘の琉花(小1)です。

秋に伊豆に出かけた時の写真ですが、今まさにこんな気分。仕事納めは27日に終わったはずなのに雑事に追われ・・・、いや~今年は疲れました。放心です。

振り返ってみると、やはり建築家協会の会長を引き受けたのが効いてますね。常に何かあるので、時間とお金が飛んでいく。経験は残りますが、また来年からの2年の任期を受けたけど、やり通せるのかどうか・・・。

でもまあ、うちは家族が幸い明るいので、賑やかさに救われなんとかやっています。なのでたまには家族を登場させてみたいと思います。妻のMARIKO氏と下の娘の玲名(1才)です。お寺の石段も上り下りできるようになりました。この子の成長が加速度的で日々驚いています。

息子の遥詩(小6)は、バスケットボールをやっていて、この秋最後の公式戦で負けて終わったばかり。もっとこうしたら勝てたのに、ああしたら良かったのにと、あれから毎日聞きました。いろいろ思い出したり、気持ちの整理がつかないこともあったみたいだけど、残りの時間でどうミニバスを終わらせていくか、そして次に向かって何をしていくか・・・。

足湯に浸かってぼんやりする、こういう時間も大切だとお父さんは思いますよ。負けん気ばかり強くて手のかかる息子が父は好きです(笑)

この日は癒やしの小旅行でして、修善寺と伊豆高原にブラっと出かけました。思えばこの2年半ほど、週末はほとんど試合や練習でそろって出かけられることも少なかったと思います。息子としては空いた時間を持て余す半分、やっと息抜ける半分、日常を取り戻していくような時間です。

行動が楽になったのは、玲名が歩けるようになったのも大きいんですけどね。今度の3月で2才になります。琉花も背が伸びました。小1で123センチ。クラスの女子で一番大きいんだとか。幼稚園の時は言いたいことを我慢して感情をハッキリ表に出さないと先生が心配していましたが、小学校に入ったら周りに揉まれたのか、ガンガン言ってきますね(笑)。いいことです。学校から帰ったら、ランドセルを放り投げて遊びに行く子になりました。ガールズクラフトが大好きで、ピアノとバレエをやっています。ピアノは家で弾いてくれるから上達が分かるけど、バレエは外から見れないので、お父さんはほとんど知りません。完全にMARIKO氏と琉花の世界です。はい。

中伊豆ワイナリーでワインを仕入れ、フレンチを食べた後は(MARIKO氏はここでワインを飲んでいるので運転しません)伊豆高原へ。初めて大室山に登りました。仕事で通るたびに丸裸で可愛らしい山だな~と思っていましたが、いやいや甘く見てました。リフトに乗ると怖い怖い、牙を剥いてまいりまして、「落ちたら死ぬ?」って10回くらい遥詩が聞いてきました(笑)。

しかし山頂に着くとそこからの眺めは素晴らしかったです。城ヶ崎海岸に向けて広がる伊豆高原の別荘地がよく見えました。上から眺めると家々が緑に囲まれていて、ヨーロッパみたいでした。遥詩の顔も晴れやかになってきた気がします。

時々家でびっくりしたりするんですよ。うちにはまだこんなに小さい子がいるって。遥詩の周りで一人っ子の家なら、もうほとんど手のかかる子育ては終わりで後は勉強頑張ってって感じなのに、うちはまだまだこれからです。同じようなご家庭の方々、気持ちわかりますよね。

子供の性格がどっち似とかはどうなんでしょうね。それぞれ状況に応じて個性があるので分かりませんが、逆に誰にも似てなくてもいいと思っています。ただ琉花だけは、僕(姉と妹あり)と同じ真ん中の子ということで、性格が手にとるように分かり、それをネタにお互いいつもふざけています。3人目が生まれて、みんなのマスコット的存在になってから、子供同士の仲でも和ができた気がします。とりあえず分かることは、みんな伸び伸びした人たちです。

 

何だかこう振り返ってみて、今年が完全に終わった感じがしました(笑)。

お正月はゆっくり休んで力をためて、来年も頑張っていきましょうかね。

それでは皆様、良いお年を!!

2019年

12月

08日

四日市にて2

夕方からは四日市港のクルーズに。夕陽でプラントに輝いて独特の雰囲気を醸し出しています。この四日市旧港港湾施設は国指定重要文化財(近代化遺産)となっています。江戸時代から伊勢湾の代表的な港として栄え、明治3年には東京~四日市航路が開設された港も、次第に土砂が埋まり汽船の入港が困難になってきました。そこで明治6年から明治17年にかけて、地元の廻船問屋稲葉三右衛門が私財を投じて46,000m2を埋め立て、半円形防波堤に囲まれた、水深2.4メートル、延長400メートルの埠頭を持つ港湾が完成しました。

その後明治21年の暴風雨により破損したため修築されたのが、写真にアップした潮吹き防波堤です。ここには波のシュミレーション施設もあり、動かしてみました。潮吹き防波堤は堤が2列になっており、高波の時には小堤を乗り越えた波が大堤にあたるのですが、大堤には五角形の水抜き穴が49ヶ所あり(写真の海面にあるもの)、波が港内に流れて堤体の破壊を免れるという巧妙な構造となっています。よくできていまして、建築家達が一同声を上げて感心していました。こういうものを見ることが私は本当に大事だと思っていて、先端技術も大切だけど、本質的な原理に基づく知恵も大切ということを深く感じます。

約1時間ほどの四日市コンビナート夜景クルーズ。昔は公害のイメージもありましたが、今ではクルーズをするようになりました。

ここは元々、日本海軍の燃料廠があった場所で、それが敗戦によりなくなり、広大な土地が企業に払い下げられ現在の四日市コンビナートの形になったようです。西日本でいえば、山口県の徳山のコンビナートが有名ですね。コンビナートの中に、コンビナートのための発電所があったり、パイプラインの橋がかかっていたり、特有の仕組みを見ることができました。何よりここで多くの人が働いていることを実感しました。夜風が気持ちよかったです。

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2019年

11月

24日

四日市にて1

こんにちは。11月8日の金曜日に建築家協会の役員会のために三重県四日市市に行ってきました。名古屋からJR関西本線に乗り換えて40分弱。駅としては近鉄四日市のほうが栄えているらしく、海側のJR四日市駅は閑散としていました。今日はその海側の話です。線路の東側に向かい相生橋を渡り、運河を越えていきます。コンビナートの姿を見て、四日市に来たんだと実感します。そこから5分ほど歩き会場に到着しました。本日の役員会の会場は、我が国最大の紡績会社、東洋紡の創始者であり、紡績王と呼ばれた第十世伊藤伝七の別邸(1896年)です。

とても綺麗な状態です。約600坪の敷地に木造建築と日本庭園を擁し、「玄関棟」と切妻造りの「さつき棟」は国の登録有形文化財に指定されています。立派だな~と見ていて、ん?1896年?って・・・明治29年?

そうです。いくらなんでもそのままの状態であるはずがなく、保存修復が入っています。実はこの建物は1906年からは料亭として使われ、要人御用達の迎賓館的存在として、四日市の繁栄の象徴でありました。しかしその料亭が、2017年に建物老朽化と後継者不在のため、歴史の幕を閉じることになりました。地域の方々の再生へ思いはありましたが、建物の想像を絶する老朽化を前に、専門家達は修復不能と匙を投げました。

もはや存続が風前の灯火となった時に、ひとりの実業家が再生への挑戦を宣言しました。

かつて織田信長の水軍として活躍した九鬼水軍末裔、九鬼家11代目当主九鬼紋七氏(やっぱり伊勢の国ですから、ここぞと言う時にはこういう人が出てくるんですよ)。修復不能と言われた改修工事は困難を極めたようですが、粘り強く慎重に進め、職人たちの知恵と支援者達に支えられながら奇跡的な再生を果たしたとのことでした。

実際私達が会議と会食で使わせていただきましたが、とてもよい建築でした。一つ一つの素材を大切に受け継いで使っていこうという意思を感じました。

2019年

11月

03日

青森にて

帰りは岩木山を左に眺めながら津軽平野を北上し、本州最北の美術館、青森県立美術館へ。三内丸山遺跡のそばに位置します。新青森からバスがなく、タクシーで行きながらこの辺りの地形を眺めていたのですが、遠く奥羽山脈からつながる丘陵が陸奥湾に落ち込み、手のひらで包まれたような形の小さな青森平野に縄文時代から人々が住んでいたということを知ると、厳しい気候の中でも外敵からは守られた安全な地域だったことがうかがわれます。この日(10月18日)は日中暖かく、走ると汗ばむくらいでした。

 

さて建物の設計は青木淳さん。以前講演を聞き著書も読みましたが、正直よく分かりませんでした。なので百聞は一見にしかず、いい機会です。建築の基本構成は、三内丸山遺跡の発掘現場の濠から着想を得たようで、広大な原っぱのような敷地の地面が幾何学的に切り込まれています。その上に白く塗装したレンガの塊が覆いかぶさり、その隙間の空間が展示空間となっています。1階で受付をしてどこに行くのかと思ったら、エレベーターで地下2階まで下りて、そこからスタートとのこと。この直接機械に頼る構成がいいのかどうか、正直微妙なところで、私としては歩きながら下りていくことで芸術世界にゆっくりと分け入る心理的操作をしてもいいのではと思いました。建物の断面コンセプトに気を取られすぎて上下の移動に面白みがないというか、もったいないというか。う~ん、どうなんでしょう。

 

展示の方は、シャガールのバレエ「アレコ」の背景画や、青森出身の奈良美智の作品、そして郷土が誇る版画家棟方志功の展示が特徴的でした。写真公開OKの作品をアップしましたが、特に棟方志功の作品は、作者の意思により広く世に広めてほしいということでした。

棟方志功の死してなお残るこのメンタリティー。行きの新幹線の中で読んでいた太宰治の「津軽」で感じるが如く、中央に対する反骨や自意識が、自己の創作姿勢に深く影響しているのかもしれないと感じました。

 

美術館の回りはだだっ広い芝で何もなく、外構計画としては不思議な感覚でしたが、冬になれば全てが雪に覆われることを考えれば、ここは冬の美術館なのかもしれませんね。でもその場合どこを通っていくのだろうと少し心配も…。

さて今回の旅の記録はここまで。

弘前、青森の印象はと聞かれたら、「意外と明るい」。もっと厳しいのかなと勝手に思い込んでいました。もちろんまだ10月ということもありますが、のどかな地域の雰囲気というのかな。どこを見ても森がある優しい風景でした。

北国なんだと実感したことといえば、住宅に軒樋がついてないこと、雪下ろしのために屋根に登れるよう外壁にハシゴがついていること。それも素直な営みで納得しました。また来れる機会があることを楽しみにしています。

2019年

10月

27日

弘前にて3

前日夜のパーティー会場に飾られていた、弘前でつくられた前川國男建築の模型たち。弘前市立病院、弘前市役所。今回の大会会場となった弘前市民会館、その隣の弘前市立博物館。そして木村産業研究所。私が今回弘前に来た本当の目的は、これら前川さんが手掛けたモダニズム建築のプロポーションを確認することでした。市立病院は予算や凍害との戦いだと聞きましたが、模型で見てもプロポーションの良さを感じます。私が現在静岡で設計している建物もプロポーションが命。少しでも参考になればと勉強のため見学にまわりました。

木村産業研究所/現弘前こぎん研究所。(こぎんは津軽こぎん刺しのことで、江戸時代から続く伝統工芸です。藍色の麻布に白い木綿糸を刺し縫ったクラフトワークのことで、現代的にアレンジし、弘前市内のカフェやショップでも見ることができます)

さてこの建物は、フランスに留学してル・コルビュジェのもとで学んだ前川さんが、パリからの帰途船上で、祖父母と弘前で同郷であった実業家木村隆三氏に依頼され手掛けた建築です。若干27才(羨ましい笑)、延床面積468m2、1932年の竣工です。ドイツの建築家ブルーノ・タウトにも評価され、現在国の登録有形文化財に登録されています。

表通りから見たら、なんだかそっけない建物だなと思うかもしれませんが(モダニズム建築は元々華美な装飾を廃しているので)、内部に入ってみれば空間寸法や高さ関係がヒューマンスケールを強く意識していることが分かります。一言で言えば「人としてしっくり来る高さ」なんですね。

現代では、何々法や何々規制で何センチ以上とか、やりたい空間にとって邪魔な寸法が入ってくるのですが、全体的に人間への近さを感じました。こういうの役人は分からないだろうな~と思いながら進んでいくと、前川さんの設計スケッチも展示されていました。スケッチの段階で、ちゃんとプロポーションがとれています。スタッフへのメッセージもリアルです。

決して大きな建物ではありませんが、内部空間は明るく、目線や方向転換への配慮、一つ一つの設計行為に必ず意図が入っていることを感じました。良かったです。

木村産業を後にし、弘前大学医学部裏の住宅街の丘を登っていくと市役所に出ました。昨日この建物が工事で立ち上がっていく時の白黒写真を見ましたが、いいなと思いました。

この日は金曜日でしたので、当然役所として業務をしているのですが、市の人も見学者の存在に慣れてますね。空間の利用状態を見ても、建築の意図を理解して大事に使っている様子が分かりました。弘前は諸事この感覚でまちづくりに建築が生かされおり、建築にとって幸せだなあと感じました。

2019年

10月

21日

弘前にて2

二日目は街歩きです。弘前は教会が多く、歴史的建造物として大切に活用されています。写真は左から、明治8年創立の東北最古のプロテスタント教会である日本キリスト教団弘前教会。次に明治末期建設で、祭壇はオランダの聖トマス教会から、ステンドグラスはカナダのカロン神父から贈られたカトリック弘前教会。そしてイギリス国教会の流れを組み、宣教師であり建築家のジェームズ・M・ガーディナー設計によるイギリス積みレンガで建造された日本聖公会弘前昇天教会です。

日本では江戸時代にキリシタンは禁止されていましたが、幕末の開国をきっかけに各地に広がりました。西洋人が開国してまず建てるのは、商館と教会ですからね。弘前は宣教師館や洋館が随所に残されているのですが、私もなぜこんな本州北端の地にと思ったのですが、よく考えると外国に対し早くに開港した函館が近いんですね。函館から見れば、本州の一番近い城下町。函館から蝦夷地内部に進む宣教師もいたでしょうが、やはり本州に対して布教を広げようと思ったら、まずは弘前からだったのかもしれません。

その一方で弘前城の南と南西にはお寺が多いんですね。それもまとまった地域に集められていて、さしずめ寺院街といった様相。

弘前大学医学部附属病院の脇を南に下っていって現れたのが最勝院五重塔(国指定重要文化財)でした。津軽統一の際に戦死した全ての人々を供養するために建造されたといわれており、津軽家の菩提寺である長勝寺と並ぶ格式を持った代表的な寺院です。早朝の境内の石畳は美しく清められておりました。

ここから西に少し歩けば弘前高校の正門に着きますが、太宰治(津島修治)の出身校の旧制弘前高校はもう少し南東に位置し、旧陸軍第8師団跡地も含め現在弘前大学になっています。太宰自身は、青森中学、旧制弘前高校、東京帝国大学へと進みました。中学時代に一生懸命勉強した後、旧制高校時代に義太夫に凝ったり芸者と仲良くなったり、土手町でハメをはずしたことが、作家としての太宰のいい味を作り出したようです。

さて師団と言えばのおまけですが、市役所の横に建つこの建物、何か分かりますか?人気のコーヒーチェーン、スターバックスです。緑の看板が控えめについています。

1917年(大正6年)に、旧陸軍第八師団長官舎として建てられ、戦後は進駐軍のアメリカ軍司令官宿舎として使用され、それが今はスタバとは・・・。驚いたけど、そこまで活用してくれるっていうのは大したものです。この街の人々は、歴史的に価値ある建築を大切に長く使ってくれるから、まちづくりとしても上手くいっている気がしました。

2019年

10月

19日

弘前にて1

10/17、18と日本建築家協会の全国大会で弘前に行ってきました。津軽平野は初めてです。

新幹線の道中では、太宰治の「津軽」を再読しながらやって来ました。「弘前は津軽人の魂の拠りどころである」太宰の故郷への等身大の愛と思いが軽妙に語られるこの本を手元にしのばせることで何を感じるかは分かりませんが、とりあえず自分なりの弘前準備。

さて初日は全国地域会長会議。昼すぎに着いて急いでまちを歩き(写真は文化活動の場/百石町展示館:1883年築)、6時過ぎまで会議をしたら、外は暗くなっていました。

ウェルカムパーティー会場の弘前市民会館まで弘前公園の中を歩いて行きましたが、途中弘前城がライトアップされていてきれいでした。旧城郭内は思いの外広く、緑も多く、門や水濠がしっかりと保存されている印象。まちなかにも歴史的建造物が多く残されており、感心していたのですが、あとで知ったところ弘前って第二次世界大戦で空襲がなかったんですね。陸軍の第8師団がある軍都としても有名だったので、そんなはずはないと思いこんでいたのですが意外でした。

闇夜に浮かぶ弘前城本丸は写真で見ると忽然と現れているようですが、本当は今いる場所は仮の場所。石垣がはらんできて修理工事をする為に、曳家をされています。周りに付属建物がないので不思議な感じもしますね。明日はこの向こうに岩木山が見えることを期待します。

会場の弘前市民会館は建築家・前川國男の設計です。夜ですが、なかなか味があります。

前川さんは東京帝国大学を卒業した後、フランスに渡り、ル・コルビュジェのアトリエで修行をして帰国した、日本のモダニズム建築の巨匠です。

東京丸の内の東京海上ビル本館、上野の国立西洋美術館の向かいの東京文化会館といえばご存知の人もいるはず。

私の故郷の藤枝市立図書館も前川さんの設計で、よく通いました。

実はこの弘前ですが、前川建築が現在8つ残っており、前川建築詣でのまちとして建築界では有名です。

駐仏外交官だった前川さんの伯父さんの縁もありフランスに渡ることができ、更に弘前が父型の祖母の出身地で親戚も多く残っており、時の市長にも気にいられたため数々の公共建築を手掛けることができたとか。建築家にとって、縁を大事にすることがいかに大切か、しみじみ思いました。

 

館内は全国から集った建築家たちで大賑わい。一般の人は分かりませんが、私達はマニアックなので、前川建築の締まったコンクリートの梁を眺めながらお酒を飲むだけでご満悦(笑)。会話の内容は寒冷地での凍害対策の設計について。りんごの産地ということで、シードルも出てましたが、私は豊盃という地酒をいただきました。とても美味しかったです。

この弘前大会では、青森だけでなく福島や宮城など東北地方の同世代の建築家たちも頑張ってくれており、とてもよい夜を過ごすことができました。再会でき嬉しかったです。ありがとうございました。

2019年

9月

30日

JIA東海支部大会けんちくかフェス

9月28日(土)の午後に、名古屋市の円頓寺、四間道界隈に行ってきました。私が所属する建築家協会東海支部大会「けんちくかフェス」がこの辺りのまちなかで開催されていまして、最終日のまち歩きとレセプションに参加するためです。

 

この日は午前中は現在設計中のS様邸の打ち合わせでした。お施主様のご夫妻は建築に関わる専門家でもあり、その姿勢や生活への思いを尊重しながらひとつひとつセレクトしながら進めさせて頂いています。いつもお子様に負担をかけてしまい申し訳ない反面、毎週土曜日はいい家の実現に向けた緊張感のある楽しい時間です。

お昼すぎに打ち合わせが終わり、せっかくだからビールでも飲みながら空いている新幹線のこだまでのんびり行こうとホームで待っていたら、到着したのはラグビーW杯を掛川経由でエコパまで見に行く、アイルランドと日本の応援団で超満員のコダマエクスプレス!ええ!?

shizuoka?shizuoka?と何度も聞かれ、案内し、自分は後続のひかりで(逆に空いてました)名古屋に向かいました。ふ~、びっくりした~。

さて一転して名古屋のまちはゆったり気分。商店街を抜けて参加者の一団に合流したら、皆さん橋の上でガヤガヤと地図をのぞいています。そう、ここは名古屋市西区の堀川。名古屋駅から徒歩15分くらいの位置です。その昔名古屋城築城の折に清須から商人達が移ってきてこの運河沿いに荷上場や蔵を築いて財をなし、現在でも古い建物が残されていて、それをカフェやレストランに改装して人が集まる人気のエリアになっています。愛知トリエンナーレの会場にもなった保存地区です。

夕方は一緒にまち歩きをした法政大学特任教授陣内秀信氏の講演会でした。円頓寺商店街の中にあるボルダリングを行うスペースに改装した建物(ボルダリングKNOT)で、陣内先生も珍しいと顔がほころび、都市の水辺空間、名古屋の水都学的解説を寛いだ雰囲気で聞かせていただきました。

講演の休憩中に、隣のお店の中から、とある先輩建築家に手招きされ、入ってみるとテレビ中継で日本がアイルランドに勝ちそうだと。まあまあ、まあ座りなさいと生ビールをごちそうになり、一緒に大興奮、そして勝利!!いや~良かった!今日はいいな~。講演の後半聞いてないけど今日は自由だ。

夜のパーティーでは上機嫌でワインを飲みました。楽しみました。しかし帰りの名古屋駅でつい目の前に来たこだまに乗ってしまったのが運の尽き。掛川から緑と桜のジャージのお祭り集団が大量に乗ってきて車内は興奮状態が止まらない!!私も仲良く巻き込まれた夜でした。

2019年

8月

11日

安曇野ちひろ美術館

お盆前の8月8日に、長野の安曇野ちひろ美術館に家族と行ってきました。11年ぶりの再訪でした。安曇野ICからの田園風景、公園内の建物に至るアプローチ、北アルプスを背景にした三角の大屋根は何一つ変わらず、ああ帰ってきたなと感じるものがありました。

建物は内藤廣氏の設計で、コンクリートの躯体の上に木造の屋根がゆったりとかかり、中庭を中心に置いたゆとりのある動線計画となっています。岩崎ちひろの作品世界に浸りながらも、外に目を向ければ松川村の自然豊かな風景が目を癒やしてくれます。

戦争中に夫を失った岩崎ちひろは、空襲で東京から疎開したこの地において、今後の人生を模索し、作家となることを決意したといいます。おそらく当時は周囲に本当に何もない環境だったのでしょう。だからこそ自分の世界に向き合うことを志したのかもしれません。私自身、11年前に来た時は、一番上の男の子が生まれて8ヶ月の頃でした。まだベビーカーも気恥ずかしかった頃でしたが、この美術館の、こどもの世界でありながら大人がしっかりと細部までデザインをしている姿、子供と一緒に過ごしやすいよう配慮された空間に感銘を受けました。

今回は真ん中の娘が興味を抱き、自分から行ってみたいと言うので連れてきましたが、私が好きな世界に共感してくれたようでちょっと嬉しかったです。下の子も芝生の上を元気に走り回っていました。うちの子も兄妹といってもそれぞれ個性があるようで、兄の方は絵を描くのは得意だけど造形は苦手。妹は絵より造形の方が好きで、暇さえあれば兄が絵を描く横で何かを製作中です。この日は地元の松川中学の生徒さんの読み聞かせや缶バッジ作りにも参加し、良い時間を過ごすことができました。ありがとうございました。

2019年

7月

25日

地盤調査

暑い日が続きますね。

昨日は設計中の住宅の地盤調査を行いました。

今回の手法はボーリング・標準貫入試験。計画建物の基礎底からの所定の深さを設定し、掘削しながら各層の土質や地耐力、地下水位などを調べていくやり方です。土を採取するので目視することができ、一番確かな調査方法です。

 

右の写真で、分銅のような重りが釣り上げられているのが分かりますか?

この重り(63.5kg)を76cmの高さから落下させ、地中の層に先端を30cm貫入させるために、何回打撃したかで地耐力を評価します。

1m掘り進む毎にやれば、縦方向の折れ線グラフができてきて、深度何mの層が強うそうだなと分かるわけです。

この調査をやると、この土地の上に建つんだという実感が湧き、さあこれから頑張るぞという気持ちになります。暑い中一緒に汗をかいてくれた業者さん、ありがとうございました。