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2022年

7月

19日

晴れの日の、となりに。天神屋

7月15日、静岡市葵区柚木の商業施設「マークイズ静岡」1階に、当事務所が設計を担当した天神屋がオープンしました。秋にご相談を受けてから完成まで、関係各位のご尽力に心より感謝申し上げます。しぞ~かおでん、おむすびやお弁当、地域ブランドとコラボした門出ソフトなどなど、心を込めて作った良いものをお客様に伝えたい、喜んでもらいたいという打ち合わせは楽しいものでした。素晴らしい人達が多いのが天神屋。皆様、ぜひぜひご来店くださいね。

2022年

5月

30日

京都4

京都府京都市中京区二条城町541。世界遺産・二条城のための町名ですが、これ以外の地番は発見できませんでした。旅の最後は息子の希望で二条城へ。妹のパンプスの足も疲れてきています。この頃には二人は仲良くなっており、受験生となる息子が、妹に中学の頃の成績はどうだったか(3年で伸びた)とか、どんな勉強法をしたか(教科書読んでたくらい)、先生には気に入られていたか(嫌われてた)とか、話し込んでいました。その姿を後ろから眺めながら、父は諸々お金を払う係に徹していました。

二条城は何度も来ていますが、国宝・二の丸御殿の内部造作について改めて言えば「天井の文化」と感じます。将軍の御殿としての豪華絢爛なつくりと、武家の作法や動線に基づく水平平面。元離宮二条城として皇室とも深いゆかりを持っています。

「大政奉還をやったのはここだよ」と息子に言えば、「ふ~ん」と下を見て歩いていました。何かを感じて、その内つながればいいけれど。

帰りの新幹線では、お土産の柿の葉寿司を美味しいと全部平らげていました。よかったな。

2022年

5月

15日

京都3

岡崎公園の参道では、市民がテントを張り、音楽を流し、BBQをし?さながらフェス状態でした。いいですよね、春ですし。我慢続きでしたし。気持ち分かります。私もこのブログの日付の頃には、藤枝市から非農地証明が下りて、農転の地目変更登記が済み、次は官地の測量だ!という状況です。境界杭を打ったり、打ち直させたり、測量図の修正指示など様々に労力を割いていますが、先が見えるということは何でもいいものです。

私達も一歩進んで、京都市京セラ美術館へ。

この帝冠様式の外観から察せられるように、1933年に京都市美術館として開館しました。公立美術館としては東京都美術館に次ぎ日本で二番目の開館です。

その後時を経て、2020年に建築家青木淳氏・西澤徹夫氏による大規模リノベーションを行い、地元企業の京セラが命名権を得て、京都市京セラ美術館としてオープンしました。

特徴は、外部のアプローチ周りがスロープ状になっており、地階レベルに下りてエントランスにアクセスする動線計画です。

この日は市民作品の展示も多く、様々な人が行き交っていました。中央の大空間も気持ちの良いものでしたが、展示作品として何を置くのが適切かと言う点では判断が必要かなと思いました。内部の動線も、シークエンスとしては複雑さがありました。全体的に見て感じたのは、美術館リノベーションの難しさ。様式や目的の違う設えを保存するということは、違和感を残すということでもあります。美術品に集中できるような、鑑賞環境全体の調和という点では、まだまだ模索が必要なのかもしれません。

外装に関して言うと、幅の違う金属板をタイルに埋め込み、刻々と変わる時間と共に光の変化を表現できるようにしてありました。

東山の緑につながる庭園の景観は、人々の目を和らげてくれそうでした。

岡崎疏水(琵琶湖の水を京都に送るための疎水)の橋の上で、妹と息子を記念撮影。眩しくて息子の目つきがやばいことになっていますが、伝えたいのは疎水と桜と東山の関係なのでご容赦下さい(笑)。妹には家からだいぶ歩かせてしまいました。ごめんね。

2022年

4月

30日

京都2

京大吉田キャンパスを出て、京大病院を右手に眺めながら南へ歩きます。改めて京都は高い建物がないですね。京都市の財政は火の車と言われていますが、大都市でありながら高層ビルがないため固定資産税を多く取れないという事情があるようです。学生も多いですしね。町並みを眺めたい観光地という特性からすると、地下鉄もどうなんでしょう。生活の足としてはいいかもしれませんが、来る時に京都駅からのバスの激混み具合を見ていると、元を取るのは難しいのかもしれません。

麗らかな陽気を浴びながら、岡崎公園に到着し平安神宮へ。この建物、京都だから何百年も昔に建てられたと思うかもしれませんが、実は創建は1895年。日清戦争が終わり、下関条約が結ばれた年です。ちなみに先程見た京都大学は、日清戦争の賠償金で作られました。第三高等学校を帝国大学に昇格する形で1897年に理工科から始まり、法科、医科と続きました。

さて話を戻して平安神宮。なんでわざわざ作ったかと言いますと、平安京遷都1100周年記念事業として創られました。え?1100周年!?

持ち出す理由が古すぎませんか…?と思う声もあるでしょう。いいんです。許します。何しろ当時の京都の衰退ぶりは目を覆うものがありましたから。幕末の戦乱で市街地は荒廃。明治維新の遷都で天皇陛下も東京へ移り、四民平等で武家階級は消滅。何百年も京都の消費を支えた大名達の武家屋敷もなくなっており、立ち直れずにいました。

新しい京都を模索し、千年の都を継承する心のシンボルとして、平安神宮の存在が多くの市民を勇気づけたようです。

2022年

4月

20日

京都1

息子を連れて京都へ。京都には私の妹が住んでおり、再会がてら散策しようと、まずは彼の希望で京都大学へ。キャンパスは地域に開放されているので、友達や家族で自由に散策している人が多くいます。将来受験を考えている中高生にとっても、現地に行けるのが一番ですからね。私も高校生たちに校門で撮影を頼まれました。ドキドキ、ワクワクの表情。がんばれよと伝えました。

さて有名な百周年時計台記念館ですが、免震工法で大改修済みです(下の写真)。

1階のギャラリーでは、京大の歴史がアーカイブで見れるのでおすすめです。

京都帝国大学を創立してから、少しずつ体制を整えながら領域を広げ、知を集積して日夜熱い研究をしていることが伝わってきます。

京都は戦争で爆撃を受けなかったので、キャンパス内の建物もいろんな年代の建築様式のものが残り、現役で使われていました。

戦後のRC打ち放しあり、戦前昭和のタイル張りあり、明治の赤レンガあり。雑多ですがこれも個性。伝統ある大学ならではの景観ですね。

一方で、敷地内に緑はそれほどありません。むしろ建物がギッシリで、さながら研究団地という様相。自分の通った大学が、敷地内のあちこちに森があるような(こっちが異常?)環境だったので、違うものだと思いました。一応、建築学棟もどんな所かなと探してみました(写真最後)。吉田寮もきれいになって、私は良かったと思います。少し入り口に看板がありましたが可愛いものでした。ただこの年代、モラトリアムしたい気持ちも分かる。私にもそんな時がありましたしね。

2022年

4月

10日

掛川城、二の丸御殿

桜の咲く頃、家族と掛川城へ行ってきました。このところ既存宅地の農転処理に向けて忙しく、やっと先日非農地証明申請を出すところまでこぎつけたので、気分転換です。

掛川という地は、訪れる度に他にはない土地だなと感じます。昔から東海道の交通の要衝でありながら、南に小笠山を抱え、温暖な気候に包まれているような感覚があります。経済や文化活動もあり、今までどれほどの人達がこの地で生活を営んできたのだろうと、土地の歴史に思いを馳せてしまいます。

最近私がずっと、既存宅地(登記上の地目は農地だけど、住宅を建てて使っていた)であったことを立証すべく、あの手この手で資料を集めていたからですね(笑)。お城ほどハッキリしたものを見ると文句なしって感じです。娘も口を開けて見ていました。

さて天守閣から東を見下ろすと、藩主が生活していた二の丸御殿が見えます。こうして見ると建物に瓦屋根がたっぷりとかかっており、「日本建築は屋根の建築」と昔から言われているのが分かりますね。

スカッと庭に開放された内部空間を目にすると、つくづく御殿というものは、柱と梁、桁で屋根を持ち上げ、間取りの可変性を有する襖で仕切り構成された、空間の開放を目指すインターナショナルスタイルに通じる建築だなと思う。

 

このタイプの日本の建築様式が、後年西欧で注目を集めた頃、西欧ではレンガ造から鉄骨ラーメン構造への大転換が起きており、壁の文化から脱却した連続空間を生み出すことで、採光や視界の確保はもとより、時間軸の変化による空間利用の変化を許容することができたとか。

 

そう考えれば二の丸御殿も、「何とかの間」と室名の記録は残っていても、当時は結構ざっくり違う用途に使ってたりして、なんて思いますね。じゃないと諸事まわらなかったでしょうね。

 

 

2022年

3月

31日

玉露の里

静岡では桜が満開になってきました。昨日は藤枝市朝比奈の玉露の里に立ち寄り、桜を鑑賞してきました。池に佇み鯉を眺めながら、しばしの静寂に癒やされました。朝比奈川の上流は、これから桃源郷のような雰囲気となっていきます。

 

 

 

2022年

3月

17日

土地調査

春の卒業シーズンとなってきました。静岡は3月になってからずっと暖かい日が続いています。

さて八木事務所では、年明けからとある敷地内の官地測量に向き合っています。

土地の由来や経緯調査は2年前からやっていたのですが、解決案に対して関係各位で頭を悩ませまくりで、ようやく土地家屋調査士に依頼して実測してもらうことにしました。

しかしこれがなかなか厄介な事案。まだまだ格闘しています。

これも勉強勉強!と言い聞かせ、前に進む日々です。

 

 

2021年

12月

31日

大掃除

2021年も今日で終わり。身の回りを整理していたら、リュックの底から高校サッカー選手権静岡県大会決勝のチケットが出てきました。母校の藤枝東が久しぶりに決勝に進出したので見に行きましたが、結果は0対2で静岡学園に完敗でした。テクニックというより、守備で負けた。正直、静学は一段突き抜けたなと感じました。これは全国優勝するかもしれない。あまりに悔しくて終わった瞬間エコパの駐車場に向かい猛然と帰った記憶しかありません(笑)。

 

しかしまあ、一学年の生徒定員が280人の藤枝東に対し、それと同数くらいのサッカー部員がいる静学では分母が違いすぎるのかも。勉強の条件付きで獲得できる生徒は限界があるし、それに対し静学は今年Jリーグ内定4人ともなると、もうJリーガー養成機関。私立と公立の差がどんどん開いていってしまうのかな~と、帰りの車中でもやもやしてしまいました。頑張れ藤枝東!

とはいえ今、全国大会で静学が快進撃しています。このまま頑張って優勝だ!

 

 

2021年

12月

14日

こども建築塾2021@焼津和田公民館

12/11(土)に、焼津和田公民館で静岡こども建築塾ワークショップ「紙コップタワーをつくろう!」を行いました。東益津と和田の合同企画としての依頼でしたが、全市から幅広く来てくれました。それにしてもこの公民館は立派でした。小学校に併設し、地域がゆとりを持って一体的に活動できるよう計画された望ましい在り方でした。

さて、レクチャーが始まる前は走り回っていた子ども達も、いざ始まれば真剣そのもの。しっかりインプットして、よーいスタート!

大きく大きく。最初の土台を小さくしないで、かといって自分の作品イメージもうっすら持ちながら、みんなどんなふうに手を動かしていくかな?

今回の子達は、全体的に失敗が少なかったように思います。あまり崩れなかったというか、多分、しっかり注意点を聞いていた素直な子どもたち。

積んでいる様子を見ていると、紙コップを置くときに、そっと朝露が下りるが如く乗せている!そう、それですよ君たち。素晴らしいね。

うちの一番下の3才の女の子も、紙コップタワー初めてですが、器用に積んでいて驚きました!「え?本当に自分でやったの?」ってお父さんが聞いちゃったね。嬉しかったね。

みんなインタビューもバッチリでした。それぞれの工夫や頑張ったことを堂々と発表できましたね。時々保護者の方の中には、同じようなことを子供が言っているなと思う方もいるかもしれませんが、いいんです。

まず、今日初めて出会った中で、人前で言えることが大事。そして共感しあえることが大事。自分のペースで言えることで、お互いを尊重できることが大事。発表は子どもたちにとって、ドキドキの一大事なのですから(笑)。

みんなでお互いの作品を大事にし、困ったらお手伝いもし、一生懸命お片付けも達成できて、充実感でいっぱいでした。ありがとうみんな!楽しかったよ!

 

 

2021年

12月

10日

諏訪にて3

さて諏訪大社へ。諏訪大社は4ヶ所の境内地を持つ神社で、現在は生命の根源・生活の源を守る神と崇められているとのこと。

全て廻ればパワースポット巡りとして運気十分でしょうが、今回は時間もないので上社本宮のみ。それでも来てよかったです。息子はいっぱいお願いしていたようですが、自分は思いつかずただ手を合わせるだけでした。階段を降りてきて思ったのですが、この地からはつくづく太陽に白雪が輝く八ヶ岳が綺麗に見えるんですよね(駐車場越しですが)。

諏訪湖のほとりの道を巡って諏訪湖博物館・赤彦記念館へ。伊東豊雄氏の設計です。諏訪湖に面して軒を抑えるアルミパネルを用いた軽快なデザインでした。内部のホールは日当たりが良く、湖の水面がキラキラしていました。ただ動線的にもっと回遊性があれば、2階の展示室のどん詰まり感がなくなったのかな。掲示物の見せ方もあとちょっと、頑張ってくれることを期待しています。

 

でも湖の周りって落ち着きますね。もちろん風もあって波もあるし寒いんですが、海と違い領域が分かるから地域に包まれている感覚がありますね。諏訪湖も富士五湖同様、観光やリゾートの雰囲気もあるのですが、生活が地域に深く根付いていることが大きな違いですね。住宅や学校はもちろん、エプソンの本社もありますし、高島城もありますし、路地を通れば人々の営みを感じます。

 

さて、せっかくだから帰りに温泉に入っていこうと、最後は片倉館へ。1928年に建てられた国指定重要文化財の温浴施設です。諏訪湖に面して、でーんと建っています。遡ること大正時代、シルクエンペラーと称された片倉財閥の当主が、ヨーロッパを視察した際に各国の農村に十分な厚生施設が整っていることに感銘を受け、上諏訪の住民の温泉、社交、娯楽、文化向上のために建てることを決めたそうです。素晴らしい地域の財産だと思います。私が入った千人風呂は、立って入れる位の深さで胸までありました。諏訪湖の湖上から夜の花火も上げてくれて、綺麗でした。

いい一日でした。

 

 

2021年

12月

03日

諏訪にて2

さて神長官守矢家史料館を見た後は、南側の緩い斜面を進んでいくと、ありました、ありました。藤森照信さん設計の茶室3連発。

 

まずはワイヤーで吊られた、空飛ぶ泥舟。

そして高さ6mの木の上につくられた、高過庵(たかすぎあん)。どちらもハシゴをかけて登り内部に入れば、諏訪盆地の街や自然を一望できる素晴らしい眺めを体験することができるでしょう。

 

その足元には、低過庵(ひくすぎあん)。地形の段差を利用し、屋根を持ち上げて入るようです。内部も本当に低そうです。

 

私はどれも中には入っていませんが、一生懸命作った銅板葺き、焼杉仕上げの外壁、やりたいことをやったことを確認しました。確認申請もいらないよう、ちゃんと10㎡未満に抑えてありました。

まあ高いだ低いだと、意外とプロポーションがああだこうだと、私が茶室をしげしげと眺めていようがいまいが、そんなこと娘たちには関係ないわけで、ああまたお父さんに変わった建築の所に連れてこられたと、だんだん慣れてきた様子。

そんなことよりいま大事なことは、諏訪は静岡と違って痛いように寒くて、土に霜が生えてチクチクしている!!と、凍った枯葉や林の中をザクザク走り回ることに夢中でした。

 

確かに空気が全然違うので、帰ってから一応調べてみたら、諏訪湖の標高は759m。私が住んでいる所は標高19mくらいだから、740mの標高差がありました。

 

なのでお昼は体を温めようと、ほうとうを食べに行くことにし、美味しくいただきました。ほうとうも良かったけど、山菜が新鮮で歯ごたえもよく大満足でした。

 

 

2021年

11月

28日

諏訪にて1

実は今年は本当に不幸と災難続きで、さすがにブログにもなかなか手が出ない状態でした。時々覗いて下さった方、ごめんなさい。

自分自身、今は仕方がないなと思いながらも、何とかいい方向に気分転換したいという思いがあり、ワクチンも打ったし寒くなる前に、神宿る地(と勝手に思い込み)諏訪に行ってきました。

中部横断道が先頃開通したおかげで、静岡市から諏訪までは車で2時間台で到着し、こんなに近くなったのかと本当に驚きました。

最初に訪れたのは神長官守矢史料館です。諏訪大社の神長官という役職を代々務めてきた守矢家の史料館ということで、神事などに関する数多くの古文書を収蔵しています。鎌倉幕府や武田晴信、真田昌幸の書状など、戦乱の中でも諏訪大社がこの地に連綿と在り続けてきたことが分かります。

さて、ちょっと変わったこの建築は、建築家の藤森照信さんのデビュー作です。藤森さんの実家はこの近所にあり、設計者を探しているときに声がかかったとか。ちなみに藤森は諏訪に多い姓のようですね。Google mapで諏訪を検索すると、たくさんの藤森さんが出てきます。

 外壁はサワラの割板を貼ってあり、30年間張り替えることなく、いい味が出てきました。

屋根は上諏訪産の鉄平石葺き、軒先を貫く柱は諏訪地方のミネゾウの木です。本人曰く、軒が寂しいので四本柱を建てようとしたら偶然鉛筆が走って軒を突き抜けたとか。

内装は藁を混ぜた色付きモルタルで塗り上げてあるので、構造は木造かと思いきや、そこはしっかり鉄筋コンクリート造でした。

 

2階の収蔵庫は残念ながら非公開でしたが、金物やガラスは全て手作りで、質感や空間プロポーションの見せ方に拘りがありました。奥の壁を傾斜させてあったり、階段もわざと踊り場までにして、上半分はわざわざ機械で下ろしてつなげる設計ですからね(笑)。

 外に出てから、東に見える雪をかぶった八ヶ岳の山々を眺めていると、なんとなくこの一体に分布した、縄文遺跡につながる土着性のようなものを感じました。

帰り際、何気なくパンフレットを開いてみたら、プロジェクトデータが載っていて、目が釘付けになりました。1991年竣工、鉄筋コンクリート造2階建て一部木造、延床184㎡の建築をつくるために、いくら設計監理料、外構その他を含んだっていったって、総費用が1億3千6百万円って…。

本当ですか!いや、本当なんでしょうけども!

すごいね諏訪。

 

 

2021年

10月

18日

遠州・横須賀

仕事で遠州横須賀を通ったので、清水邸庭園に立ち寄りました。

横須賀は小笠山の南に位置し、山と海に挟まれた東西に広がる地域。その昔、徳川家康が武田勝頼の高天神城攻略のために横須賀城を築いた、浜側の要衝です。東名高速やJRの線路とは離れていますが、現在でも歴史的町並みの保存活用が盛んなエリアでもあります。

私も今回初めて来たのですが、ちょうど高校生達の下校時間とも重なり、地域の日常生活の雰囲気も知ることができました。

この庭園を築いた清水家は、江戸時代に廻船問屋を営み、横須賀藩の御用達を務めて栄えた旧家でした。庭園には中央に湧水を取り入れた池が配置され、その廻りを散策できる回遊式の構成になっています。季節ごとの樹木を愛でながら、のんびりと和むことができそうです。

 

ん?廻船問屋…?と今の町並みを見たら不思議な気がしますが、実は横須賀は元々、城の西側から南側にかけて入江池や内海(潟湖)で遠州灘まで囲まれた土地でした。その汽水域を運河として利用して河口付近に湊を有し、遠州南部の陸路の交差点という特性を活かすことで、海陸の物資集散地として賑わいました。この公園の東側にも、船着き場の跡がありました。

しかし残念ながら、現在は水運の姿を見ることはできません。1704年の宝永の大地震によって地殻変動が起き、汽水域が干上がり湊の機能が低下するなど、大打撃を受けてしまったからです。この時期の藩の石高は江戸前期と比べ急激に減少しており、家臣の数も減らさずを得ないなど大変な苦労があったようです。

 

その後なんとか建物は復興を成し遂げ、現在まで春には三熊野神社大祭が盛大に催されるなど、地域の伝統がしっかり受け継がれています。今度は祭りの季節に訪れてみたいと思います。

 

 

2021年

8月

25日

静岡の水災

こんにちは。JIA機関誌に静岡の水害の記事を寄稿しました。ご一読ください。

静岡市治水交流資料館
静岡市治水交流資料館

 今年7月、静岡では集中豪雨により県東部各地で水災が発生しました。熱海の土石流をはじめ、沼津や富士では広い範囲で浸水被害がありました。

 

 富士山南麓の愛鷹山の裾野には、水を想起させる地名の湿地帯が広がっています。この地域の標高は海側の方が高いため排水が悪く、昔から幾度も水災が起きてきました。私も今回被災者への対応にあたりましたが、中には床上50cm以上の浸水が家を建ててから4回目という住宅もあり、もはや十分な修理をあきらめている様子に心を痛めました。

 

 一方で私が住んでいる静岡市もまた、長年水災と闘ってきた街でした。地元以外の方が静岡市の雨水排水のイメージを聞かれたら、「安倍川が市街地を縦断して駿河湾に注ぐように、雨水も北から南に流れる」という答えが多いかもしれません。答えは4割正解。6割は北東の清水港の方に向かって流れる、巴川という二級河川によって排水されていきます。

 

 静岡市の地形は、西側の旧静岡地区と東側の旧清水地区が、駿河湾に面した日本平の丘陵を中央で抱きかかえるように結ばれています。中心市街地の中で一番標高が高い場所が駿府城の辺り(約25m)であり、そこから北東に広がる地域は、ダラダラと緩く下りながら日本平の北麓を廻って清水港に至る地形になっています。

 

 いくつかの支流が集まる巴川は、全長18kmに対して高低差が6mしかない超緩勾配であり、曲がりも多く、流域面積に対して十分な川幅もなかったため、豪雨のたびに洪水をおこしてきました。そこで、今から45年前から巴川総合治水対策事業が行われ、川の拡幅や、上流域における広大な麻機遊水地の整備、分流堰から日本平西麓を通って駿河湾に至る大谷川放水路の開通により、浸水被害が小さくなってまいりました。

 

 近年の豪雨を目の当たりにすると、まだまだ完璧とは言えませんが、静岡市にいらした折には、治水土木の仕事も見てみてはいかがでしょうか。

 

 

 

 

 

2021年

6月

26日

こども建築塾2021@静岡聖母

6/2、6/7の二日間、葵区の静岡聖母幼稚園年長園児を対象に「紙コップタワーをつくろう!」のワークショップを行いました。みんな今日を楽しみに待っていてくれたようで、準備をしていたら、待ちきれなくてこっそり覗きに来たり(笑)、可愛いんです!

さくら組さん、すみれ組さん、笑って学んで夢中になって、本当に楽しかったね。

この園でやるのは3年ぶり。建築レクチャーも少しずつバージョンアップをしています。

私達のワークショップでは、子どもたちの身の回りの「常識」をいい意味で壊しながら、発想の限界点を伸ばし、気づきと気づきをつなげる「気づきのデザイン」に力を入れています。

 

いろいろな感覚をほぐしながら、感じたことを何でもやってみていいんだと思えること、自分のアイデアを時を置かずに自分のリズムで体を使って表現していくこと。

 

実際に子どもたちが作品を創り始めたら、私から作品の方向性に注文をつけることはまずありません。補修の助言や友達の作品との安全距離ぐらいかな。というかみんな夢中になっちゃって聞いて来ません(笑)。

それこそが自主的な取り組みの証。一番いいことなんでしょうね。

みんな、頭と体を使って汗だくに頑張ったね!

2021年

4月

24日

MAKINOHARADAICHI

本日は息子のバスケの試合の送迎で相良に行ったので、空き時間を牧之原台地で過ごしました。最近はコロナの関係で保護者の試合観戦も自粛なので、トーナメントの勝敗如何で終わりの時間が読めず大変です。勝ち続けることを考え、一旦家に帰ってしまうと、2時間/往復✕2往復=4時間。しかしあのチームは弱いので多分初戦で負けるはず(私は悪い親でしょうか)・・・。よし!天気もいいので少し歩こうと、牧之原台地の東北端、島田市金谷の諏訪原城跡にやってきました。

 

ここは武田勝頼が遠江侵攻の拠点にするため、家臣の馬場美濃守に築かせた山城です。立地は、大井川を西に渡可し、牧之原台地に上がる坂を登りきったところと言えばよいでしょうか。城の南の城域内を東海道が通過する、まさに東西交通の要衝の地に位置していました。掛川城(掛川市)、高天神城(掛川市(旧大東町))の攻略作戦を念頭にしつつ街道を押さえる、絶妙な敷地選定です。常々思うのですが、強い大名って、本当にここぞって場所に城を築いています。

 

さて城の特徴ですが、武田流築城術の特徴である、虎口の前に設けられた三日月堀と曲輪がセットになった、大きな丸馬出が残っていることで城郭ファンにはちょっと有名です。ちなみにこの考え方は、後に武田家家臣だった真田家が大阪夏の陣の時に大阪城の南に築いた真田丸にもつながっているようです。想像より広く、不思議な距離感。何と言っても騎馬軍団ですからね。実際に柵や塀が築かれていたらどうだったでしょうか。堀の向こうに矢を射掛けてる時に、丸馬出のサイドから一気に騎馬が突進してきたら、とても逃げられないでしょうね。う~ん、ひどい。

ところでたまに言われるのですが、私は別に城マニアではありません(笑)。今日も若い城ガール達が朝9時に歩いていて驚きましたが、私の場合はといえば、空間体験が主な目的です。

現代建築で求められる用途とは全くかけ離れた、使いにくさ(攻めにくさ)を成立させるための距離感や動線の作り、圧倒的な圧迫感など、利便性が追求される現代では、こんなところでも来ないと体験できませんからね。

自分が便利さに偏りすぎないよう、反面教師?としての経験です、経験。

本曲輪から東を望むと、金谷の市街地の向こうに大井川が流れ、橋がかかっています。その先は志太平野が広がり、あの時代なら藤枝に田中城が築かれていました。

後にこの城を攻め落とした徳川家康は、ここから東の駿河に攻め込み、高天神城への兵站基地となっていた田中城や小山城(吉田町)を牽制し、ついに高天神城を落城させ取り戻し、武田家の滅亡につながっていきました。

「静岡ってのんびりしていいね」なんて、とても言えない激しい時代でした。

さてその後は、ふじのくに茶の都ミュージアムに寄って一服。明治末期から清水港がお茶の輸出を本格的に取り扱い、横浜港や神戸港を抜いて日本一になった歴史、外国商館が静岡市安西に立ち並んでいたことなど、以前静岡市内の洋館建築の視察で得た知識を補強できて良かったです。勉強になりました。牧之原のお茶畑って、この時期本当に風が気持ちいいので、みなさんも良かったら通ってみてくださいね。

 

 

2021年

4月

09日

新緑の季節

新年度が始まりましたね。静岡では桜の季節も過ぎ、新緑が眩しくなってきました。

先日、建築家への夢を抱いている中学生のU君から、高校入試に合格し進学先が決まりましたと報告をいただきました。みっちり勉強しそうなカリキュラムのようですが、きっと持ち前の探究心で頑張って道を拓いていくことと思います。(本当に良かったね。頑張ろうね。)

 

私の方はというと、建築家協会の年度末決算をまとめたりと色々ありましたが一段落ついたところです。今週、長泉町の駿河平の方に行く機会があったので、クレマチスの丘のベルナール・ビュフェ美術館に寄ってみたのですが、なんと休館日にあたってしまい残念。しかし緑がとてもキレイで静かに歩いているだけでも癒やされました。そうそう、お隣の井上靖文学館が長泉町の運営になるとか。実は私、ここの生原稿を時々見るのが好きでした。東京から静岡に帰ってきた頃に初めて訪れ、丸みを帯びた字が独特の雰囲気を醸し出す原稿を、食い入るように眺めていたことを覚えています。あれから18年も経ったんだなあと、時の流れに驚き入るこの頃です。

 

2021年

3月

13日

2021.3.11

東日本大震災から10年が経ちましたね。私はその年独立したので、八木紀彰建築設計事務所も10年の節目となります。安全性への誓いを胸に仕事を始めたことを思い出します。

昨日、テレビでFUKUSHIMA50という映画を息子と見ました。最近私が、「津波の映像を見ると今でも涙が出ちゃうよ」と話していたのですが、映画を見て彼も何か感じたようで、「あたり前のことってないんだね」と言っていました。

あの頃、東北から静岡に避難してきた方々とも知り合いになったし、復興に向け努力した人々も周りにいました。今年2月の宮城福島地震の対応にあたっている方々もいます。

私達にできることは、固定概念を極力なくしながら、地域と風土を温かい目で長く見続けることだと思います。決して元通りに復旧しなくても、そこには時代の要請や産業構造の変化もファクターとして入りながら、新しい形で少しずつ社会が始まっていく。復興は早いだけがいいことではありません。時をかける強さもあることを信じたいと思います。

子どもたちに自然災害のメカニズムについて科学的な教育をしっかりと施しながら、次の世代、その次の世代につなげていきましょう。私も自分のやるべきことをやっていきたいと思います。

 

2021年

2月

14日

山中城

本日は仕事の帰りに山中城に寄り道してきました。箱根と三島をつなぐ旧街道にある、北条氏の城郭跡です。

ここは石垣を使わない、畝堀という土の堀の構造が特徴で、本丸や西の丸を囲む堀を渡る敵を、狙い撃ちしやすくなっています。

いつか体験したいと行ってみましたら、ものすごい立体空間です(笑)北条の築城術恐るべし。立地もよく考えられており、富士山裾野一帯、田方平野、駿河湾の水軍基地まで見渡せ、小田原とのつなぎにも最適そうでした。

2021年

1月

19日

S様邸 建具調整

本日はS様邸のアフターフォローで、建具調整の立会いに行ってきました。

 

年末は内覧会、お引越しとバタバタと忙しかったのですが、年が明け建物を少し使っていただいて、調整が必要な部分が出てきたところで対応させていただきました。

S様には恐縮ですが、しばしお付き合いいただいております。

今回、木製建具工事をやっていただいたのは、古庄の青島建具さんなのですが、実はここの会長さんが作った名刺入れ(久能山東照宮参道脇のヒノキを使って)を、私が使わせていただいていました。

以前ブログで書いたことありますが、職人さんに聞いてみたら会長さんの作品とのこと。縁がありましたね。

本日はありがとうございました。

 

2021年

1月

04日

謹賀新年

あけましておめでとうございます。

本年もよろしくお願いいたします。

コロナ禍の中、外出を控える年末年始となりました。こんな時だからこそと、たまった身の回り用を整理する日々です。今できる事だけに向き合うのもいいものです。

 

その一方で不思議で仕方ないのは、正月のTV画面に映った、混雑した初詣での境内でコロナの収束を願う人々の姿。

いやいや・・・。ちょっと考えることって、そんなに難しいものですかね~。

 

 

2020年

12月

31日

S様邸完成

2020年の年末にS様邸が完成し、無事引き渡しをさせていただきました。関係各位のご尽力に感謝すると共に、この機会を与えて下さったS様に、改めてお礼申し上げます。

 

内覧会には途切れることなくご来場いただき、出会いもある良い二日間となりました。またこの時期のイベントとして、感染対策へのご理解・ご協力をいただき、円滑に行うことができました。重ねてお礼申し上げます。

 

皆様にゆっくりと見ていただけたようで、「敷地条件や狭さを感じない」、「明るく温かい」、「広さと開放感を感じる」、「水平方向の抜け感がある」、といった声をいただきました。

 

与条件の中で、どのような建築の姿を描くかは、設計者ごと千差万別かと思いますが、私は今回、外観は金属サイディングを用いてシャープに納め、内部は水平、垂直方向の抜き所をつくりながら、自然素材や木に包まれた明るく温かい空間としています。ご家族を包んでくれる住宅として、こうあって欲しいという願いが、実現できていれば嬉しいです。

 

また完成写真を整理したら、アップしていきたいと思います。

 

それでは皆様、本年はいろいろありがとうございました。

来年もどうぞよろしくお願いします。

 

良いお年を。

 

 

 

2020年

12月

20日

S様邸(長谷町の家)内覧会のご案内

S様邸が竣工を迎えようとしています。現場は最終調整段階です。

来週、下記の通り内覧会を開催させていただきます。

よろしければ是非お越しください。お待ちしています。

2020年

12月

13日

藤枝岡部 大旅籠柏屋

藤枝岡部の大旅籠柏屋の内庭に立ち寄りました。初めて行きましたが(地元なのに…)表通りの表情とは違う、落ち着いた空間でした。

山を背にしてなまこ壁の建物が2つあり、一つはギャラリー、もう一つは最近レストランがリニューアルオープンし、女性客で満席でした。なので、私達はしばし外を散策…。

ちょっとした庭園もあり、池もあり、水琴窟もあり。気持ちのいいスケールにほっこり。歴史を受け継ぎ、現代に合わせながら大切にしていく人々がいて、そしての価値を認める人々がいて、私は嬉しかったです。

2020年

12月

12日

S様邸 気密

今回は気密のお話をします。

S様邸では、断熱材に室内の湿気が入り込まないように、内装ボードの裏に気密シートをグルっと張り込んでいます。

ダウンライトやコンセントなどの設備の裏にも気密シートを回して気密切れが起きないようにしています。壁内に湿気が入り込んでしまうと、カビや結露、木材の腐食に繋がる場合があるので、何度もしつこくチェックしながら施工してもらいました。なれていなかった職人達も、だんだん当然の事と変わっていってくれました。

2020年

11月

08日

S様邸 外壁

11月に入り、外壁ファサードが立ち上がって参りました。板金屋さんと朝現場で張り始めた瞬間に、「あ!いいじゃん!!」これはカッコ良くなると八木は確信いたしました。

現場のテンションも上り、来てくれたお施主様も喜んでくれたので安心しました。鉄骨建方時からの変遷を写真にしてみましたが、やはり嬉しいですね。ちなみに白い透湿防水シートの下には、外断熱のスタイロボードが張られています。

 

この外壁材は、表面はガルバリウム鋼板で耐候性が高く、芯材は15ミリの成形断熱材でできています。金属サイディングの欠点である遮熱性に対応した建材です。そのため一般の窯業系サイディングと比べ重さが1/5程度で軽量なため、地震力による揺れを抑制することができるため、構造部材サイズの合理化につながりました。また、継ぎ手でシーリングを使わない納まりなので、防水性が高いのも特徴です。

そして何より私が重要と思い拘ったのが、その裏の通気層です。

縦胴縁を途中でカットして隙間を設け、足元から入った空気の上昇気流が、横方向にも逃げられるよう通気ルートを確保しています。

外壁に取り付く設備機器や窓サッシが途中にあっても、建物一体で気流が廻り、最後には必ず屋根の笠木まで辿り着き、外部に空気を排出できるような計画としています。

壁面の作り方としては、建物外側から順に、外皮遮熱層、通気層、防水層、外断熱層、内断熱層、内部仕上げの構成となっています。

 

 また、外壁下端の止縁には、底に水抜き穴を現場加工開けてもらい、雨水が入り込んでも溜まることなくスムーズに排水できるようにしてあります。

私は常々思うのですが、見せる部分を美しく維持していくためには、見えない部分に倍以上の努力を注ぎ込むべきだと思っています。

「ディテールは、より緻密なディテールで支えられている」

下地工事がいかに重要か、現場で監督さんや職人さんに伝え続ける毎日を送っています。

2020年

11月

02日

S様邸 内装下地、断熱施工

このところ内装の天井、床、壁下地が一気に進んでいきました。毎朝現場で指示を出しているので気づいたらあっという間に時間が過ぎていました。

今回は下地を木で組んでいるので、細部の納めが加工しやすく、大工さん達が工夫できるのが最大の利点。よく相談しながらやってます。床根太も105✕45@303で組んでますので、天井野縁も設備類もガッシリ自由に吊れるようにしています。ドンと来い!って感じです。

外断熱のスタイロボードで覆ってきているのですが、南側の開口が広いから室内が明るいですね。

下地胴縁と共に、断熱材も施工します。一般的に鉄骨造ではヒートブリッジが悩みのタネかと思います。

そこで今回は、鉄骨の外側(壁・屋根共)に外部からの遮熱を目的とした外断熱スタイロボードを張ります。そして内側は室内の保温を目的としたグラスウール(壁内は100ミリ厚、天井は155ミリ厚高性能タイプ)でしっかり断熱し、快適な室内環境をつくります。

この辺りは丁寧に丁寧に、設備配線や造作納まりと並行して進めています。

2020年

10月

29日

S様邸 防水工事

本日は天気が良いので屋根のFRP防水を行いました。平場の突付なので、施工を邪魔しないよう足場からそっと見守りながら。遠くには富士山も見えました。

天井根太の上に構造用合板を張り、その上に断熱材スタイロボードを敷き、防水フィルムを敷いてケイカル板張り、迄が下地です。

そしてそこからFRP防水。法22条地域として火の粉に強いよう、ガラスマットは二重張り仕様です。トップコート色はグレーでまとめ、立ち上がり天端まで切れ目なくグルっと施工して完了です。

2020年

10月

18日

S様邸 根太組み

現場では床の根太組みが進んでいます。同時に鉄骨胴縁や土間下砕石敷きなど、色んな職人さんが忙しく働いています。

先日、階段の手摺が付きました。休憩時間に一枚パチリ。職人さんの帽子が引っ掛けてある風景が微笑ましくも現場らしいなと思いました。秋の良い日差しが気持ちいいですね。

 

さあ皆さん、頑張っていきましょう。お願いします!

2020年

10月

14日

東山旧岸邸

仕事で御殿場に行った折に、東山の旧岸邸を見学してきました。

東名高速より東側の東山地区は、明治の頃から多くの政財界要人や外国人の別荘が建てられた地域。緑豊かで落ち着いた環境は、人々の心身をリフレッシュできる社交の場になりました。

 

この建物は1969年に竣工し、施主は元首相の岸信介氏(先日辞任した安倍総理の祖父)、設計は近代数寄屋建築の大家の吉田五十八氏が手掛けました。

 

北側から木立を抜けてアプローチし、玄関ホールを抜け来客用の居間に入ると、南側には小川の流れる開放的な庭園が広がります。上の写真は庭園からの振り返り。

庭越しに森を眺めているだけで、心が癒やされていくのが分かります。海の別荘とは違う、森の別荘の良さですね。

内部の造作や使用している材は、どれも丁寧に良い材が使われています。納まりのディテールも艶があります。

設計した吉田五十八氏によると、政治家の別荘はいかに私的であれ、いつ公的な要素が入ってくるか分からないので、サービス部門を中心に配置し、来客スペースと生活スペースをスムーズに分ける空間構成に配慮したとのこと。数寄屋の大家といえどそこは一流の建築家、押さえるところは押えています。事実この建物を建てたのは岸さんが総理を辞任した後ですが、日本の各国際団体の要職を努めていた関係でアラブの国王まで訪れていますしね。

 

住まいとしての機能が美しい自然と一体になった、素晴らしい建物でした。

もしひとつ言えるなら、床材の張替えを検討してもいいかも。なんてお節介かな・・・。

2020年

10月

06日

S様邸 コンクリート4週強度

さて、基礎コンクリートの強度はどうなっているか?

今日は4週間工場で養生しておいたテストピースの強度試験。結果は36.5N。設計が24N、補正で+6N足して、合計30Nだったので、良質な基礎コンクリートとなりました!自信あります。

こうしてしっかり検査して確認しておけば、お施主様も安心です。

これから長い年月、この家をしっかりと支えて下さいね。

2020年

9月

30日

S様邸 確認中間検査(建方)

本日は中間検査の第二回目。「屋根の小屋組み工事及び構造耐力上主要な軸組工事」が終わりましたので、検査官に見てもらいました。鉄骨の工程には主に、建方、建て寄り、本締め、溶接、超音波探傷試験、サビ止め塗装等があり、八木紀彰建築設計事務所では、重要工程では事前に工事方法の指示及び現場立ち会いを必ずしています。今回はサビ止めも2種類使用したり、外壁胴縁の止め方を工夫したりと、詳細な施工が求められたので、職人さんと常に一緒にいたような気がします。

みんなで頑張って、無事検査は合格。ほっと一息です。

2020年

9月

22日

yamanashi

9月のシルバーウィークに山梨県立美術館に行ってきました。ここはミレーの作品を展示する美術館として有名です。ちょうどクールベの特別展もやっていたので、中学生時代にクールベの模写を描いたことのある身としては興味がありました。

建物は前川國男の設計です。昨年弘前で前川建築を巡ってから、やっと山梨に来ました。タイルを用いた設計、開口部のプロポーション、閉じているように見えながら、内部に入ると落ち着いた光に満ちる空間は、とても気持ちが良いものでした。ただ明るいとは違う、利用者の心理を汲み取った調光です。

動線が伸びやかに進む平面計画は、寸尺の箱に間を納める日本的な感覚というより、道を進みながら何かが現れる、コルビュジェ直伝の感性なのかもしれません。

展示されていたミレーの「種を蒔く人」は、雄々しくてとても素晴らしかったです。農民の力強さを感じました。

その後は武田信玄の躑躅ヶ崎館跡の武田神社へ。大きな神社ではありませんが、やはり地図で見ているだけと実際に来るとでは違いますね。甲府駅のあたりから地形が北に向かってずっと坂になっており、その上に建っていました。強固な防御施設とせずとも、ここから街を見渡し、領民との距離を縮めた程々の感覚が、甲府に経済発展を導いたのかもしれませんね。「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり」。なんとなく信玄の眼差しが分かったような気がしました。

2020年

9月

16日

S様邸上棟

本日は大安吉日、天気は晴れ。

S様邸の鉄骨建方開始、上棟です。

 

午前8時30分から2t車で7台の鉄骨が運ばれて来ました。今日の分は主に柱とメインフレームの大梁です。仮組みをして建物の骨格を組み立てる作業を行います。

3階建ての柱は、2階の途中で現場溶接して継ぐようになっており、柱と梁のパネルゾーンは工場溶接で組み立ててあります。その部分は前回工場検査の時にチェック済みです。

敷地に余裕がない中で、道路際上空に電線が通っているので、これに当たらないようクレーンで部材を釣り上げて慎重に設置しました。

みんなで安全管理に一生懸命務めました。

 

こうしてみると2階の梁が一番梁せいがあり、3階、R階に行くほど負担が軽くなる設計になっているのが分かります。この日は上棟式も無事行い、良い建方になりました。

2020年

9月

15日

S様邸コンクリート仕上がり

コンクリートの打設後、型枠の規定存置期間を経て脱型し、基礎コンクリートが現れました。目視ではジャンカや割れなどもなく、良質なコンクリートの予感。私は毎日手のひらで表面を触って祈ってましたからね(ちょっと変な人かも)。ちなみにコンクリートは硬化に向かって化学反応を起こしていると少し暖かいです。

さて本日は、打設後1週間経過後の強度を確認するためコンクリート工場にやってきました。

3本の供試体の平均強度が、設計強度の8割あれば明日の鉄骨建方にいけるかなと思いつつ。

結果は平均25.2N/mm2。設計強度が24N/mm2だから、80%の20N/mm2ぐらい出てればと思って来ましたが、予想以上の良い結果。実際に現場打ちした24+補正値6=30N/mm2✕80%としても24N/mm2なので、それも上回っています。

もちろん工場で標準養生(一定水温のもと理想的環境に置かれたもの)されたものと、現場で鉄筋があり温度変化ありの厳しい状態に置かれたものとは違うので、このくらいの結果でも気を引き締めていいのかも(と、工場の方に念を押された)。

いずれにしろ、明日の鉄骨建方を迎えるコンクリート基礎としては強度は十分。

現場では、埋戻しされたコンクリート基礎が静かに時を待っております。

2020年

9月

08日

S様邸コンクリート工事

本日はS様邸の基礎コンクリート打設。ここまで大変なこともありましたが、何とかこの日を迎えることができました。

と思ったら、過ぎ去ったはずの台風の名残りで午前中は凄い雨、雷まで鳴る始末。延期するか、どうするか、明日の天気はと全員で協議。

しかし!昼前に雨がやみ、「今だ!!」と基礎底に溜まった雨水をポンプで排水し、更にスポンジでドロを清掃し、午後から打設を開始しました(結果的には、濡れた型枠に打つことができて一番良かったのかも)。

今回の配合強度は設計強度24+補正6=30。スランプは15。強いコンクリートを打ちます。高周波をかけ、突き棒も活用し、計画数量ちょうどで完了。最後は柱天端廻りの清掃と、打設面の鏝押さえ、養生としてシートを掛けて本日の作業を終了しました。

私も一日中汗びっしょり、緊張感を持って職人さんと一緒になって作業をして疲れましたが、やりきった!現場にも連帯感が生まれました。

2020年

9月

03日

S様邸 確認中間検査(配筋)

昨日は確認中間検査でした。

結果は合格です。

 

重量鉄骨造ですので、基礎も通常の木造住宅よりハードになります。決して大きな面積ではないのですが、この鉄筋を組むために、8月後半は大変でした。

猛暑の中、職人さんが頑張ってくれました。

工務店と監理者もしっかり自主検査し、徹底的に手直しを行いました。

合格証も頂きましたので、現場は次のコンクリート工事に向かいます。

2020年

8月

21日

S様邸鉄骨工場検査

昨日はS様邸で使う鉄骨の工場検査に構造設計者と行ってまいりました。写真のように各部材も出番を待っています。製品の寸法や仕口の確認、溶接部の超音波探傷検査など全てOKでした。

鉄骨って傍で見ると独特の雰囲気があり、美しいものです。

ちなみに現場の方はというと、ただいま鉄筋工事の真っ最中。

猛暑の中(本当に暑いんです)、職人さん達が一生懸命組んでいます。

この日は地梁の主筋を圧接して、超音波探傷試験を行いました。

 

今回は重量鉄骨の建物なので、木造2階建て程度のベタ基礎のようにはいかず、がっしりと鉄筋を組んでいきます。後からコンクリートに隠れるところなので、重点監理です。

2020年

7月

31日

S様邸埋蔵文化財

S様邸、本日は静岡市埋蔵文化財課の立会い検査でした。長い雨で予定がずれてしまいましたが、なんとか今月中に行うことができました。

 

このあたりは弥生時代の遺跡地域に含まれるので、根切りが終わった段階で、遺跡が出てないか確認をするのです。それだけ昔から住みやすい地域ということでしょうか。

今回の掘削は、GLから1300程度の深さなので、特に遺跡が出ることも有りませんでした。工事によって深く掘った場合にもし出たら・・・、工事を一度止めるそうです。ちょっと大変そうです。

 

いや~良かった。

地盤も砂礫層で耐力的には良好なので、このまま土工事をきっちりやってもらいましょう。

2020年

7月

14日

S様邸地鎮祭

7/12(日)はS様邸の地鎮祭でした。7月の豪雨の中で、この日だけ奇跡のように晴天でした。

設計に着手したのが1年前。いろいろなことを経て、こうして無事執り行うことができとても良かったです。しばらくは天気を睨みながらの工事になりますが、関係者一同協力して、頑張っていい建築をつくります!

2020年

5月

27日

名刺入れ

静岡聖母幼稚園の園長先生に名刺をデザインして差し上げたら、お返しに名刺入れをいただきました。なんと使われている素材は、久能山東照宮御神木のヒノキ。静岡県現代の名工/青島清一氏の手によるもので、蓋を乗せるとフワ~と下がって閉じるのです。

 

園長先生のお父様が材木屋さんで、その縁でご入手いただいたとのことでした。園長先生、お父様、ありがとうございます。八木は何度もなでて香りをかいでおります。

改めて本年度よりの園長先生の就任を祝うと共に、今後の活躍をお祈りしています。

2020年

5月

20日

新茶

新茶のパックができました。

味は、うん、あの土地の味。と、あの土地の匂い。

これは自分にしか分からないか(笑)

甘みとともに、舌の両サイドのちょっと下からコクを感じます。

リーフのお茶ですね。

 

そう考えるとペットボトルのお茶って、

産地が分からない味がするんだよな~。

 

 

2020年

5月

10日

URAYAMA FARM お茶刈

ゴールデンウィークにお茶刈をしました。

2回に分けて、合計90キロ。それを製茶してもらって21キロの新茶ができました。

 

今年は気候の影響で成長にばらつきがあり、畝によっても差がありましたので、良さそうなところを選別して取りました。

 

早速できたお茶を淹れて飲んでみましたが、想像より?まろやかな味でした。

この土地の味というのでしょうか。

ありがたいことに注文もいただいていたので、なんとか届けることができそうで良かったです(前述の通り、とても少数のキロ数なので(汗))。

今年はコロナの影響で外出することができず、苦しい日々ですが、こうして自由に自然に触れ合える場所があるということは貴重な事ですね。目の前のキウイ畑越しに南を望む風景が私のお気に入りです。

心のリセットをし、また来週から仕事に向き合いたいと思います。

 

2020年

4月

25日

高草山

焼津市の高草山に登ってきました。

笛吹段公園からの一枚です。

 

志太平野で育った身としては、平野の東にそびえる高草山の姿を見ない日はなく、標高501mというその高さから、富士山は高草山の7倍以上なんて思っていたものでした。

 

とはいえ登ったのは今回が初めてで、志太平野が一望できる眺望に感慨ひとしお。

小川国夫がどこかで志太平野の姿について書いていたことを思い出しました。

こう見るとなかなか豊かな所なんだなあ。

2020年

3月

08日

伝統建築の調査

年末から時間が経ってしまい、気づけば誕生日を迎えていました。

ブログを書こうとはしていたのですが、諸々はっきりしない日々が続き、手控えていたらこの季節。ここまで間が空いたのは初めてです。

年明けには横浜国立大学の同窓会から3月下旬の作品展覧会の出品依頼がありましたが、コロナウイルスの影響でイベントは中止になりました。JIA静岡の方でも、毎年4月の総会時に開催する建築家講演会を中止とするなど、影響が出ています。

一方で2月中旬に行ったみかんぐみの竹内さんによるエコハウスの講演会は開催ができ、多くの来場をいただきました。設計者仲間に久々に再開することもでき、嬉しい時間が過ごせました。

 

昨日は懇意にしている構造設計者に、伝統建築の現地確認をしてもらいました。私自身は価値のある材を使ったものだから大事にしたほうがいいと常々考え、住まい手にも伝えていたのですが、古いから構造的にどうなのか不安もあると思い、セカンドオピニオンとして一度見てもらいましょうと機会を設けました。結果は大丈夫だろうと。もし補強をするならここというところもありますが、全体で支持する柔構造のため安易に壁を入れるとそこに応力が集中するため、控えめな考え方のほうがいいかもしれません。

 

あとはその建物をどのようにしていくか。住まい手の判断になってくるかと思います。

 

ちなみに私は、古い建物の現在における価値を図るときに、経済合理性や構造的な数値だけで全てを決めるのではなく、地域での根付き方や周辺環境との関係、使用材料やそこでの時間や思いを時間をかけて判断すべきだと思っています。人には立ち入れないものと、人と話して整理していくものとありますからね。

大事なものは、できるなら大事にしてあげたい。そんな風に思いました。

 

2019年

12月

30日

年末なので

空がキレイですな~。と、竹林越しに仰ぎ見ているのは娘の琉花(小1)です。

秋に伊豆に出かけた時の写真ですが、今まさにこんな気分。仕事納めは27日に終わったはずなのに雑事に追われ・・・、いや~今年は疲れました。放心です。

振り返ってみると、やはり建築家協会の会長を引き受けたのが効いてますね。常に何かあるので、時間とお金が飛んでいく。経験は残りますが、また来年からの2年の任期を受けたけど、やり通せるのかどうか・・・。

でもまあ、うちは家族が幸い明るいので、賑やかさに救われなんとかやっています。なのでたまには家族を登場させてみたいと思います。妻のMARIKO氏と下の娘の玲名(1才)です。お寺の石段も上り下りできるようになりました。この子の成長が加速度的で日々驚いています。

息子の遥詩(小6)は、バスケットボールをやっていて、この秋最後の公式戦で負けて終わったばかり。もっとこうしたら勝てたのに、ああしたら良かったのにと、あれから毎日聞きました。いろいろ思い出したり、気持ちの整理がつかないこともあったみたいだけど、残りの時間でどうミニバスを終わらせていくか、そして次に向かって何をしていくか・・・。

足湯に浸かってぼんやりする、こういう時間も大切だとお父さんは思いますよ。負けん気ばかり強くて手のかかる息子が父は好きです(笑)

この日は癒やしの小旅行でして、修善寺と伊豆高原にブラっと出かけました。思えばこの2年半ほど、週末はほとんど試合や練習でそろって出かけられることも少なかったと思います。息子としては空いた時間を持て余す半分、やっと息抜ける半分、日常を取り戻していくような時間です。

行動が楽になったのは、玲名が歩けるようになったのも大きいんですけどね。今度の3月で2才になります。琉花も背が伸びました。小1で123センチ。クラスの女子で一番大きいんだとか。幼稚園の時は言いたいことを我慢して感情をハッキリ表に出さないと先生が心配していましたが、小学校に入ったら周りに揉まれたのか、ガンガン言ってきますね(笑)。いいことです。学校から帰ったら、ランドセルを放り投げて遊びに行く子になりました。ガールズクラフトが大好きで、ピアノとバレエをやっています。ピアノは家で弾いてくれるから上達が分かるけど、バレエは外から見れないので、お父さんはほとんど知りません。完全にMARIKO氏と琉花の世界です。はい。

中伊豆ワイナリーでワインを仕入れ、フレンチを食べた後は(MARIKO氏はここでワインを飲んでいるので運転しません)伊豆高原へ。初めて大室山に登りました。仕事で通るたびに丸裸で可愛らしい山だな~と思っていましたが、いやいや甘く見てました。リフトに乗ると怖い怖い、牙を剥いてまいりまして、「落ちたら死ぬ?」って10回くらい遥詩が聞いてきました(笑)。

しかし山頂に着くとそこからの眺めは素晴らしかったです。城ヶ崎海岸に向けて広がる伊豆高原の別荘地がよく見えました。上から眺めると家々が緑に囲まれていて、ヨーロッパみたいでした。遥詩の顔も晴れやかになってきた気がします。

時々家でびっくりしたりするんですよ。うちにはまだこんなに小さい子がいるって。遥詩の周りで一人っ子の家なら、もうほとんど手のかかる子育ては終わりで後は勉強頑張ってって感じなのに、うちはまだまだこれからです。同じようなご家庭の方々、気持ちわかりますよね。

子供の性格がどっち似とかはどうなんでしょうね。それぞれ状況に応じて個性があるので分かりませんが、逆に誰にも似てなくてもいいと思っています。ただ琉花だけは、僕(姉と妹あり)と同じ真ん中の子ということで、性格が手にとるように分かり、それをネタにお互いいつもふざけています。3人目が生まれて、みんなのマスコット的存在になってから、子供同士の仲でも和ができた気がします。とりあえず分かることは、みんな伸び伸びした人たちです。

 

何だかこう振り返ってみて、今年が完全に終わった感じがしました(笑)。

お正月はゆっくり休んで力をためて、来年も頑張っていきましょうかね。

それでは皆様、良いお年を!!

2019年

12月

08日

四日市にて2

夕方からは四日市港のクルーズに。夕陽でプラントに輝いて独特の雰囲気を醸し出しています。この四日市旧港港湾施設は国指定重要文化財(近代化遺産)となっています。江戸時代から伊勢湾の代表的な港として栄え、明治3年には東京~四日市航路が開設された港も、次第に土砂が埋まり汽船の入港が困難になってきました。そこで明治6年から明治17年にかけて、地元の廻船問屋稲葉三右衛門が私財を投じて46,000m2を埋め立て、半円形防波堤に囲まれた、水深2.4メートル、延長400メートルの埠頭を持つ港湾が完成しました。

その後明治21年の暴風雨により破損したため修築されたのが、写真にアップした潮吹き防波堤です。ここには波のシュミレーション施設もあり、動かしてみました。潮吹き防波堤は堤が2列になっており、高波の時には小堤を乗り越えた波が大堤にあたるのですが、大堤には五角形の水抜き穴が49ヶ所あり(写真の海面にあるもの)、波が港内に流れて堤体の破壊を免れるという巧妙な構造となっています。よくできていまして、建築家達が一同声を上げて感心していました。こういうものを見ることが私は本当に大事だと思っていて、先端技術も大切だけど、本質的な原理に基づく知恵も大切ということを深く感じます。

約1時間ほどの四日市コンビナート夜景クルーズ。昔は公害のイメージもありましたが、今ではクルーズをするようになりました。

ここは元々、日本海軍の燃料廠があった場所で、それが敗戦によりなくなり、広大な土地が企業に払い下げられ現在の四日市コンビナートの形になったようです。西日本でいえば、山口県の徳山のコンビナートが有名ですね。コンビナートの中に、コンビナートのための発電所があったり、パイプラインの橋がかかっていたり、特有の仕組みを見ることができました。何よりここで多くの人が働いていることを実感しました。夜風が気持ちよかったです。

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2019年

11月

24日

四日市にて1

こんにちは。11月8日の金曜日に建築家協会の役員会のために三重県四日市市に行ってきました。名古屋からJR関西本線に乗り換えて40分弱。駅としては近鉄四日市のほうが栄えているらしく、海側のJR四日市駅は閑散としていました。今日はその海側の話です。線路の東側に向かい相生橋を渡り、運河を越えていきます。コンビナートの姿を見て、四日市に来たんだと実感します。そこから5分ほど歩き会場に到着しました。本日の役員会の会場は、我が国最大の紡績会社、東洋紡の創始者であり、紡績王と呼ばれた第十世伊藤伝七の別邸(1896年)です。

とても綺麗な状態です。約600坪の敷地に木造建築と日本庭園を擁し、「玄関棟」と切妻造りの「さつき棟」は国の登録有形文化財に指定されています。立派だな~と見ていて、ん?1896年?って・・・明治29年?

そうです。いくらなんでもそのままの状態であるはずがなく、保存修復が入っています。実はこの建物は1906年からは料亭として使われ、要人御用達の迎賓館的存在として、四日市の繁栄の象徴でありました。しかしその料亭が、2017年に建物老朽化と後継者不在のため、歴史の幕を閉じることになりました。地域の方々の再生へ思いはありましたが、建物の想像を絶する老朽化を前に、専門家達は修復不能と匙を投げました。

もはや存続が風前の灯火となった時に、ひとりの実業家が再生への挑戦を宣言しました。

かつて織田信長の水軍として活躍した九鬼水軍末裔、九鬼家11代目当主九鬼紋七氏(やっぱり伊勢の国ですから、ここぞと言う時にはこういう人が出てくるんですよ)。修復不能と言われた改修工事は困難を極めたようですが、粘り強く慎重に進め、職人たちの知恵と支援者達に支えられながら奇跡的な再生を果たしたとのことでした。

実際私達が会議と会食で使わせていただきましたが、とてもよい建築でした。一つ一つの素材を大切に受け継いで使っていこうという意思を感じました。

2019年

11月

03日

青森にて

帰りは岩木山を左に眺めながら津軽平野を北上し、本州最北の美術館、青森県立美術館へ。三内丸山遺跡のそばに位置します。新青森からバスがなく、タクシーで行きながらこの辺りの地形を眺めていたのですが、遠く奥羽山脈からつながる丘陵が陸奥湾に落ち込み、手のひらで包まれたような形の小さな青森平野に縄文時代から人々が住んでいたということを知ると、厳しい気候の中でも外敵からは守られた安全な地域だったことがうかがわれます。この日(10月18日)は日中暖かく、走ると汗ばむくらいでした。

 

さて建物の設計は青木淳さん。以前講演を聞き著書も読みましたが、正直よく分かりませんでした。なので百聞は一見にしかず、いい機会です。建築の基本構成は、三内丸山遺跡の発掘現場の濠から着想を得たようで、広大な原っぱのような敷地の地面が幾何学的に切り込まれています。その上に白く塗装したレンガの塊が覆いかぶさり、その隙間の空間が展示空間となっています。1階で受付をしてどこに行くのかと思ったら、エレベーターで地下2階まで下りて、そこからスタートとのこと。この直接機械に頼る構成がいいのかどうか、正直微妙なところで、私としては歩きながら下りていくことで芸術世界にゆっくりと分け入る心理的操作をしてもいいのではと思いました。建物の断面コンセプトに気を取られすぎて上下の移動に面白みがないというか、もったいないというか。う~ん、どうなんでしょう。

 

展示の方は、シャガールのバレエ「アレコ」の背景画や、青森出身の奈良美智の作品、そして郷土が誇る版画家棟方志功の展示が特徴的でした。写真公開OKの作品をアップしましたが、特に棟方志功の作品は、作者の意思により広く世に広めてほしいということでした。

棟方志功の死してなお残るこのメンタリティー。行きの新幹線の中で読んでいた太宰治の「津軽」で感じるが如く、中央に対する反骨や自意識が、自己の創作姿勢に深く影響しているのかもしれないと感じました。

 

美術館の回りはだだっ広い芝で何もなく、外構計画としては不思議な感覚でしたが、冬になれば全てが雪に覆われることを考えれば、ここは冬の美術館なのかもしれませんね。でもその場合どこを通っていくのだろうと少し心配も…。

さて今回の旅の記録はここまで。

弘前、青森の印象はと聞かれたら、「意外と明るい」。もっと厳しいのかなと勝手に思い込んでいました。もちろんまだ10月ということもありますが、のどかな地域の雰囲気というのかな。どこを見ても森がある優しい風景でした。

北国なんだと実感したことといえば、住宅に軒樋がついてないこと、雪下ろしのために屋根に登れるよう外壁にハシゴがついていること。それも素直な営みで納得しました。また来れる機会があることを楽しみにしています。