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2021年

8月

25日

静岡の水災

こんにちは。JIA機関誌に静岡の水害の記事を寄稿しました。ご一読ください。

静岡市治水交流資料館
静岡市治水交流資料館

 今年7月、静岡では集中豪雨により県東部各地で水災が発生しました。熱海の土石流をはじめ、沼津や富士では広い範囲で浸水被害がありました。

 

 富士山南麓の愛鷹山の裾野には、水を想起させる地名の湿地帯が広がっています。この地域の標高は海側の方が高いため排水が悪く、昔から幾度も水災が起きてきました。私も今回被災者への対応にあたりましたが、中には床上50cm以上の浸水が家を建ててから4回目という住宅もあり、もはや十分な修理をあきらめている様子に心を痛めました。

 

 一方で私が住んでいる静岡市もまた、長年水災と闘ってきた街でした。地元以外の方が静岡市の雨水排水のイメージを聞かれたら、「安倍川が市街地を縦断して駿河湾に注ぐように、雨水も北から南に流れる」という答えが多いかもしれません。答えは4割正解。6割は北東の清水港の方に向かって流れる、巴川という二級河川によって排水されていきます。

 

 静岡市の地形は、西側の旧静岡地区と東側の旧清水地区が、駿河湾に面した日本平の丘陵を中央で抱きかかえるように結ばれています。中心市街地の中で一番標高が高い場所が駿府城の辺り(約25m)であり、そこから北東に広がる地域は、ダラダラと緩く下りながら日本平の北麓を廻って清水港に至る地形になっています。

 

 いくつかの支流が集まる巴川は、全長18kmに対して高低差が6mしかない超緩勾配であり、曲がりも多く、流域面積に対して十分な川幅もなかったため、豪雨のたびに洪水をおこしてきました。そこで、今から45年前から巴川総合治水対策事業が行われ、川の拡幅や、上流域における広大な麻機遊水地の整備、分流堰から日本平西麓を通って駿河湾に至る大谷川放水路の開通により、浸水被害が小さくなってまいりました。

 

 近年の豪雨を目の当たりにすると、まだまだ完璧とは言えませんが、静岡市にいらした折には、治水土木の仕事も見てみてはいかがでしょうか。

 

 

 

 

 

2021年

6月

26日

こども建築塾2021@静岡聖母

6/2、6/7の二日間、葵区の静岡聖母幼稚園年長園児を対象に「紙コップタワーをつくろう!」のワークショップを行いました。みんな今日を楽しみに待っていてくれたようで、準備をしていたら、待ちきれなくてこっそり覗きに来たり(笑)、可愛いんです!

さくら組さん、すみれ組さん、笑って学んで夢中になって、本当に楽しかったね。

この園でやるのは3年ぶり。建築レクチャーも少しずつバージョンアップをしています。

私達のワークショップでは、子どもたちの身の回りの「常識」をいい意味で壊しながら、発想の限界点を伸ばし、気づきと気づきをつなげる「気づきのデザイン」に力を入れています。

 

いろいろな感覚をほぐしながら、感じたことを何でもやってみていいんだと思えること、自分のアイデアを時を置かずに自分のリズムで体を使って表現していくこと。

 

実際に子どもたちが作品を創り始めたら、私から作品の方向性に注文をつけることはまずありません。補修の助言や友達の作品との安全距離ぐらいかな。というかみんな夢中になっちゃって聞いて来ません(笑)。

それこそが自主的な取り組みの証。一番いいことなんでしょうね。

みんな、頭と体を使って汗だくに頑張ったね!

2021年

4月

24日

MAKINOHARADAICHI

本日は息子のバスケの試合の送迎で相良に行ったので、空き時間を牧之原台地で過ごしました。最近はコロナの関係で保護者の試合観戦も自粛なので、トーナメントの勝敗如何で終わりの時間が読めず大変です。勝ち続けることを考え、一旦家に帰ってしまうと、2時間/往復✕2往復=4時間。しかしあのチームは弱いので多分初戦で負けるはず(私は悪い親でしょうか)・・・。よし!天気もいいので少し歩こうと、牧之原台地の東北端、島田市金谷の諏訪原城跡にやってきました。

 

ここは武田勝頼が遠江侵攻の拠点にするため、家臣の馬場美濃守に築かせた山城です。立地は、大井川を西に渡可し、牧之原台地に上がる坂を登りきったところと言えばよいでしょうか。城の南の城域内を東海道が通過する、まさに東西交通の要衝の地に位置していました。掛川城(掛川市)、高天神城(掛川市(旧大東町))の攻略作戦を念頭にしつつ街道を押さえる、絶妙な敷地選定です。常々思うのですが、強い大名って、本当にここぞって場所に城を築いています。

 

さて城の特徴ですが、武田流築城術の特徴である、虎口の前に設けられた三日月堀と曲輪がセットになった、大きな丸馬出が残っていることで城郭ファンにはちょっと有名です。ちなみにこの考え方は、後に武田家家臣だった真田家が大阪夏の陣の時に大阪城の南に築いた真田丸にもつながっているようです。想像より広く、不思議な距離感。何と言っても騎馬軍団ですからね。実際に柵や塀が築かれていたらどうだったでしょうか。堀の向こうに矢を射掛けてる時に、丸馬出のサイドから一気に騎馬が突進してきたら、とても逃げられないでしょうね。う~ん、ひどい。

ところでたまに言われるのですが、私は別に城マニアではありません(笑)。今日も若い城ガール達が朝9時に歩いていて驚きましたが、私の場合はといえば、空間体験が主な目的です。

現代建築で求められる用途とは全くかけ離れた、使いにくさ(攻めにくさ)を成立させるための距離感や動線の作り、圧倒的な圧迫感など、利便性が追求される現代では、こんなところでも来ないと体験できませんからね。

自分が便利さに偏りすぎないよう、反面教師?としての経験です、経験。

本曲輪から東を望むと、金谷の市街地の向こうに大井川が流れ、橋がかかっています。その先は志太平野が広がり、あの時代なら藤枝に田中城が築かれていました。

後にこの城を攻め落とした徳川家康は、ここから東の駿河に攻め込み、高天神城への兵站基地となっていた田中城や小山城(吉田町)を牽制し、ついに高天神城を落城させ取り戻し、武田家の滅亡につながっていきました。

「静岡ってのんびりしていいね」なんて、とても言えない激しい時代でした。

さてその後は、ふじのくに茶の都ミュージアムに寄って一服。明治末期から清水港がお茶の輸出を本格的に取り扱い、横浜港や神戸港を抜いて日本一になった歴史、外国商館が静岡市安西に立ち並んでいたことなど、以前静岡市内の洋館建築の視察で得た知識を補強できて良かったです。勉強になりました。牧之原のお茶畑って、この時期本当に風が気持ちいいので、みなさんも良かったら通ってみてくださいね。

 

 

2021年

4月

09日

新緑の季節

新年度が始まりましたね。静岡では桜の季節も過ぎ、新緑が眩しくなってきました。

先日、建築家への夢を抱いている中学生のU君から、高校入試に合格し進学先が決まりましたと報告をいただきました。みっちり勉強しそうなカリキュラムのようですが、きっと持ち前の探究心で頑張って道を拓いていくことと思います。(本当に良かったね。頑張ろうね。)

 

私の方はというと、建築家協会の年度末決算をまとめたりと色々ありましたが一段落ついたところです。今週、長泉町の駿河平の方に行く機会があったので、クレマチスの丘のベルナール・ビュフェ美術館に寄ってみたのですが、なんと休館日にあたってしまい残念。しかし緑がとてもキレイで静かに歩いているだけでも癒やされました。そうそう、お隣の井上靖文学館が長泉町の運営になるとか。実は私、ここの生原稿を時々見るのが好きでした。東京から静岡に帰ってきた頃に初めて訪れ、丸みを帯びた字が独特の雰囲気を醸し出す原稿を、食い入るように眺めていたことを覚えています。あれから18年も経ったんだなあと、時の流れに驚き入るこの頃です。

 

2021年

3月

13日

2021.3.11

東日本大震災から10年が経ちましたね。私はその年独立したので、八木紀彰建築設計事務所も10年の節目となります。安全性への誓いを胸に仕事を始めたことを思い出します。

昨日、テレビでFUKUSHIMA50という映画を息子と見ました。最近私が、「津波の映像を見ると今でも涙が出ちゃうよ」と話していたのですが、映画を見て彼も何か感じたようで、「あたり前のことってないんだね」と言っていました。

あの頃、東北から静岡に避難してきた方々とも知り合いになったし、復興に向け努力した人々も周りにいました。今年2月の宮城福島地震の対応にあたっている方々もいます。

私達にできることは、固定概念を極力なくしながら、地域と風土を温かい目で長く見続けることだと思います。決して元通りに復旧しなくても、そこには時代の要請や産業構造の変化もファクターとして入りながら、新しい形で少しずつ社会が始まっていく。復興は早いだけがいいことではありません。時をかける強さもあることを信じたいと思います。

子どもたちに自然災害のメカニズムについて科学的な教育をしっかりと施しながら、次の世代、その次の世代につなげていきましょう。私も自分のやるべきことをやっていきたいと思います。

 

2021年

2月

14日

山中城

本日は仕事の帰りに山中城に寄り道してきました。箱根と三島をつなぐ旧街道にある、北条氏の城郭跡です。

ここは石垣を使わない、畝堀という土の堀の構造が特徴で、本丸や西の丸を囲む堀を渡る敵を、狙い撃ちしやすくなっています。

いつか体験したいと行ってみましたら、ものすごい立体空間です(笑)北条の築城術恐るべし。立地もよく考えられており、富士山裾野一帯、田方平野、駿河湾の水軍基地まで見渡せ、小田原とのつなぎにも最適そうでした。

2021年

1月

19日

S様邸 建具調整

本日はS様邸のアフターフォローで、建具調整の立会いに行ってきました。

 

年末は内覧会、お引越しとバタバタと忙しかったのですが、年が明け建物を少し使っていただいて、調整が必要な部分が出てきたところで対応させていただきました。

S様には恐縮ですが、しばしお付き合いいただいております。

今回、木製建具工事をやっていただいたのは、古庄の青島建具さんなのですが、実はここの会長さんが作った名刺入れ(久能山東照宮参道脇のヒノキを使って)を、私が使わせていただいていました。

以前ブログで書いたことありますが、職人さんに聞いてみたら会長さんの作品とのこと。縁がありましたね。

本日はありがとうございました。

 

2021年

1月

04日

謹賀新年

あけましておめでとうございます。

本年もよろしくお願いいたします。

コロナ禍の中、外出を控える年末年始となりました。こんな時だからこそと、たまった身の回り用を整理する日々です。今できる事だけに向き合うのもいいものです。

 

その一方で不思議で仕方ないのは、正月のTV画面に映った、混雑した初詣での境内でコロナの収束を願う人々の姿。

いやいや・・・。ちょっと考えることって、そんなに難しいものですかね~。

 

 

2020年

12月

31日

S様邸完成

2020年の年末にS様邸が完成し、無事引き渡しをさせていただきました。関係各位のご尽力に感謝すると共に、この機会を与えて下さったS様に、改めてお礼申し上げます。

 

内覧会には途切れることなくご来場いただき、出会いもある良い二日間となりました。またこの時期のイベントとして、感染対策へのご理解・ご協力をいただき、円滑に行うことができました。重ねてお礼申し上げます。

 

皆様にゆっくりと見ていただけたようで、「敷地条件や狭さを感じない」、「明るく温かい」、「広さと開放感を感じる」、「水平方向の抜け感がある」、といった声をいただきました。

 

与条件の中で、どのような建築の姿を描くかは、設計者ごと千差万別かと思いますが、私は今回、外観は金属サイディングを用いてシャープに納め、内部は水平、垂直方向の抜き所をつくりながら、自然素材や木に包まれた明るく温かい空間としています。ご家族を包んでくれる住宅として、こうあって欲しいという願いが、実現できていれば嬉しいです。

 

また完成写真を整理したら、アップしていきたいと思います。

 

それでは皆様、本年はいろいろありがとうございました。

来年もどうぞよろしくお願いします。

 

良いお年を。

 

 

 

2020年

12月

20日

S様邸(長谷町の家)内覧会のご案内

S様邸が竣工を迎えようとしています。現場は最終調整段階です。

来週、下記の通り内覧会を開催させていただきます。

よろしければ是非お越しください。お待ちしています。

2020年

12月

13日

藤枝岡部 大旅籠柏屋

藤枝岡部の大旅籠柏屋の内庭に立ち寄りました。初めて行きましたが(地元なのに…)表通りの表情とは違う、落ち着いた空間でした。

山を背にしてなまこ壁の建物が2つあり、一つはギャラリー、もう一つは最近レストランがリニューアルオープンし、女性客で満席でした。なので、私達はしばし外を散策…。

ちょっとした庭園もあり、池もあり、水琴窟もあり。気持ちのいいスケールにほっこり。歴史を受け継ぎ、現代に合わせながら大切にしていく人々がいて、そしての価値を認める人々がいて、私は嬉しかったです。

2020年

12月

12日

S様邸 気密

今回は気密のお話をします。

S様邸では、断熱材に室内の湿気が入り込まないように、内装ボードの裏に気密シートをグルっと張り込んでいます。

ダウンライトやコンセントなどの設備の裏にも気密シートを回して気密切れが起きないようにしています。壁内に湿気が入り込んでしまうと、カビや結露、木材の腐食に繋がる場合があるので、何度もしつこくチェックしながら施工してもらいました。なれていなかった職人達も、だんだん当然の事と変わっていってくれました。

2020年

11月

08日

S様邸 外壁

11月に入り、外壁ファサードが立ち上がって参りました。板金屋さんと朝現場で張り始めた瞬間に、「あ!いいじゃん!!」これはカッコ良くなると八木は確信いたしました。

現場のテンションも上り、来てくれたお施主様も喜んでくれたので安心しました。鉄骨建方時からの変遷を写真にしてみましたが、やはり嬉しいですね。ちなみに白い透湿防水シートの下には、外断熱のスタイロボードが張られています。

 

この外壁材は、表面はガルバリウム鋼板で耐候性が高く、芯材は15ミリの成形断熱材でできています。金属サイディングの欠点である遮熱性に対応した建材です。そのため一般の窯業系サイディングと比べ重さが1/5程度で軽量なため、地震力による揺れを抑制することができるため、構造部材サイズの合理化につながりました。また、継ぎ手でシーリングを使わない納まりなので、防水性が高いのも特徴です。

そして何より私が重要と思い拘ったのが、その裏の通気層です。

縦胴縁を途中でカットして隙間を設け、足元から入った空気の上昇気流が、横方向にも逃げられるよう通気ルートを確保しています。

外壁に取り付く設備機器や窓サッシが途中にあっても、建物一体で気流が廻り、最後には必ず屋根の笠木まで辿り着き、外部に空気を排出できるような計画としています。

壁面の作り方としては、建物外側から順に、外皮遮熱層、通気層、防水層、外断熱層、内断熱層、内部仕上げの構成となっています。

 

 また、外壁下端の止縁には、底に水抜き穴を現場加工開けてもらい、雨水が入り込んでも溜まることなくスムーズに排水できるようにしてあります。

私は常々思うのですが、見せる部分を美しく維持していくためには、見えない部分に倍以上の努力を注ぎ込むべきだと思っています。

「ディテールは、より緻密なディテールで支えられている」

下地工事がいかに重要か、現場で監督さんや職人さんに伝え続ける毎日を送っています。

2020年

11月

02日

S様邸 内装下地、断熱施工

このところ内装の天井、床、壁下地が一気に進んでいきました。毎朝現場で指示を出しているので気づいたらあっという間に時間が過ぎていました。

今回は下地を木で組んでいるので、細部の納めが加工しやすく、大工さん達が工夫できるのが最大の利点。よく相談しながらやってます。床根太も105✕45@303で組んでますので、天井野縁も設備類もガッシリ自由に吊れるようにしています。ドンと来い!って感じです。

外断熱のスタイロボードで覆ってきているのですが、南側の開口が広いから室内が明るいですね。

下地胴縁と共に、断熱材も施工します。一般的に鉄骨造ではヒートブリッジが悩みのタネかと思います。

そこで今回は、鉄骨の外側(壁・屋根共)に外部からの遮熱を目的とした外断熱スタイロボードを張ります。そして内側は室内の保温を目的としたグラスウール(壁内は100ミリ厚、天井は155ミリ厚高性能タイプ)でしっかり断熱し、快適な室内環境をつくります。

この辺りは丁寧に丁寧に、設備配線や造作納まりと並行して進めています。

2020年

10月

29日

S様邸 防水工事

本日は天気が良いので屋根のFRP防水を行いました。平場の突付なので、施工を邪魔しないよう足場からそっと見守りながら。遠くには富士山も見えました。

天井根太の上に構造用合板を張り、その上に断熱材スタイロボードを敷き、防水フィルムを敷いてケイカル板張り、迄が下地です。

そしてそこからFRP防水。法22条地域として火の粉に強いよう、ガラスマットは二重張り仕様です。トップコート色はグレーでまとめ、立ち上がり天端まで切れ目なくグルっと施工して完了です。

2020年

10月

18日

S様邸 根太組み

現場では床の根太組みが進んでいます。同時に鉄骨胴縁や土間下砕石敷きなど、色んな職人さんが忙しく働いています。

先日、階段の手摺が付きました。休憩時間に一枚パチリ。職人さんの帽子が引っ掛けてある風景が微笑ましくも現場らしいなと思いました。秋の良い日差しが気持ちいいですね。

 

さあ皆さん、頑張っていきましょう。お願いします!

2020年

10月

14日

東山旧岸邸

仕事で御殿場に行った折に、東山の旧岸邸を見学してきました。

東名高速より東側の東山地区は、明治の頃から多くの政財界要人や外国人の別荘が建てられた地域。緑豊かで落ち着いた環境は、人々の心身をリフレッシュできる社交の場になりました。

 

この建物は1969年に竣工し、施主は元首相の岸信介氏(先日辞任した安倍総理の祖父)、設計は近代数寄屋建築の大家の吉田五十八氏が手掛けました。

 

北側から木立を抜けてアプローチし、玄関ホールを抜け来客用の居間に入ると、南側には小川の流れる開放的な庭園が広がります。上の写真は庭園からの振り返り。

庭越しに森を眺めているだけで、心が癒やされていくのが分かります。海の別荘とは違う、森の別荘の良さですね。

内部の造作や使用している材は、どれも丁寧に良い材が使われています。納まりのディテールも艶があります。

設計した吉田五十八氏によると、政治家の別荘はいかに私的であれ、いつ公的な要素が入ってくるか分からないので、サービス部門を中心に配置し、来客スペースと生活スペースをスムーズに分ける空間構成に配慮したとのこと。数寄屋の大家といえどそこは一流の建築家、押さえるところは押えています。事実この建物を建てたのは岸さんが総理を辞任した後ですが、日本の各国際団体の要職を努めていた関係でアラブの国王まで訪れていますしね。

 

住まいとしての機能が美しい自然と一体になった、素晴らしい建物でした。

もしひとつ言えるなら、床材の張替えを検討してもいいかも。なんてお節介かな・・・。

2020年

10月

06日

S様邸 コンクリート4週強度

さて、基礎コンクリートの強度はどうなっているか?

今日は4週間工場で養生しておいたテストピースの強度試験。結果は36.5N。設計が24N、補正で+6N足して、合計30Nだったので、良質な基礎コンクリートとなりました!自信あります。

こうしてしっかり検査して確認しておけば、お施主様も安心です。

これから長い年月、この家をしっかりと支えて下さいね。

2020年

9月

30日

S様邸 確認中間検査(建方)

本日は中間検査の第二回目。「屋根の小屋組み工事及び構造耐力上主要な軸組工事」が終わりましたので、検査官に見てもらいました。鉄骨の工程には主に、建方、建て寄り、本締め、溶接、超音波探傷試験、サビ止め塗装等があり、八木紀彰建築設計事務所では、重要工程では事前に工事方法の指示及び現場立ち会いを必ずしています。今回はサビ止めも2種類使用したり、外壁胴縁の止め方を工夫したりと、詳細な施工が求められたので、職人さんと常に一緒にいたような気がします。

みんなで頑張って、無事検査は合格。ほっと一息です。

2020年

9月

22日

yamanashi

9月のシルバーウィークに山梨県立美術館に行ってきました。ここはミレーの作品を展示する美術館として有名です。ちょうどクールベの特別展もやっていたので、中学生時代にクールベの模写を描いたことのある身としては興味がありました。

建物は前川國男の設計です。昨年弘前で前川建築を巡ってから、やっと山梨に来ました。タイルを用いた設計、開口部のプロポーション、閉じているように見えながら、内部に入ると落ち着いた光に満ちる空間は、とても気持ちが良いものでした。ただ明るいとは違う、利用者の心理を汲み取った調光です。

動線が伸びやかに進む平面計画は、寸尺の箱に間を納める日本的な感覚というより、道を進みながら何かが現れる、コルビュジェ直伝の感性なのかもしれません。

展示されていたミレーの「種を蒔く人」は、雄々しくてとても素晴らしかったです。農民の力強さを感じました。

その後は武田信玄の躑躅ヶ崎館跡の武田神社へ。大きな神社ではありませんが、やはり地図で見ているだけと実際に来るとでは違いますね。甲府駅のあたりから地形が北に向かってずっと坂になっており、その上に建っていました。強固な防御施設とせずとも、ここから街を見渡し、領民との距離を縮めた程々の感覚が、甲府に経済発展を導いたのかもしれませんね。「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり」。なんとなく信玄の眼差しが分かったような気がしました。

2020年

9月

16日

S様邸上棟

本日は大安吉日、天気は晴れ。

S様邸の鉄骨建方開始、上棟です。

 

午前8時30分から2t車で7台の鉄骨が運ばれて来ました。今日の分は主に柱とメインフレームの大梁です。仮組みをして建物の骨格を組み立てる作業を行います。

3階建ての柱は、2階の途中で現場溶接して継ぐようになっており、柱と梁のパネルゾーンは工場溶接で組み立ててあります。その部分は前回工場検査の時にチェック済みです。

敷地に余裕がない中で、道路際上空に電線が通っているので、これに当たらないようクレーンで部材を釣り上げて慎重に設置しました。

みんなで安全管理に一生懸命務めました。

 

こうしてみると2階の梁が一番梁せいがあり、3階、R階に行くほど負担が軽くなる設計になっているのが分かります。この日は上棟式も無事行い、良い建方になりました。

2020年

9月

15日

S様邸コンクリート仕上がり

コンクリートの打設後、型枠の規定存置期間を経て脱型し、基礎コンクリートが現れました。目視ではジャンカや割れなどもなく、良質なコンクリートの予感。私は毎日手のひらで表面を触って祈ってましたからね(ちょっと変な人かも)。ちなみにコンクリートは硬化に向かって化学反応を起こしていると少し暖かいです。

さて本日は、打設後1週間経過後の強度を確認するためコンクリート工場にやってきました。

3本の供試体の平均強度が、設計強度の8割あれば明日の鉄骨建方にいけるかなと思いつつ。

結果は平均25.2N/mm2。設計強度が24N/mm2だから、80%の20N/mm2ぐらい出てればと思って来ましたが、予想以上の良い結果。実際に現場打ちした24+補正値6=30N/mm2✕80%としても24N/mm2なので、それも上回っています。

もちろん工場で標準養生(一定水温のもと理想的環境に置かれたもの)されたものと、現場で鉄筋があり温度変化ありの厳しい状態に置かれたものとは違うので、このくらいの結果でも気を引き締めていいのかも(と、工場の方に念を押された)。

いずれにしろ、明日の鉄骨建方を迎えるコンクリート基礎としては強度は十分。

現場では、埋戻しされたコンクリート基礎が静かに時を待っております。

2020年

9月

08日

S様邸コンクリート工事

本日はS様邸の基礎コンクリート打設。ここまで大変なこともありましたが、何とかこの日を迎えることができました。

と思ったら、過ぎ去ったはずの台風の名残りで午前中は凄い雨、雷まで鳴る始末。延期するか、どうするか、明日の天気はと全員で協議。

しかし!昼前に雨がやみ、「今だ!!」と基礎底に溜まった雨水をポンプで排水し、更にスポンジでドロを清掃し、午後から打設を開始しました(結果的には、濡れた型枠に打つことができて一番良かったのかも)。

今回の配合強度は設計強度24+補正6=30。スランプは15。強いコンクリートを打ちます。高周波をかけ、突き棒も活用し、計画数量ちょうどで完了。最後は柱天端廻りの清掃と、打設面の鏝押さえ、養生としてシートを掛けて本日の作業を終了しました。

私も一日中汗びっしょり、緊張感を持って職人さんと一緒になって作業をして疲れましたが、やりきった!現場にも連帯感が生まれました。

2020年

9月

03日

S様邸 確認中間検査(配筋)

昨日は確認中間検査でした。

結果は合格です。

 

重量鉄骨造ですので、基礎も通常の木造住宅よりハードになります。決して大きな面積ではないのですが、この鉄筋を組むために、8月後半は大変でした。

猛暑の中、職人さんが頑張ってくれました。

工務店と監理者もしっかり自主検査し、徹底的に手直しを行いました。

合格証も頂きましたので、現場は次のコンクリート工事に向かいます。

2020年

8月

21日

S様邸鉄骨工場検査

昨日はS様邸で使う鉄骨の工場検査に構造設計者と行ってまいりました。写真のように各部材も出番を待っています。製品の寸法や仕口の確認、溶接部の超音波探傷検査など全てOKでした。

鉄骨って傍で見ると独特の雰囲気があり、美しいものです。

ちなみに現場の方はというと、ただいま鉄筋工事の真っ最中。

猛暑の中(本当に暑いんです)、職人さん達が一生懸命組んでいます。

この日は地梁の主筋を圧接して、超音波探傷試験を行いました。

 

今回は重量鉄骨の建物なので、木造2階建て程度のベタ基礎のようにはいかず、がっしりと鉄筋を組んでいきます。後からコンクリートに隠れるところなので、重点監理です。

2020年

7月

31日

S様邸埋蔵文化財

S様邸、本日は静岡市埋蔵文化財課の立会い検査でした。長い雨で予定がずれてしまいましたが、なんとか今月中に行うことができました。

 

このあたりは弥生時代の遺跡地域に含まれるので、根切りが終わった段階で、遺跡が出てないか確認をするのです。それだけ昔から住みやすい地域ということでしょうか。

今回の掘削は、GLから1300程度の深さなので、特に遺跡が出ることも有りませんでした。工事によって深く掘った場合にもし出たら・・・、工事を一度止めるそうです。ちょっと大変そうです。

 

いや~良かった。

地盤も砂礫層で耐力的には良好なので、このまま土工事をきっちりやってもらいましょう。

2020年

7月

14日

S様邸地鎮祭

7/12(日)はS様邸の地鎮祭でした。7月の豪雨の中で、この日だけ奇跡のように晴天でした。

設計に着手したのが1年前。いろいろなことを経て、こうして無事執り行うことができとても良かったです。しばらくは天気を睨みながらの工事になりますが、関係者一同協力して、頑張っていい建築をつくります!

2020年

5月

27日

名刺入れ

静岡聖母幼稚園の園長先生に名刺をデザインして差し上げたら、お返しに名刺入れをいただきました。なんと使われている素材は、久能山東照宮御神木のヒノキ。静岡県現代の名工/青島清一氏の手によるもので、蓋を乗せるとフワ~と下がって閉じるのです。

 

園長先生のお父様が材木屋さんで、その縁でご入手いただいたとのことでした。園長先生、お父様、ありがとうございます。八木は何度もなでて香りをかいでおります。

改めて本年度よりの園長先生の就任を祝うと共に、今後の活躍をお祈りしています。

2020年

5月

20日

新茶

新茶のパックができました。

味は、うん、あの土地の味。と、あの土地の匂い。

これは自分にしか分からないか(笑)

甘みとともに、舌の両サイドのちょっと下からコクを感じます。

リーフのお茶ですね。

 

そう考えるとペットボトルのお茶って、

産地が分からない味がするんだよな~。

 

 

2020年

5月

10日

URAYAMA FARM お茶刈

ゴールデンウィークにお茶刈をしました。

2回に分けて、合計90キロ。それを製茶してもらって21キロの新茶ができました。

 

今年は気候の影響で成長にばらつきがあり、畝によっても差がありましたので、良さそうなところを選別して取りました。

 

早速できたお茶を淹れて飲んでみましたが、想像より?まろやかな味でした。

この土地の味というのでしょうか。

ありがたいことに注文もいただいていたので、なんとか届けることができそうで良かったです(前述の通り、とても少数のキロ数なので(汗))。

今年はコロナの影響で外出することができず、苦しい日々ですが、こうして自由に自然に触れ合える場所があるということは貴重な事ですね。目の前のキウイ畑越しに南を望む風景が私のお気に入りです。

心のリセットをし、また来週から仕事に向き合いたいと思います。

 

2020年

4月

25日

高草山

焼津市の高草山に登ってきました。

笛吹段公園からの一枚です。

 

志太平野で育った身としては、平野の東にそびえる高草山の姿を見ない日はなく、標高501mというその高さから、富士山は高草山の7倍以上なんて思っていたものでした。

 

とはいえ登ったのは今回が初めてで、志太平野が一望できる眺望に感慨ひとしお。

小川国夫がどこかで志太平野の姿について書いていたことを思い出しました。

こう見るとなかなか豊かな所なんだなあ。

2020年

3月

08日

伝統建築の調査

年末から時間が経ってしまい、気づけば誕生日を迎えていました。

ブログを書こうとはしていたのですが、諸々はっきりしない日々が続き、手控えていたらこの季節。ここまで間が空いたのは初めてです。

年明けには横浜国立大学の同窓会から3月下旬の作品展覧会の出品依頼がありましたが、コロナウイルスの影響でイベントは中止になりました。JIA静岡の方でも、毎年4月の総会時に開催する建築家講演会を中止とするなど、影響が出ています。

一方で2月中旬に行ったみかんぐみの竹内さんによるエコハウスの講演会は開催ができ、多くの来場をいただきました。設計者仲間に久々に再開することもでき、嬉しい時間が過ごせました。

 

昨日は懇意にしている構造設計者に、伝統建築の現地確認をしてもらいました。私自身は価値のある材を使ったものだから大事にしたほうがいいと常々考え、住まい手にも伝えていたのですが、古いから構造的にどうなのか不安もあると思い、セカンドオピニオンとして一度見てもらいましょうと機会を設けました。結果は大丈夫だろうと。もし補強をするならここというところもありますが、全体で支持する柔構造のため安易に壁を入れるとそこに応力が集中するため、控えめな考え方のほうがいいかもしれません。

 

あとはその建物をどのようにしていくか。住まい手の判断になってくるかと思います。

 

ちなみに私は、古い建物の現在における価値を図るときに、経済合理性や構造的な数値だけで全てを決めるのではなく、地域での根付き方や周辺環境との関係、使用材料やそこでの時間や思いを時間をかけて判断すべきだと思っています。人には立ち入れないものと、人と話して整理していくものとありますからね。

大事なものは、できるなら大事にしてあげたい。そんな風に思いました。

 

2019年

12月

30日

年末なので

空がキレイですな~。と、竹林越しに仰ぎ見ているのは娘の琉花(小1)です。

秋に伊豆に出かけた時の写真ですが、今まさにこんな気分。仕事納めは27日に終わったはずなのに雑事に追われ・・・、いや~今年は疲れました。放心です。

振り返ってみると、やはり建築家協会の会長を引き受けたのが効いてますね。常に何かあるので、時間とお金が飛んでいく。経験は残りますが、また来年からの2年の任期を受けたけど、やり通せるのかどうか・・・。

でもまあ、うちは家族が幸い明るいので、賑やかさに救われなんとかやっています。なのでたまには家族を登場させてみたいと思います。妻のMARIKO氏と下の娘の玲名(1才)です。お寺の石段も上り下りできるようになりました。この子の成長が加速度的で日々驚いています。

息子の遥詩(小6)は、バスケットボールをやっていて、この秋最後の公式戦で負けて終わったばかり。もっとこうしたら勝てたのに、ああしたら良かったのにと、あれから毎日聞きました。いろいろ思い出したり、気持ちの整理がつかないこともあったみたいだけど、残りの時間でどうミニバスを終わらせていくか、そして次に向かって何をしていくか・・・。

足湯に浸かってぼんやりする、こういう時間も大切だとお父さんは思いますよ。負けん気ばかり強くて手のかかる息子が父は好きです(笑)

この日は癒やしの小旅行でして、修善寺と伊豆高原にブラっと出かけました。思えばこの2年半ほど、週末はほとんど試合や練習でそろって出かけられることも少なかったと思います。息子としては空いた時間を持て余す半分、やっと息抜ける半分、日常を取り戻していくような時間です。

行動が楽になったのは、玲名が歩けるようになったのも大きいんですけどね。今度の3月で2才になります。琉花も背が伸びました。小1で123センチ。クラスの女子で一番大きいんだとか。幼稚園の時は言いたいことを我慢して感情をハッキリ表に出さないと先生が心配していましたが、小学校に入ったら周りに揉まれたのか、ガンガン言ってきますね(笑)。いいことです。学校から帰ったら、ランドセルを放り投げて遊びに行く子になりました。ガールズクラフトが大好きで、ピアノとバレエをやっています。ピアノは家で弾いてくれるから上達が分かるけど、バレエは外から見れないので、お父さんはほとんど知りません。完全にMARIKO氏と琉花の世界です。はい。

中伊豆ワイナリーでワインを仕入れ、フレンチを食べた後は(MARIKO氏はここでワインを飲んでいるので運転しません)伊豆高原へ。初めて大室山に登りました。仕事で通るたびに丸裸で可愛らしい山だな~と思っていましたが、いやいや甘く見てました。リフトに乗ると怖い怖い、牙を剥いてまいりまして、「落ちたら死ぬ?」って10回くらい遥詩が聞いてきました(笑)。

しかし山頂に着くとそこからの眺めは素晴らしかったです。城ヶ崎海岸に向けて広がる伊豆高原の別荘地がよく見えました。上から眺めると家々が緑に囲まれていて、ヨーロッパみたいでした。遥詩の顔も晴れやかになってきた気がします。

時々家でびっくりしたりするんですよ。うちにはまだこんなに小さい子がいるって。遥詩の周りで一人っ子の家なら、もうほとんど手のかかる子育ては終わりで後は勉強頑張ってって感じなのに、うちはまだまだこれからです。同じようなご家庭の方々、気持ちわかりますよね。

子供の性格がどっち似とかはどうなんでしょうね。それぞれ状況に応じて個性があるので分かりませんが、逆に誰にも似てなくてもいいと思っています。ただ琉花だけは、僕(姉と妹あり)と同じ真ん中の子ということで、性格が手にとるように分かり、それをネタにお互いいつもふざけています。3人目が生まれて、みんなのマスコット的存在になってから、子供同士の仲でも和ができた気がします。とりあえず分かることは、みんな伸び伸びした人たちです。

 

何だかこう振り返ってみて、今年が完全に終わった感じがしました(笑)。

お正月はゆっくり休んで力をためて、来年も頑張っていきましょうかね。

それでは皆様、良いお年を!!

2019年

12月

08日

四日市にて2

夕方からは四日市港のクルーズに。夕陽でプラントに輝いて独特の雰囲気を醸し出しています。この四日市旧港港湾施設は国指定重要文化財(近代化遺産)となっています。江戸時代から伊勢湾の代表的な港として栄え、明治3年には東京~四日市航路が開設された港も、次第に土砂が埋まり汽船の入港が困難になってきました。そこで明治6年から明治17年にかけて、地元の廻船問屋稲葉三右衛門が私財を投じて46,000m2を埋め立て、半円形防波堤に囲まれた、水深2.4メートル、延長400メートルの埠頭を持つ港湾が完成しました。

その後明治21年の暴風雨により破損したため修築されたのが、写真にアップした潮吹き防波堤です。ここには波のシュミレーション施設もあり、動かしてみました。潮吹き防波堤は堤が2列になっており、高波の時には小堤を乗り越えた波が大堤にあたるのですが、大堤には五角形の水抜き穴が49ヶ所あり(写真の海面にあるもの)、波が港内に流れて堤体の破壊を免れるという巧妙な構造となっています。よくできていまして、建築家達が一同声を上げて感心していました。こういうものを見ることが私は本当に大事だと思っていて、先端技術も大切だけど、本質的な原理に基づく知恵も大切ということを深く感じます。

約1時間ほどの四日市コンビナート夜景クルーズ。昔は公害のイメージもありましたが、今ではクルーズをするようになりました。

ここは元々、日本海軍の燃料廠があった場所で、それが敗戦によりなくなり、広大な土地が企業に払い下げられ現在の四日市コンビナートの形になったようです。西日本でいえば、山口県の徳山のコンビナートが有名ですね。コンビナートの中に、コンビナートのための発電所があったり、パイプラインの橋がかかっていたり、特有の仕組みを見ることができました。何よりここで多くの人が働いていることを実感しました。夜風が気持ちよかったです。

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2019年

11月

24日

四日市にて1

こんにちは。11月8日の金曜日に建築家協会の役員会のために三重県四日市市に行ってきました。名古屋からJR関西本線に乗り換えて40分弱。駅としては近鉄四日市のほうが栄えているらしく、海側のJR四日市駅は閑散としていました。今日はその海側の話です。線路の東側に向かい相生橋を渡り、運河を越えていきます。コンビナートの姿を見て、四日市に来たんだと実感します。そこから5分ほど歩き会場に到着しました。本日の役員会の会場は、我が国最大の紡績会社、東洋紡の創始者であり、紡績王と呼ばれた第十世伊藤伝七の別邸(1896年)です。

とても綺麗な状態です。約600坪の敷地に木造建築と日本庭園を擁し、「玄関棟」と切妻造りの「さつき棟」は国の登録有形文化財に指定されています。立派だな~と見ていて、ん?1896年?って・・・明治29年?

そうです。いくらなんでもそのままの状態であるはずがなく、保存修復が入っています。実はこの建物は1906年からは料亭として使われ、要人御用達の迎賓館的存在として、四日市の繁栄の象徴でありました。しかしその料亭が、2017年に建物老朽化と後継者不在のため、歴史の幕を閉じることになりました。地域の方々の再生へ思いはありましたが、建物の想像を絶する老朽化を前に、専門家達は修復不能と匙を投げました。

もはや存続が風前の灯火となった時に、ひとりの実業家が再生への挑戦を宣言しました。

かつて織田信長の水軍として活躍した九鬼水軍末裔、九鬼家11代目当主九鬼紋七氏(やっぱり伊勢の国ですから、ここぞと言う時にはこういう人が出てくるんですよ)。修復不能と言われた改修工事は困難を極めたようですが、粘り強く慎重に進め、職人たちの知恵と支援者達に支えられながら奇跡的な再生を果たしたとのことでした。

実際私達が会議と会食で使わせていただきましたが、とてもよい建築でした。一つ一つの素材を大切に受け継いで使っていこうという意思を感じました。

2019年

11月

03日

青森にて

帰りは岩木山を左に眺めながら津軽平野を北上し、本州最北の美術館、青森県立美術館へ。三内丸山遺跡のそばに位置します。新青森からバスがなく、タクシーで行きながらこの辺りの地形を眺めていたのですが、遠く奥羽山脈からつながる丘陵が陸奥湾に落ち込み、手のひらで包まれたような形の小さな青森平野に縄文時代から人々が住んでいたということを知ると、厳しい気候の中でも外敵からは守られた安全な地域だったことがうかがわれます。この日(10月18日)は日中暖かく、走ると汗ばむくらいでした。

 

さて建物の設計は青木淳さん。以前講演を聞き著書も読みましたが、正直よく分かりませんでした。なので百聞は一見にしかず、いい機会です。建築の基本構成は、三内丸山遺跡の発掘現場の濠から着想を得たようで、広大な原っぱのような敷地の地面が幾何学的に切り込まれています。その上に白く塗装したレンガの塊が覆いかぶさり、その隙間の空間が展示空間となっています。1階で受付をしてどこに行くのかと思ったら、エレベーターで地下2階まで下りて、そこからスタートとのこと。この直接機械に頼る構成がいいのかどうか、正直微妙なところで、私としては歩きながら下りていくことで芸術世界にゆっくりと分け入る心理的操作をしてもいいのではと思いました。建物の断面コンセプトに気を取られすぎて上下の移動に面白みがないというか、もったいないというか。う~ん、どうなんでしょう。

 

展示の方は、シャガールのバレエ「アレコ」の背景画や、青森出身の奈良美智の作品、そして郷土が誇る版画家棟方志功の展示が特徴的でした。写真公開OKの作品をアップしましたが、特に棟方志功の作品は、作者の意思により広く世に広めてほしいということでした。

棟方志功の死してなお残るこのメンタリティー。行きの新幹線の中で読んでいた太宰治の「津軽」で感じるが如く、中央に対する反骨や自意識が、自己の創作姿勢に深く影響しているのかもしれないと感じました。

 

美術館の回りはだだっ広い芝で何もなく、外構計画としては不思議な感覚でしたが、冬になれば全てが雪に覆われることを考えれば、ここは冬の美術館なのかもしれませんね。でもその場合どこを通っていくのだろうと少し心配も…。

さて今回の旅の記録はここまで。

弘前、青森の印象はと聞かれたら、「意外と明るい」。もっと厳しいのかなと勝手に思い込んでいました。もちろんまだ10月ということもありますが、のどかな地域の雰囲気というのかな。どこを見ても森がある優しい風景でした。

北国なんだと実感したことといえば、住宅に軒樋がついてないこと、雪下ろしのために屋根に登れるよう外壁にハシゴがついていること。それも素直な営みで納得しました。また来れる機会があることを楽しみにしています。

2019年

10月

27日

弘前にて3

前日夜のパーティー会場に飾られていた、弘前でつくられた前川國男建築の模型たち。弘前市立病院、弘前市役所。今回の大会会場となった弘前市民会館、その隣の弘前市立博物館。そして木村産業研究所。私が今回弘前に来た本当の目的は、これら前川さんが手掛けたモダニズム建築のプロポーションを確認することでした。市立病院は予算や凍害との戦いだと聞きましたが、模型で見てもプロポーションの良さを感じます。私が現在静岡で設計している建物もプロポーションが命。少しでも参考になればと勉強のため見学にまわりました。

木村産業研究所/現弘前こぎん研究所。(こぎんは津軽こぎん刺しのことで、江戸時代から続く伝統工芸です。藍色の麻布に白い木綿糸を刺し縫ったクラフトワークのことで、現代的にアレンジし、弘前市内のカフェやショップでも見ることができます)

さてこの建物は、フランスに留学してル・コルビュジェのもとで学んだ前川さんが、パリからの帰途船上で、祖父母と弘前で同郷であった実業家木村隆三氏に依頼され手掛けた建築です。若干27才(羨ましい笑)、延床面積468m2、1932年の竣工です。ドイツの建築家ブルーノ・タウトにも評価され、現在国の登録有形文化財に登録されています。

表通りから見たら、なんだかそっけない建物だなと思うかもしれませんが(モダニズム建築は元々華美な装飾を廃しているので)、内部に入ってみれば空間寸法や高さ関係がヒューマンスケールを強く意識していることが分かります。一言で言えば「人としてしっくり来る高さ」なんですね。

現代では、何々法や何々規制で何センチ以上とか、やりたい空間にとって邪魔な寸法が入ってくるのですが、全体的に人間への近さを感じました。こういうの役人は分からないだろうな~と思いながら進んでいくと、前川さんの設計スケッチも展示されていました。スケッチの段階で、ちゃんとプロポーションがとれています。スタッフへのメッセージもリアルです。

決して大きな建物ではありませんが、内部空間は明るく、目線や方向転換への配慮、一つ一つの設計行為に必ず意図が入っていることを感じました。良かったです。

木村産業を後にし、弘前大学医学部裏の住宅街の丘を登っていくと市役所に出ました。昨日この建物が工事で立ち上がっていく時の白黒写真を見ましたが、いいなと思いました。

この日は金曜日でしたので、当然役所として業務をしているのですが、市の人も見学者の存在に慣れてますね。空間の利用状態を見ても、建築の意図を理解して大事に使っている様子が分かりました。弘前は諸事この感覚でまちづくりに建築が生かされおり、建築にとって幸せだなあと感じました。

2019年

10月

21日

弘前にて2

二日目は街歩きです。弘前は教会が多く、歴史的建造物として大切に活用されています。写真は左から、明治8年創立の東北最古のプロテスタント教会である日本キリスト教団弘前教会。次に明治末期建設で、祭壇はオランダの聖トマス教会から、ステンドグラスはカナダのカロン神父から贈られたカトリック弘前教会。そしてイギリス国教会の流れを組み、宣教師であり建築家のジェームズ・M・ガーディナー設計によるイギリス積みレンガで建造された日本聖公会弘前昇天教会です。

日本では江戸時代にキリシタンは禁止されていましたが、幕末の開国をきっかけに各地に広がりました。西洋人が開国してまず建てるのは、商館と教会ですからね。弘前は宣教師館や洋館が随所に残されているのですが、私もなぜこんな本州北端の地にと思ったのですが、よく考えると外国に対し早くに開港した函館が近いんですね。函館から見れば、本州の一番近い城下町。函館から蝦夷地内部に進む宣教師もいたでしょうが、やはり本州に対して布教を広げようと思ったら、まずは弘前からだったのかもしれません。

その一方で弘前城の南と南西にはお寺が多いんですね。それもまとまった地域に集められていて、さしずめ寺院街といった様相。

弘前大学医学部附属病院の脇を南に下っていって現れたのが最勝院五重塔(国指定重要文化財)でした。津軽統一の際に戦死した全ての人々を供養するために建造されたといわれており、津軽家の菩提寺である長勝寺と並ぶ格式を持った代表的な寺院です。早朝の境内の石畳は美しく清められておりました。

ここから西に少し歩けば弘前高校の正門に着きますが、太宰治(津島修治)の出身校の旧制弘前高校はもう少し南東に位置し、旧陸軍第8師団跡地も含め現在弘前大学になっています。太宰自身は、青森中学、旧制弘前高校、東京帝国大学へと進みました。中学時代に一生懸命勉強した後、旧制高校時代に義太夫に凝ったり芸者と仲良くなったり、土手町でハメをはずしたことが、作家としての太宰のいい味を作り出したようです。

さて師団と言えばのおまけですが、市役所の横に建つこの建物、何か分かりますか?人気のコーヒーチェーン、スターバックスです。緑の看板が控えめについています。

1917年(大正6年)に、旧陸軍第八師団長官舎として建てられ、戦後は進駐軍のアメリカ軍司令官宿舎として使用され、それが今はスタバとは・・・。驚いたけど、そこまで活用してくれるっていうのは大したものです。この街の人々は、歴史的に価値ある建築を大切に長く使ってくれるから、まちづくりとしても上手くいっている気がしました。

2019年

10月

19日

弘前にて1

10/17、18と日本建築家協会の全国大会で弘前に行ってきました。津軽平野は初めてです。

新幹線の道中では、太宰治の「津軽」を再読しながらやって来ました。「弘前は津軽人の魂の拠りどころである」太宰の故郷への等身大の愛と思いが軽妙に語られるこの本を手元にしのばせることで何を感じるかは分かりませんが、とりあえず自分なりの弘前準備。

さて初日は全国地域会長会議。昼すぎに着いて急いでまちを歩き(写真は文化活動の場/百石町展示館:1883年築)、6時過ぎまで会議をしたら、外は暗くなっていました。

ウェルカムパーティー会場の弘前市民会館まで弘前公園の中を歩いて行きましたが、途中弘前城がライトアップされていてきれいでした。旧城郭内は思いの外広く、緑も多く、門や水濠がしっかりと保存されている印象。まちなかにも歴史的建造物が多く残されており、感心していたのですが、あとで知ったところ弘前って第二次世界大戦で空襲がなかったんですね。陸軍の第8師団がある軍都としても有名だったので、そんなはずはないと思いこんでいたのですが意外でした。

闇夜に浮かぶ弘前城本丸は写真で見ると忽然と現れているようですが、本当は今いる場所は仮の場所。石垣がはらんできて修理工事をする為に、曳家をされています。周りに付属建物がないので不思議な感じもしますね。明日はこの向こうに岩木山が見えることを期待します。

会場の弘前市民会館は建築家・前川國男の設計です。夜ですが、なかなか味があります。

前川さんは東京帝国大学を卒業した後、フランスに渡り、ル・コルビュジェのアトリエで修行をして帰国した、日本のモダニズム建築の巨匠です。

東京丸の内の東京海上ビル本館、上野の国立西洋美術館の向かいの東京文化会館といえばご存知の人もいるはず。

私の故郷の藤枝市立図書館も前川さんの設計で、よく通いました。

実はこの弘前ですが、前川建築が現在8つ残っており、前川建築詣でのまちとして建築界では有名です。

駐仏外交官だった前川さんの伯父さんの縁もありフランスに渡ることができ、更に弘前が父型の祖母の出身地で親戚も多く残っており、時の市長にも気にいられたため数々の公共建築を手掛けることができたとか。建築家にとって、縁を大事にすることがいかに大切か、しみじみ思いました。

 

館内は全国から集った建築家たちで大賑わい。一般の人は分かりませんが、私達はマニアックなので、前川建築の締まったコンクリートの梁を眺めながらお酒を飲むだけでご満悦(笑)。会話の内容は寒冷地での凍害対策の設計について。りんごの産地ということで、シードルも出てましたが、私は豊盃という地酒をいただきました。とても美味しかったです。

この弘前大会では、青森だけでなく福島や宮城など東北地方の同世代の建築家たちも頑張ってくれており、とてもよい夜を過ごすことができました。再会でき嬉しかったです。ありがとうございました。

2019年

9月

30日

JIA東海支部大会けんちくかフェス

9月28日(土)の午後に、名古屋市の円頓寺、四間道界隈に行ってきました。私が所属する建築家協会東海支部大会「けんちくかフェス」がこの辺りのまちなかで開催されていまして、最終日のまち歩きとレセプションに参加するためです。

 

この日は午前中は現在設計中のS様邸の打ち合わせでした。お施主様のご夫妻は建築に関わる専門家でもあり、その姿勢や生活への思いを尊重しながらひとつひとつセレクトしながら進めさせて頂いています。いつもお子様に負担をかけてしまい申し訳ない反面、毎週土曜日はいい家の実現に向けた緊張感のある楽しい時間です。

お昼すぎに打ち合わせが終わり、せっかくだからビールでも飲みながら空いている新幹線のこだまでのんびり行こうとホームで待っていたら、到着したのはラグビーW杯を掛川経由でエコパまで見に行く、アイルランドと日本の応援団で超満員のコダマエクスプレス!ええ!?

shizuoka?shizuoka?と何度も聞かれ、案内し、自分は後続のひかりで(逆に空いてました)名古屋に向かいました。ふ~、びっくりした~。

さて一転して名古屋のまちはゆったり気分。商店街を抜けて参加者の一団に合流したら、皆さん橋の上でガヤガヤと地図をのぞいています。そう、ここは名古屋市西区の堀川。名古屋駅から徒歩15分くらいの位置です。その昔名古屋城築城の折に清須から商人達が移ってきてこの運河沿いに荷上場や蔵を築いて財をなし、現在でも古い建物が残されていて、それをカフェやレストランに改装して人が集まる人気のエリアになっています。愛知トリエンナーレの会場にもなった保存地区です。

夕方は一緒にまち歩きをした法政大学特任教授陣内秀信氏の講演会でした。円頓寺商店街の中にあるボルダリングを行うスペースに改装した建物(ボルダリングKNOT)で、陣内先生も珍しいと顔がほころび、都市の水辺空間、名古屋の水都学的解説を寛いだ雰囲気で聞かせていただきました。

講演の休憩中に、隣のお店の中から、とある先輩建築家に手招きされ、入ってみるとテレビ中継で日本がアイルランドに勝ちそうだと。まあまあ、まあ座りなさいと生ビールをごちそうになり、一緒に大興奮、そして勝利!!いや~良かった!今日はいいな~。講演の後半聞いてないけど今日は自由だ。

夜のパーティーでは上機嫌でワインを飲みました。楽しみました。しかし帰りの名古屋駅でつい目の前に来たこだまに乗ってしまったのが運の尽き。掛川から緑と桜のジャージのお祭り集団が大量に乗ってきて車内は興奮状態が止まらない!!私も仲良く巻き込まれた夜でした。

2019年

8月

11日

安曇野ちひろ美術館

お盆前の8月8日に、長野の安曇野ちひろ美術館に家族と行ってきました。11年ぶりの再訪でした。安曇野ICからの田園風景、公園内の建物に至るアプローチ、北アルプスを背景にした三角の大屋根は何一つ変わらず、ああ帰ってきたなと感じるものがありました。

建物は内藤廣氏の設計で、コンクリートの躯体の上に木造の屋根がゆったりとかかり、中庭を中心に置いたゆとりのある動線計画となっています。岩崎ちひろの作品世界に浸りながらも、外に目を向ければ松川村の自然豊かな風景が目を癒やしてくれます。

戦争中に夫を失った岩崎ちひろは、空襲で東京から疎開したこの地において、今後の人生を模索し、作家となることを決意したといいます。おそらく当時は周囲に本当に何もない環境だったのでしょう。だからこそ自分の世界に向き合うことを志したのかもしれません。私自身、11年前に来た時は、一番上の男の子が生まれて8ヶ月の頃でした。まだベビーカーも気恥ずかしかった頃でしたが、この美術館の、こどもの世界でありながら大人がしっかりと細部までデザインをしている姿、子供と一緒に過ごしやすいよう配慮された空間に感銘を受けました。

今回は真ん中の娘が興味を抱き、自分から行ってみたいと言うので連れてきましたが、私が好きな世界に共感してくれたようでちょっと嬉しかったです。下の子も芝生の上を元気に走り回っていました。うちの子も兄妹といってもそれぞれ個性があるようで、兄の方は絵を描くのは得意だけど造形は苦手。妹は絵より造形の方が好きで、暇さえあれば兄が絵を描く横で何かを製作中です。この日は地元の松川中学の生徒さんの読み聞かせや缶バッジ作りにも参加し、良い時間を過ごすことができました。ありがとうございました。

2019年

7月

25日

地盤調査

暑い日が続きますね。

昨日は設計中の住宅の地盤調査を行いました。

今回の手法はボーリング・標準貫入試験。計画建物の基礎底からの所定の深さを設定し、掘削しながら各層の土質や地耐力、地下水位などを調べていくやり方です。土を採取するので目視することができ、一番確かな調査方法です。

 

右の写真で、分銅のような重りが釣り上げられているのが分かりますか?

この重り(63.5kg)を76cmの高さから落下させ、地中の層に先端を30cm貫入させるために、何回打撃したかで地耐力を評価します。

1m掘り進む毎にやれば、縦方向の折れ線グラフができてきて、深度何mの層が強うそうだなと分かるわけです。

この調査をやると、この土地の上に建つんだという実感が湧き、さあこれから頑張るぞという気持ちになります。暑い中一緒に汗をかいてくれた業者さん、ありがとうございました。

 

2019年

7月

04日

新国立競技場の様子

6/27のJIA本部総会の空き時間に、外苑西通りに出て陸橋から通りを見たら、何やら円盤のような建物をつくっていました。そうここは新国立競技場建設現場のすぐ近く。だいぶ出来上がってきたようなので様子を見に行ってきました。ちなみに本日7/4の新聞・テレビでも9割がた完成しましたとの報道が出て、内部の客席の様子も公開されていましたね。この日は中までは入れませんでしたが、周囲をぐるっと廻ってみました。

 

建物本体のルーバーの庇で統一された外部ファサードが数百メートルに渡ってぐるっと続いていました。やはり巨大な故に単調さを感じるものがありました。屋根に47都道府県の木を使うという物語はいいのだけど、なにか造形としての楽しさがない。

1964年東京オリンピックの時に丹下健三氏が設計した国立代々木競技場のダイナミズムと比べると、う~ん・・・。心は沸き立たないかなあ。

ザハの案からの一連の流れの中で、工期やコストを考えれば工種を絞るというのも分かるけど、これも正しいんだろうけど、やっぱり予定調和なデザインビルドの寂しさを感じました。

外構やサインができてくれば正面性が現れてくるのかな?11月に完成ということなのでもう少し待ちましょう。

2019年

6月

28日

国立西洋美術館

6/27にJIA本部総会があったので、上野の国立西洋美術館に行ってきました。コルビュジエが設計し世界文化遺産に登録されていることで有名ですが、実は今回の訪問が初めて。美術館前は人通りが絶えることなく、どう頑張っても人が入る写真になりましたが、それが自然ですね。皆さん気持ち良さそうでした。

開催中だった松方コレクションはとても素晴らしいものでした。と同時に、この美術館が生まれた背景を知ることができました。

神戸の川崎造船所の社長を務めた松方幸次郎氏は、第一次世界大戦中のヨーロッパで自社の船舶の売り込みに成功し巨利を得ました。それを元手にイギリスやフランス、ベルギー、オランダ、スペイン、ドイツなどを廻り、美術品を大量に購入。ヨーロッパ在住の日本人画家や各地の美術商の協力を仰ぎながら、名画の収集を進めました。その後の世界大恐慌で会社は傾き、松方氏も立て直しに奔走しましたが、第二次世界大戦でフランス政府に敵国人財産としてフランスに保管していた美術品を差し押さえられてしまいました。戦後の日本政府との返還交渉の中でフランス政府から出た条件が、返還する美術品を専門に展示する美術館の建設でした。

そのためフランスの建築家であるル・コルビュジェが設計を担当することになり、その弟子である前川國男、坂倉準三、吉阪隆正が設計監理に協力して建設されることになったのでした。財政が苦しい当時の日本を反映してか、ファサードの外壁は砂利が埋め込まれたPC版を用いており、素朴なテクスチャーを表しています。地下に潜る構成や吹き抜けも、鑑賞者の心理を考えた、よく練られた建築計画でした。

ハイサイドライトから採光を取り入れた内部の回廊や、あえて表した立柱など、サヴォワ邸を思い出すところもありました。

下の写真はモネの睡蓮。もちろん撮影用のデジタル画像ですが、こんなサービスもやってくれるんですね。設計したコルビュジェは想像もしなかったかもしれませんが、ありがたく撮影させていただきました。

しかしやっぱり国立美術館。名画が素晴らしい。胸いっぱいになり癒やされました。

2019年

5月

26日

小園新茶を楽しむ会

こんにちは。

静岡はここのところ暑い日が続きます。

 

本日は名古屋市那古野のステーショナリーカフェNO DETAIL IS SMALLさんにて、URAYAMA FARMで取れた小園新茶を楽しむ会が開かれました。このありがたい企画に、静岡からお茶のパックを40個ほど持ってやってきました。

販売会をしつつ、ランチに茶粥懐石を振る舞いましょうということで、カフェオーナーの矢田さんが企画して下さいました。

会の前にまずはこのカフェの紹介を。

実はこのカフェのオーナーはJIA東海支部長を務める建築家です。普段から静岡地域会長の私が大変お世話になっておりまして。その縁で本日開催の運びとなりました。

 

この建物は2階が設計事務所になっており、1階に奥様が主に運営されるオリジナルリングノートを作れるカフェが入っています。

以前、岡崎のとある有名文房具店を設計された時にいろいろな商品や紙のことを勉強され、ご自身たちでもやってみようと起業されたとか。芸大出身のお二人ですから、センスよくデザインの腕を他分野に展開できるのでしょう。

 

愛着のあるノートを使えば、日常が変わります。リフィルの差し替えもできるので、是非ご覧になって下さいね。当日も大学生やカップル、大人が親子で訪れるなど、世に広がる文具熱、文具愛を感じました。

さて会が始まり、私の方からお茶が育った地域や風土のことを、持参した土や茶の枝に触れながら、生育過程やどこまで摘むかなど説明させていただきました。そして冷茶で出していただいた新茶を皆さんと味わいました。正直ここまで美味しく淹れていただいた矢田さんに感謝です。感激しました。

それにしても皆さん、写真やメモに熱心で、聞けば文房具朝食会@名古屋の方たちだとか。それを知って私も嬉しくなって逆にたくさん文房具の質問をしてしまいました。

美味しかった。

楽しかった。

いいなあこんな企画、こういう人々との集い。皆さん近隣の市にお住まいとかで、意識があればこのために気軽に集まって下さる感覚。嬉しかったです。

有名な文具ブロガー、はちみつを愛する方、音楽を愛し、ものづくりを愛し、提灯を作ったりと、様々な方との出会いを通し、建築設計からのスピンオフの楽しさを実感した一日でした。ありがとうございました。

2019年

5月

13日

お蔵の修理

今日はURAYAMA FARMのお蔵の修理です。先日、石造りのお蔵の入り口の建具のレールが破損してしまったと相談がありました。

 

建具自体が耐火性を考慮した漆喰塗りの壁のようなものなので重量があるのですが、それを受ける足元の木のレールを内部の荷物を出す時に引っ掛けて割ってしまい、建具が落ちて閉まらなくなってしまったとのこと。

見てみてレールの簡単な部分交換でいけそうだったので、材料を買ってきて自分でやることにしました。用意したものはヒノキの12ミリの角棒と小刀と紙やすり、釘、金槌、鋸。

既存レールの寸法に合わせて角棒から外形をとって削り、紙やすりで整え、釘打ちして終わりです。作業自体はいたってシンプル。

きっと蔵の施工で用いられている技術が、こんな感じのシンプルな技術の集合でできているからこそ、時を経ても手をかけやすく、長く持つのかもしれません。先人の配慮ですね。

2019年

5月

10日

名古屋城

本日はJIAの総会が名古屋であったので、その前に名古屋城を訪れました。散々名古屋に来ておきながら実は今回が初めてです。

地下鉄市役所駅で降り、東門から入り二の丸の先にまず現れたのは、本丸東南の辰巳櫓でした。ん?あれれ、なんかデカイ・・・。見慣れた静岡の駿府城と違い空堀なのでそびえ立ち感が半端ない。櫓も立派で、その距離感から明らかに鉄砲や大筒での攻城戦を視野に入れていることが分かります。対豊臣を想定した、江戸初期の軍事要塞ですね。その威容を横目に、表二之門をくぐり虎口を経て本丸へ進みます。

戦争により空襲で焼失した本丸御殿の復元工事が開始されたのは2009年。それから3期9年の工事を経て、昨年の2018年に全体公開となりました。

写真は内部の梅の間で、将軍をもてなす上級家臣の控えの間です。天井板の桟や障子を見ても、簡素なデザインで若干無骨なスケール感が分かります。たとえ襖絵や装飾があっても、武家の建物であることを感じました。

ちなみに現在の御殿は玄関、表書院、対面所、下御膳所、上洛殿、御湯殿書院などが復元されていますが、展示してあった古図面を見ると、もっと多くの室がいくつもの廊下で網の目のようにつながれ、多くの人々が働いていた様子が分かります。徳川御三家筆頭、尾張62万石の政庁と感じました。

御殿を過ぎると、北西の天守閣が見えてきました。現在は残念ながら耐震性の問題で内部見学ができませんが、その問題解決と共に資料に基づいた天守閣の木造復元計画が進められているそうなので、楽しみに待ちたいと思います。

ちなみに屋根の上の金の鯱ですが、1体の重量が1200キロ以上あります。水を呼ぶ火除けのまじない、徳川家の権力と財力の象徴は、地元トヨタの小型車1台分ほどの重さです。また足元の石垣の石には所々目印が施されています。天下普請として請け負った大名達が、他の大名の石と区別できるよう刻印を打ったようです。

さてお目当ての場所にやってきました。西北の戌亥櫓・清須櫓の前に立ち、北側の水堀の向こうの市街地を望みます。何か気づきますか?正解は土地の高さが違います。ここまで坂や階段を登ってきたわけでもないのに、今いる地面が向こうの建物の3階から4階ぐらいの高さですから、10m位土地の高低差があります。実は名古屋城は熱田台地の西北端に建てられており、この高低差を利用した守りの堅い軍事要塞になっているのでした。これを以前知ってから、現地で直に確かめたいとずっと思っていて、確かめるにはここに立つのが一番と思いやってきた次第です。

ということで、今日の目的の半分はこの高低差の確認。納得。満足しました。

いつも名古屋に来ると、名古屋駅から栄とか、大学とかに向かうくらいでしたが、今回改めて名古屋城に来ることで、やっと名古屋のまちづくりの始まりに立つことができました。

三の丸の家老屋敷跡地が官庁街、その南の碁盤の目状の街区が現在の中心市街地となっていますが、城下建設当時に、この地域の地形を巧みに利用しながら名古屋の基礎を作り上げたことを理解することができました。

思えば家康が秀吉に駿府から葦原だらけの江戸に追いやられ、家臣達と長年苦労して大都市を作り上げた経験が生きたのかもしれません。徳川家の人々の努力に頭が下がりました。

総会後の講演会ではJIA東北の鈴木副支部長が、震災後の復興や地域の現実について講演してくださりました。ボランティアの限界、民間での知恵、建築家が日常から地域へ入っていくことの大切さなどを学びました。また、業容を固定しずぎず、いろいろな形の事業をしてもいいんじゃないかという可能性を感じる講演会でした。

2019年

5月

08日

お茶刈り

昨日はURAYAMA FARMのお茶刈りでした。本当はGW中にやりたかったのですが、何分オーガニックなので暦通りには行きません。育ちの中でこのタイミングということで、朝から午後まで約60キロの茶葉を収穫しました。今年は春先の天候に左右されたのか茶葉の生育には個体差がありましたが、麗らかな春の日差しの中で気持ちよく刈ることができました。1年を通して飲むお茶をこの日に集中して確保すると思えば、多少腕が辛くなってもがんばれます。

 

あとは美味しく製茶されるのを待つのみ。

楽しみです。

 

 

2019年

4月

30日

時代が変わり

こんにちは。

平成最後の日、天皇陛下の最後のお言葉を聞きながら感慨深いものがありました。平成という時代は不況や災害など大変なことも多かったけど、何か温かいものを求める雰囲気があったことを思い返しました。

さて、最近あまり投稿しなかったのは身辺に変化が起きていまして、やっと書けるので書きます。

この度、私が所属する日本建築家協会静岡地域会の会長に就任することになりました。前任会長の退任を受け後を引き継ぎ、歴代会長の平均年齢より20才は若い、全国でも最も若い会長となります。その引き継ぎの中で見えてきたものが色々あり、組織改革に向け、荒療治の真っ最中。後から考えると、この嫌われ役に抜擢されたのかと、唖然とする思いもしましたが、まぁ、やるだけやってみます。

右のチラシは、その総会の時に行った記念講演会。おかげさまで満員御礼で、幸先の良いスタートを切ることができました。さあ令和が始まります!

2019年

3月

27日

春休み

今日は息子が通う小学校の離任式でした。早いもので来月から息子は6年生に、娘は小学生になります。静岡は今週末に桜も満開になるそうで、春の訪れが楽しみです。

 

さて本日は先月事務所に来てくれた中学生のK君が貸した本を返しに来てくれました。そして勧めておいたアアルトとコルビュジェの展覧会を東京で見てきたということでその報告もしてくれました。モノの見方も変わったようで大いに刺激になったようでした。

そしてお土産のお菓子まで。夕食後ワインを飲みながら美味しくいただきました。ありがとうございました。

 

次は、とある美術館を勧めておきましたが、少しずつでも見てきた感想を自分の言葉で話していくだけでかなり成長すると思います。変にかっこつけず感じたまま、等身大で見る目を養えばいいと思います。彼なら感じとる感性があるでしょうし。楽しみにしています。