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2019年

10月

21日

弘前にて2

弘前は教会が多い街です。歴史的建造物として大切に残され愛されています。写真は左から、明治8年創立の、東北最古のプロテスタント教会である日本キリスト教団弘前教会。明治末期建設で、祭壇はオランダの聖トマス教会から、ステンドグラスはカナダのカロン神父から贈られたカトリック弘前教会。そしてイギリス国教会の流れを組み、宣教師であり建築家のジェームズ・M・ガーディナー設計によるイギリス積みレンガで建造された日本聖公会弘前昇天教会です。

日本では江戸時代にキリシタンは禁止されていましたが、幕末の開国をきっかけに各地に広がりました。西洋人が開国してまず建てるのは、商館と教会ですからね。弘前は宣教師館や洋館が随所に残されているのですが、私もなぜこんな本州北端の地にと思ったのですが、よく考えると外国に対し早くに開港した函館が近いんですね。函館から見れば、本州の一番近い城下町。函館から蝦夷地内部に進む宣教師もいたでしょうが、やはり本州に対して布教を広げようと思ったら、まずは弘前からだったのかもしれません。

その一方で弘前城の南と南西にはお寺が多いんですね。それもまとまった地域に集められていて、さしずめ寺院街といった様相。

弘前大学医学部附属病院の脇を南に下っていって現れたのが最勝院五重塔(国指定重要文化財)でした。津軽統一の際に戦死した全ての人々を供養するために建造されたといわれており、津軽家の菩提寺である長勝寺と並ぶ格式を持った代表的な寺院です。早朝の境内の石畳は美しく清められておりました。

ここから西に少し歩けば弘前高校の正門に着きますが、太宰治(津島修治)の出身校の旧制弘前高校はもう少し南東に位置し、旧陸軍第8師団跡地も含め現在弘前大学になっています。太宰自身は、青森中学、旧制弘前高校、東京帝国大学へと進みました。中学時代に一生懸命勉強した後、旧制高校時代に義太夫に凝ったり芸者と仲良くなったり、土手町でハメをはずしたことが、作家としての太宰のいい味を作り出したようです。

さて師団と言えばのおまけですが、市役所の横に建つこの建物、何か分かりますか?人気のコーヒーチェーン、スターバックスです。緑の看板が控えめについています。

1917年(大正6年)に、旧陸軍第八師団長官舎として建てられ、戦後は進駐軍のアメリカ軍司令官宿舎として使用され、それが今はスタバとは・・・。驚いたけど、そこまで活用してくれるっていうのは大したものです。この街の人々は、歴史的に価値ある建築を大切に長く使ってくれるから、まちづくりとしても上手くいっている気がしました。

2019年

10月

19日

弘前にて1

10/17、18と日本建築家協会の全国大会で弘前に行ってきました。津軽平野は初めてです。

新幹線の道中では、太宰治の「津軽」を再読しながらやって来ました。「弘前は津軽人の魂の拠りどころである」太宰の故郷への等身大の愛と思いが軽妙に語られるこの本を手元にしのばせることで何を感じるかは分かりませんが、とりあえず自分なりの弘前準備。

さて初日は全国地域会長会議。昼すぎに着いて急いでまちを歩き(写真は文化活動の場/百石町展示館:1883年築)、6時過ぎまで会議をしたら、外は暗くなっていました。

ウェルカムパーティー会場の弘前市民会館まで弘前公園の中を歩いて行きましたが、途中弘前城がライトアップされていてきれいでした。旧城郭内は思いの外広く、緑も多く、門や水濠がしっかりと保存されている印象。まちなかにも歴史的建造物が多く残されており、感心していたのですが、あとで知ったところ弘前って第二次世界大戦で空襲がなかったんですね。陸軍の第8師団がある軍都としても有名だったので、そんなはずはないと思いこんでいたのですが意外でした。

闇夜に浮かぶ弘前城本丸は写真で見ると忽然と現れているようですが、本当は今いる場所は仮の場所。石垣がはらんできて修理工事をする為に、曳家をされています。周りに付属建物がないので不思議な感じもしますね。明日はこの向こうに岩木山が見えることを期待します。

会場の弘前市民会館は建築家・前川國男の設計です。夜ですが、なかなか味があります。

前川さんは東京帝国大学を卒業した後、フランスに渡り、ル・コルビュジェのアトリエで修行をして帰国した、日本のモダニズム建築の巨匠です。

東京丸の内の東京海上ビル本館、上野の国立西洋美術館の向かいの東京文化会館といえばご存知の人もいるはず。

私の故郷の藤枝市立図書館も前川さんの設計で、よく通いました。

実はこの弘前ですが、前川建築が現在8つ残っており、前川建築詣でのまちとして建築界では有名です。

駐仏外交官だった前川さんの伯父さんの縁もありフランスに渡ることができ、更に弘前が父型の祖母の出身地で親戚も多く残っており、時の市長にも気にいられたため数々の公共建築を手掛けることができたとか。建築家にとって、縁を大事にすることがいかに大切か、しみじみ思いました。

 

館内は全国から集った建築家たちで大賑わい。一般の人は分かりませんが、私達はマニアックなので、前川建築の締まったコンクリートの梁を眺めながらお酒を飲むだけでご満悦(笑)。会話の内容は寒冷地での凍害対策の設計について。りんごの産地ということで、シードルも出てましたが、私は豊盃という地酒をいただきました。とても美味しかったです。

この弘前大会では、青森だけでなく福島や宮城など東北地方の同世代の建築家たちも頑張ってくれており、とてもよい夜を過ごすことができました。再会でき嬉しかったです。ありがとうございました。

2019年

9月

30日

JIA東海支部大会けんちくかフェス

9月28日(土)の午後に、名古屋市の円頓寺、四間道界隈に行ってきました。私が所属する建築家協会東海支部大会「けんちくかフェス」がこの辺りのまちなかで開催されていまして、最終日のまち歩きとレセプションに参加するためです。

 

この日は午前中は現在設計中のS様邸の打ち合わせでした。お施主様のご夫妻は建築に関わる専門家でもあり、その姿勢や生活への思いを尊重しながらひとつひとつセレクトしながら進めさせて頂いています。いつもお子様に負担をかけてしまい申し訳ない反面、毎週土曜日はいい家の実現に向けた緊張感のある楽しい時間です。

お昼すぎに打ち合わせが終わり、せっかくだからビールでも飲みながら空いている新幹線のこだまでのんびり行こうとホームで待っていたら、到着したのはラグビーW杯を掛川経由でエコパまで見に行く、アイルランドと日本の応援団で超満員のコダマエクスプレス!ええ!?

shizuoka?shizuoka?と何度も聞かれ、案内し、自分は後続のひかりで(逆に空いてました)名古屋に向かいました。ふ~、びっくりした~。

さて一転して名古屋のまちはゆったり気分。商店街を抜けて参加者の一団に合流したら、皆さん橋の上でガヤガヤと地図をのぞいています。そう、ここは名古屋市西区の堀川。名古屋駅から徒歩15分くらいの位置です。その昔名古屋城築城の折に清須から商人達が移ってきてこの運河沿いに荷上場や蔵を築いて財をなし、現在でも古い建物が残されていて、それをカフェやレストランに改装して人が集まる人気のエリアになっています。愛知トリエンナーレの会場にもなった保存地区です。

夕方は一緒にまち歩きをした法政大学特任教授陣内秀信氏の講演会でした。円頓寺商店街の中にあるボルダリングを行うスペースに改装した建物(ボルダリングKNOT)で、陣内先生も珍しいと顔がほころび、都市の水辺空間、名古屋の水都学的解説を寛いだ雰囲気で聞かせていただきました。

講演の休憩中に、隣のお店の中から、とある先輩建築家に手招きされ、入ってみるとテレビ中継で日本がアイルランドに勝ちそうだと。まあまあ、まあ座りなさいと生ビールをごちそうになり、一緒に大興奮、そして勝利!!いや~良かった!今日はいいな~。講演の後半聞いてないけど今日は自由だ。

夜のパーティーでは上機嫌でワインを飲みました。楽しみました。しかし帰りの名古屋駅でつい目の前に来たこだまに乗ってしまったのが運の尽き。掛川から緑と桜のジャージのお祭り集団が大量に乗ってきて車内は興奮状態が止まらない!!私も仲良く巻き込まれた夜でした。

2019年

8月

11日

安曇野ちひろ美術館

お盆前の8月8日に、長野の安曇野ちひろ美術館に家族と行ってきました。11年ぶりの再訪でした。安曇野ICからの田園風景、公園内の建物に至るアプローチ、北アルプスを背景にした三角の大屋根は何一つ変わらず、ああ帰ってきたなと感じるものがありました。

建物は内藤廣氏の設計で、コンクリートの躯体の上に木造の屋根がゆったりとかかり、中庭を中心に置いたゆとりのある動線計画となっています。岩崎ちひろの作品世界に浸りながらも、外に目を向ければ松川村の自然豊かな風景が目を癒やしてくれます。

戦争中に夫を失った岩崎ちひろは、空襲で東京から疎開したこの地において、今後の人生を模索し、作家となることを決意したといいます。おそらく当時は周囲に本当に何もない環境だったのでしょう。だからこそ自分の世界に向き合うことを志したのかもしれません。私自身、11年前に来た時は、一番上の男の子が生まれて8ヶ月の頃でした。まだベビーカーも気恥ずかしかった頃でしたが、この美術館の、こどもの世界でありながら大人がしっかりと細部までデザインをしている姿、子供と一緒に過ごしやすいよう配慮された空間に感銘を受けました。

今回は真ん中の娘が興味を抱き、自分から行ってみたいと言うので連れてきましたが、私が好きな世界に共感してくれたようでちょっと嬉しかったです。下の子も芝生の上を元気に走り回っていました。うちの子も兄妹といってもそれぞれ個性があるようで、兄の方は絵を描くのは得意だけど造形は苦手。妹は絵より造形の方が好きで、暇さえあれば兄が絵を描く横で何かを製作中です。この日は地元の松川中学の生徒さんの読み聞かせや缶バッジ作りにも参加し、良い時間を過ごすことができました。ありがとうございました。

2019年

7月

25日

地盤調査

暑い日が続きますね。

昨日は設計中の住宅の地盤調査を行いました。

今回の手法はボーリング・標準貫入試験。計画建物の基礎底からの所定の深さを設定し、掘削しながら各層の土質や地耐力、地下水位などを調べていくやり方です。土を採取するので目視することができ、一番確かな調査方法です。

 

右の写真で、分銅のような重りが釣り上げられているのが分かりますか?

この重り(63.5kg)を76cmの高さから落下させ、地中の層に先端を30cm貫入させるために、何回打撃したかで地耐力を評価します。

1m掘り進む毎にやれば、縦方向の折れ線グラフができてきて、深度何mの層が強うそうだなと分かるわけです。

この調査をやると、この土地の上に建つんだという実感が湧き、さあこれから頑張るぞという気持ちになります。暑い中一緒に汗をかいてくれた業者さん、ありがとうございました。

 

2019年

7月

04日

新国立競技場の様子

6/27のJIA本部総会の空き時間に、外苑西通りに出て陸橋から通りを見たら、何やら円盤のような建物をつくっていました。そうここは新国立競技場建設現場のすぐ近く。だいぶ出来上がってきたようなので様子を見に行ってきました。ちなみに本日7/4の新聞・テレビでも9割がた完成しましたとの報道が出て、内部の客席の様子も公開されていましたね。この日は中までは入れませんでしたが、周囲をぐるっと廻ってみました。

 

建物本体のルーバーの庇で統一された外部ファサードが数百メートルに渡ってぐるっと続いていました。やはり巨大な故に単調さを感じるものがありました。屋根に47都道府県の木を使うという物語はいいのだけど、なにか造形としての楽しさがない。

1964年東京オリンピックの時に丹下健三氏が設計した国立代々木競技場のダイナミズムと比べると、う~ん・・・。心は沸き立たないかなあ。

ザハの案からの一連の流れの中で、工期やコストを考えれば工種を絞るというのも分かるけど、これも正しいんだろうけど、やっぱり予定調和なデザインビルドの寂しさを感じました。

外構やサインができてくれば正面性が現れてくるのかな?11月に完成ということなのでもう少し待ちましょう。

2019年

6月

28日

国立西洋美術館

6/27にJIA本部総会があったので、上野の国立西洋美術館に行ってきました。コルビュジエが設計し世界文化遺産に登録されていることで有名ですが、実は今回の訪問が初めて。美術館前は人通りが絶えることなく、どう頑張っても人が入る写真になりましたが、それが自然ですね。皆さん気持ち良さそうでした。

開催中だった松方コレクションはとても素晴らしいものでした。と同時に、この美術館が生まれた背景を知ることができました。

神戸の川崎造船所の社長を務めた松方幸次郎氏は、第一次世界大戦中のヨーロッパで自社の船舶の売り込みに成功し巨利を得ました。それを元手にイギリスやフランス、ベルギー、オランダ、スペイン、ドイツなどを廻り、美術品を大量に購入。ヨーロッパ在住の日本人画家や各地の美術商の協力を仰ぎながら、名画の収集を進めました。その後の世界大恐慌で会社は傾き、松方氏も立て直しに奔走しましたが、第二次世界大戦でフランス政府に敵国人財産としてフランスに保管していた美術品を差し押さえられてしまいました。戦後の日本政府との返還交渉の中でフランス政府から出た条件が、返還する美術品を専門に展示する美術館の建設でした。

そのためフランスの建築家であるル・コルビュジェが設計を担当することになり、その弟子である前川國男、坂倉準三、吉阪隆正が設計監理に協力して建設されることになったのでした。財政が苦しい当時の日本を反映してか、ファサードの外壁は砂利が埋め込まれたPC版を用いており、素朴なテクスチャーを表しています。地下に潜る構成や吹き抜けも、鑑賞者の心理を考えた、よく練られた建築計画でした。

ハイサイドライトから採光を取り入れた内部の回廊や、あえて表した立柱など、サヴォワ邸を思い出すところもありました。

下の写真はモネの睡蓮。もちろん撮影用のデジタル画像ですが、こんなサービスもやってくれるんですね。設計したコルビュジェは想像もしなかったかもしれませんが、ありがたく撮影させていただきました。

しかしやっぱり国立美術館。名画が素晴らしい。胸いっぱいになり癒やされました。

2019年

5月

26日

小園新茶を楽しむ会

こんにちは。

静岡はここのところ暑い日が続きます。

 

本日は名古屋市那古野のステーショナリーカフェNO DETAIL IS SMALLさんにて、URAYAMA FARMで取れた小園新茶を楽しむ会が開かれました。このありがたい企画に、静岡からお茶のパックを40個ほど持ってやってきました。

販売会をしつつ、ランチに茶粥懐石を振る舞いましょうということで、カフェオーナーの矢田さんが企画して下さいました。

会の前にまずはこのカフェの紹介を。

実はこのカフェのオーナーはJIA東海支部長を務める建築家です。普段から静岡地域会長の私が大変お世話になっておりまして。その縁で本日開催の運びとなりました。

 

この建物は2階が設計事務所になっており、1階に奥様が主に運営されるオリジナルリングノートを作れるカフェが入っています。

以前、岡崎のとある有名文房具店を設計された時にいろいろな商品や紙のことを勉強され、ご自身たちでもやってみようと起業されたとか。芸大出身のお二人ですから、センスよくデザインの腕を他分野に展開できるのでしょう。

 

愛着のあるノートを使えば、日常が変わります。リフィルの差し替えもできるので、是非ご覧になって下さいね。当日も大学生やカップル、大人が親子で訪れるなど、世に広がる文具熱、文具愛を感じました。

さて会が始まり、私の方からお茶が育った地域や風土のことを、持参した土や茶の枝に触れながら、生育過程やどこまで摘むかなど説明させていただきました。そして冷茶で出していただいた新茶を皆さんと味わいました。正直ここまで美味しく淹れていただいた矢田さんに感謝です。感激しました。

それにしても皆さん、写真やメモに熱心で、聞けば文房具朝食会@名古屋の方たちだとか。それを知って私も嬉しくなって逆にたくさん文房具の質問をしてしまいました。

美味しかった。

楽しかった。

いいなあこんな企画、こういう人々との集い。皆さん近隣の市にお住まいとかで、意識があればこのために気軽に集まって下さる感覚。嬉しかったです。

有名な文具ブロガー、はちみつを愛する方、音楽を愛し、ものづくりを愛し、提灯を作ったりと、様々な方との出会いを通し、建築設計からのスピンオフの楽しさを実感した一日でした。ありがとうございました。

2019年

5月

13日

お蔵の修理

今日はURAYAMA FARMのお蔵の修理です。先日、石造りのお蔵の入り口の建具のレールが破損してしまったと相談がありました。

 

建具自体が耐火性を考慮した漆喰塗りの壁のようなものなので重量があるのですが、それを受ける足元の木のレールを内部の荷物を出す時に引っ掛けて割ってしまい、建具が落ちて閉まらなくなってしまったとのこと。

見てみてレールの簡単な部分交換でいけそうだったので、材料を買ってきて自分でやることにしました。用意したものはヒノキの12ミリの角棒と小刀と紙やすり、釘、金槌、鋸。

既存レールの寸法に合わせて角棒から外形をとって削り、紙やすりで整え、釘打ちして終わりです。作業自体はいたってシンプル。

きっと蔵の施工で用いられている技術が、こんな感じのシンプルな技術の集合でできているからこそ、時を経ても手をかけやすく、長く持つのかもしれません。先人の配慮ですね。

2019年

5月

10日

名古屋城

本日はJIAの総会が名古屋であったので、その前に名古屋城を訪れました。散々名古屋に来ておきながら実は今回が初めてです。

地下鉄市役所駅で降り、東門から入り二の丸の先にまず現れたのは、本丸東南の辰巳櫓でした。ん?あれれ、なんかデカイ・・・。見慣れた静岡の駿府城と違い空堀なのでそびえ立ち感が半端ない。櫓も立派で、その距離感から明らかに鉄砲や大筒での攻城戦を視野に入れていることが分かります。対豊臣を想定した、江戸初期の軍事要塞ですね。その威容を横目に、表二之門をくぐり虎口を経て本丸へ進みます。

戦争により空襲で焼失した本丸御殿の復元工事が開始されたのは2009年。それから3期9年の工事を経て、昨年の2018年に全体公開となりました。

写真は内部の梅の間で、将軍をもてなす上級家臣の控えの間です。天井板の桟や障子を見ても、簡素なデザインで若干無骨なスケール感が分かります。たとえ襖絵や装飾があっても、武家の建物であることを感じました。

ちなみに現在の御殿は玄関、表書院、対面所、下御膳所、上洛殿、御湯殿書院などが復元されていますが、展示してあった古図面を見ると、もっと多くの室がいくつもの廊下で網の目のようにつながれ、多くの人々が働いていた様子が分かります。徳川御三家筆頭、尾張62万石の政庁と感じました。

御殿を過ぎると、北西の天守閣が見えてきました。現在は残念ながら耐震性の問題で内部見学ができませんが、その問題解決と共に資料に基づいた天守閣の木造復元計画が進められているそうなので、楽しみに待ちたいと思います。

ちなみに屋根の上の金の鯱ですが、1体の重量が1200キロ以上あります。水を呼ぶ火除けのまじない、徳川家の権力と財力の象徴は、地元トヨタの小型車1台分ほどの重さです。また足元の石垣の石には所々目印が施されています。天下普請として請け負った大名達が、他の大名の石と区別できるよう刻印を打ったようです。

さてお目当ての場所にやってきました。西北の戌亥櫓・清須櫓の前に立ち、北側の水堀の向こうの市街地を望みます。何か気づきますか?正解は土地の高さが違います。ここまで坂や階段を登ってきたわけでもないのに、今いる地面が向こうの建物の3階から4階ぐらいの高さですから、10m位土地の高低差があります。実は名古屋城は熱田台地の西北端に建てられており、この高低差を利用した守りの堅い軍事要塞になっているのでした。これを以前知ってから、現地で直に確かめたいとずっと思っていて、確かめるにはここに立つのが一番と思いやってきた次第です。

ということで、今日の目的の半分はこの高低差の確認。納得。満足しました。

いつも名古屋に来ると、名古屋駅から栄とか、大学とかに向かうくらいでしたが、今回改めて名古屋城に来ることで、やっと名古屋のまちづくりの始まりに立つことができました。

三の丸の家老屋敷跡地が官庁街、その南の碁盤の目状の街区が現在の中心市街地となっていますが、城下建設当時に、この地域の地形を巧みに利用しながら名古屋の基礎を作り上げたことを理解することができました。

思えば家康が秀吉に駿府から葦原だらけの江戸に追いやられ、家臣達と長年苦労して大都市を作り上げた経験が生きたのかもしれません。徳川家の人々の努力に頭が下がりました。

総会後の講演会ではJIA東北の鈴木副支部長が、震災後の復興や地域の現実について講演してくださりました。ボランティアの限界、民間での知恵、建築家が日常から地域へ入っていくことの大切さなどを学びました。また、業容を固定しずぎず、いろいろな形の事業をしてもいいんじゃないかという可能性を感じる講演会でした。