2013年

12月

30日

横浜の夜

昨夜は大学時代のアルバイト先の同窓会に行ってきました。

人によっては15年ぶりの再会・・・、懐かしさでいっぱいでした。

 

同じ学科の子に紹介されて始めた、横浜駅東口のスペインレストランでのアルバイト。

それまで何をやっても長続きしなかったけど、楽しい仲間たちのおかげで2年半お世話になりました。

 

ギター弾きのおじさんにフラメンコショー、個性的なシェフにユニークなお客さんの数々・・・。

そう、基本濃いんです!そして僕はそういう人がいいみたい(笑)

 

お店はビルの11階にあったので、客席の大きなガラス窓からみなとみらいの景色が一望に見えました。

 

自分が一番好きだった季節は、11月から年末にかけた夕方6時半頃。

夜の帳が下り始め、冬の冴え冴えとした空気の中で夜景がキリッと浮かび上がってくると、

これから怒涛の忙しさが始まると分かっていながら静かな気分になったものでした。

 

あれから横浜の東口には日産のグローバルオフィスや富士ゼロックスのビルができて、少しずつ景色が変わってきたけど、ベイスターズが優勝したり、よく朝までお店でワインを飲み明かしたりした、あの頃出会った人達のおかげで自分の20代前半はできていたような気がする。

 

また会いましょう、飲みましょう!

 

 

2013年

12月

18日

クリスマス会

今日は息子の幼稚園のクリスマス会に行ってきました。

今年最後となる彼も、年長として伝統の聖劇を立派にやりとげていました。

 

練習中は笑ってしまったり集中できなかったりしたことも多かったようですが、

本番では臆すること無く堂々としてました。

 

入園後初めて見たクリスマス会では、こんなことできるとは想像さえできず、

年中で暴れまわっていたころは絶対無理だと諦めてましたが・・・、涙です。

 

ヨゼフ役、良かったぞ。明日もガンバれよ!

 

 

2013年

12月

16日

忘年会

あっというまに師走がやって来ました。

皆さん風邪など引いていませんか?

 

先週は忘年会が3回・・・。お付き合いとはいえこたえます。

まあ昔より酒量を抑えるようになってきたと思いますが、最近酔いが回るのが早いです(笑)

 

今年もあと2週間。

この時期になると、なぜかいつも緊張します。

 

慎重に淡々と日々が過ぎていくけれど、ちょっとした人との会話で嬉しくなったり気分がほぐれたり。

 

人との縁を感じるこの頃です。

 

 

2013年

11月

27日

今日は一日ようちえん

吹き付ける風が日増しに冷たくなり、秋も終わりに近づいてまいりました。

今日は一日休みをとって幼稚園の活動に参加してきました。

 

午前中は園に講師を招いての文化講演会。子供の自己肯定感(自尊感情)を伸ばすための言葉かけの工夫やコミュニケーション能力を高めるため、ワークショップを交え貴重なお話を伺いました。

 

といっても、何も特別なことをするわけではありません。しっかりスキンシップをし、向き合い、待ち、子供なりの理由を理解していくこと。様々な経験を体感的に積ませることで、脳を鍛え精神的成長につなげていくなど、その理由を理論的に説明して頂けたことが良かったです。納得してできますしね。

 

 

午後は園長先生と全日本私立幼稚園連合会静岡地区フォーラムに出席してきました。幼児教育の無償化を目指した集まりでしたが、子育てをとりまく環境について、恥ずかしながら知らないことが多々有りました。

 

まず保育園は厚労省、幼稚園は文科省の管轄。ここまでは分かります。しかし現在の公費投入額は圧倒的に保育園のほうが多いです。もうじゃぶじゃぶ。園舎を建てる時の施設補助も必要だと認められれば8割は出ます。

 

一方で幼稚園。8割なんて夢のまた夢・・・まず出ません。

さらに公立幼稚園と私立幼稚園で圧倒的な助成金の格差が。うちの私立幼稚園は月額21500円ですが、近所の公立幼稚園は月額7000円。まあ後で知って正直悔やみましたが(笑)

 

実は私立の幼稚園の先生方が、待遇的にも一番辛いんですね。それなのになんとか頑張ってやってくれている。尊い仕事と認識し、教諭という資格を持って、幼児教育というものに向き合ってくれてます。

 

もちろん保育士の方々も各々の場所で頑張ってくれてますが、パート保育士を3交代ローテーションで回しながら、長時間子供をみている保育所などでは、やはり教育というところまで届かないのが実情のようでした。

 

現在の子供子育て支援法。たくさん長く預けて、どんどん働けということなんでしょうか。

実際のところ、待機児童は都市部にこそ居ますが、非都市部では幼稚園も保育園も定員割れしています。全国一律に法の網をかけるのは無理があります。

 

更にはっきり言えば、保育所の保育時間を増やしても、社会が理解しなければ就労時間が増えていくだけなので、親子の触れ合いにはつながりません。子育てがめんどくさいと思う人が増えるだけです。そしてそういう人ほど自分の子供は良い教育を受けられていないと思いがち。

 

よくよく考えれば、小さな子供がいる家庭は、親もまだ経済的にゆとりのない世代。幼稚園へしっかり助成することで親の負担を減らし、更に幼児教育の充実にしっかり打ち込める環境を作ってあげることで、先生方の離職率も下げることができるというもの。

 

デザインの仕事をやっていると幼児教育の大切さを痛感します。今や多くの分野の仕事が海外でアウトソーシングされていますが、それができない分野こそ創造性や知性が必要とされる分野です。それには様々な体感する経験が不可欠です。個々の感性に深く沈潜していたものが、大学などの最後の高等教育を経て花開いていきます。

 

それが国力を作っていく。

 

フィンランドの例もあります。

 

幼児教育への投資こそ、最も将来性の高い効果ある事業なのではないかと思います。

 

父母の会会長を努めて8ヶ月。自分なりにだんだん見えてきたような気がする最近です(遅い(笑))

 

 

 

 

 

2013年

11月

23日

ノルウェーの建築

10日ほど前に買ったa+u。

今回の特集はノルウェーの建築プロジェクトでした。

 

正直開くまで、ノルウェー?あんなところに面白い建築あるの?という感じでしたが、意外や意外。

 

結構面白い・・・。

 

スカンジナビア半島西側の大自然に覆われたフィヨルドのイメージしかなかったけど、近年の石油産業に支えられた景気の拡大。人口が局所集中することのない分散した地形。

10人に1人は別荘を持っている暮らしぶりなど、若手建築家を育成するにはもってこいの環境とのことで、独創性あるプロジェクトが数多く実現し地域の再開発が進んでいます。

 

再開発と言っても、日本のように不動産投資先行の考え方とは違い、豊かな自然環境の中で建築が身近な潜在力を引き出せば、新たな環境をつくりだすという、自立した建築の在り方を豊富に示しています。

 

とてもシンプル。だからこそ日本の建築家たちがなんとかやろうと日々格闘しているテーマでもあります。

 

ヴァナキュラーではないけれど、ちょっと注目です。

2013年

11月

03日

長浜にて

敦賀に出張した帰りに、北陸本線を途中下車して長浜に寄ってきました。

長浜は秀吉が開いた北国街道沿いの城下町。戦災に遭わなかったので古い町並みがたくさん残っていました。

そこに平成元年に写真の黒壁スクエアがオープンし、ガラス工芸を中心にアートシーンで盛り上がり、徐々にお店も増えて大賑わいです。

この日も駅からは想像できないほどの人でびっくり。写真のあおりもひどくてびっくりです。

 

昔の商家をコンバージョンしたまちづくり役場。中にはラジオ局まで入ってます。

近江牛に鯖寿司、地酒に長浜ラーメンなどなど、カフェやスイーツ、工房にクラフトと一帯にはお店がぎっしり。

 

古い町並みの活性化を目指した例は全国にいくつもあるけど、ここまでくると若者が出店したくなるのもうなずけます。だって歴史とともに未来があるもんね。

 

何より他と違うのは、店員さんがみんな綺麗。そこ大事!

 

さて未来といえばもうひとつ、長浜にお目当てがありまして・・・

 

今年オープンしたヤンマーミュージアムです。

そう、「ヤン坊、マー坊、天気予報~」の企業です。

 

ヤンマー株式会社はもともとディーゼルエンジンを主とした発動機の会社です。現在は農機具や建設機械、マリン、エアコンや発電機などの産業用機械など動力機械を基本に幅広く事業展開をしています。

 

ミュージアムは「海洋:水盤」、「大地:屋上緑化」、「都市:ガラスとコンクリートボックス」で表現されています。

まちなかの黒壁あたりを散策して、シャトルバスでここに来るのが定番コースになってるようで、ボランティアの人も運転手さんも皆さんホントに親切。

じゃん!新型トラクター。実はヤンマーは現在デザインの力で会社を一新させようとしています。

国内の農業人口が頭打ちになる中、カッコイイ農業を目指し、トラクターのデザインもフェラーリをデザインしてきた奥山清行に依頼。

農作業着は滝沢直己、総合プロデュースに佐藤可士和を起用。そういえば展示のフォントもどことなく国立新美術館のフォントに似てたりして・・・。

 

家族連れや明らかに機械好きの彼について来たカップルなど、みんな機械に興味津々。

たぶん退職したOBかな、おじさんたちが熱心に子供達に教えてくれていました。

きれいなお姉ちゃんじゃないそういうところ、イイよヤンマー!

 

硬派な男たちが、伝えることに目覚めだした!

魅せましょうデザインの底力を!

ガンバレ!

 

 

2013年

10月

20日

島根紀行その6

出雲大社の大鳥居から参道にそって南に歩くこと約10分。

出雲市役所大社支所の裏側にある、大社文化プレイスです。

 

菊竹清訓事務所出身の伊東豊雄が設計し、1999年に竣工した複合施設。

複数のホールからなる「うらら館」と出雲市立大社図書館「でんでんむし」から構成されています。

 

ゆるやかなカーブのアプローチ、半ば盛土で埋まったような建物を大屋根が一体的に包みながら、カーテンウォールがくっきりと形態を定義しています。

 

竣工模型を上からのぞいてみると、なんだかこの地方特産の勾玉のようにも見えますね。

三角地をどう使うかへの回答だとしても、多少は意識していたりして・・・。

 

小ホールと大ホールが大きな空間に挿入するように配置され、人々は特定の場所にいることを強要されずゆるゆると居場所を選ぶことができる雰囲気です。

 

広い場所で待ち合わせするも、少し奥で立ち話するも、続いているいったい空間の中で視線を区切ること無く移動だけで成立します。

 

このあたりの雰囲気や思想が、その後伊東さんの名前を一躍世界的に有名にした仙台メディアテークに引き継がれていったのだろう。

 

この日は曇りだったんだけど、ホールの採光をカーテンウォールから取り入れる自然光を基本とし、過度に照明をギラギラさせていないのがいいのかもしれない。

 

よく考えれば一日の中の時間帯でいろいろな照度があるのが当たり前で、こういった地方の文化施設としてはそれを素直に受け入れたほうがしっくりくる。

 

ザ・立派なホール、綺羅びやかなホワイエ、ゴージャスなソファーが欲しいわけではないのだ。

 

 

図書館「でんでんむし」に入ると一転、光のシリンダーから自然光が満ち溢れてくる。

 

外から想像もできないほど人がいる。図書の並べやすさ第一とした、決して四角い空間ではない。

だけどその有機的な変化が自然で、使いやすそうなのだ。図書館なのに、生命力と躍動感がある。

 

事実、学生が勉強したり市民が自由に利用している様子はちょっと微笑ましい。

こんな片田舎でも向学心に燃えているんだ・・・と、無礼を承知で感心したくらい。

 

今日、出雲の地で見た二つの現代建築。

槇さんの「設計したものをこの地につくり与える」というスタンスに対し、伊東さんは「自分自身をこの地に一度下ろし、そこから一緒になって立ち上がらせる」というスタンスのような気がする。

 

ようするに、人間の営みを許容することができる、懐の差とでもいうのか。

槇さんには悪いけど、現代的でありながら、ある意味土着的になれる伊東さんの勝ちだ。

旅の最後に満足でした。

 

そしてこの後、特色が分からない出雲そばなるものを駅で食べ、地獄の帰路につくことになる。

指定席が満席だったので、今度は座れるようにと始発駅で40分前から並びなんとか席にはつけたものの・・・。

特急やくものなんたる凄まじさ!岡山についた時は、Gで地球に下りた宇宙飛行士の気分になりました。

新幹線ってホントに偉大です。

 

3日間の内容でしたが、忙しさでアップするまでに半月も経ってしまいました。

日付自体は合わせておきましたが、どうもすみませんでした。

島根紀行はこれで終了です。長々とお付き合いいただきありがとうございました。

 

 

2013年

10月

20日

島根紀行その5

いや~、昨夜の地酒は旨かった。懐石料理も久しぶり。人間、一人の静かな時間も必要ですね。

 

今日は島根最終日。一畑電車に乗って、出雲大社にやって来ました。しかもご縁電車しまねっこ号です。

まあそれはどうでもいいんですが、来てみてびっくり、出雲大社すごい人です。

 

60年に一度の平成の大遷宮ですから、これを見逃せば生きてる内は次はないってことなんでしょうか。

 

ちなみに伊勢神宮は20年毎行う式年遷宮ですが、出雲大社は損傷が進んだら行う随破遷宮のため、だいたい60年に一度という流動的なもののようです。

 

ドン!

軒先も反りくりシュッ!

妻入りで、グングン!

完成された様式美。いやもはや美とかそんなことではなく、「日本の形式はこういうこと」と言い切られているがごとく。

 

古さや伝統というよりも、もはや時空を超えたロマンを感じる素形というのでしょうか・・・。

 

最近建築を設計する時に、革新的で普遍的とはどういうことだろうかとよく考えます。

それには、仕組みであったり、環境の捉え方であったり、または生き方であったりを、ドライにボンヤリ半分頭を空っぽに考えてみることが必要なんだけど、やっぱりそこでしか機能しない固有性というものが必要な気がする。

 

出雲大社は固有性という意味ではそれはもう当然なんだけど、きっとこの仕組み、神々を集めるということも含めて、千年二千年と民族が存在し続ける限り継承されていくんだろう。

 

なんてことを考えながら、出雲大社の参道を戻る。

途中、頭が良くなるよう牛の頭もさわさわ。

 

そして東隣りの、島根県立出雲歴史博物館へ。

 

設計は槇文彦。現在、新国立競技場が大きすぎると議論を投げかけている、モダニズム建築の大家です。

 

社の丘を道に沿ってゆっくり廻るように下りてアプローチするこの施設。

 

やはり出雲の鉄をモチーフに、コールテン鋼の壁面が迎えてくれました。

建物は、鉄で覆われた展示空間とガラスで覆われたホール空間で構成されています。

 

何もない平原のようなランドスケープ。

神社の軸線を意識した、真っ直ぐなアプローチが参道のように伸び、ガラスホールが正対して人々を迎えます。

 

展示は縄文から現在に至る暮らしの歴史、石見銀山、半島の形成史から出雲大社の調査考察模型まで。

 

特に興味を持ったのは島根半島のでき方。

 

2万年前の氷河期には隠岐の島まで地続きだった山陰地方が、7000年前には100m以上の海水上昇で半島(宍道湖北側)は切り離され島になり、その後、中国山地の三瓶火山の大噴火で河川流域に堆積物がデルタを形成。広大な出雲平野ができてやがて島とつながり、晴れて島根半島となるというもの。

 

ホテルで目覚めた時に、何でこんな地形なんだろうと思っていたけど、そんな理由があったとは・・・。

 

ガラスホールの状況については、残念ながらひどいの一言。ベタベタとポスターや案内をガラスに貼り、はては外から中が見えないようポリカのボードで覆う始末(値札も付いたまま(泣))

 

ただこういう場合、おうおうにして建物についていけてない運用側が悪いと言う人もいるけれど、今回は人間の活動を許容できていない設計が悪い。いくらカフェやショップといったって、さすがにバックスペース皆無じゃ可哀想過ぎる・・・。

 

だめな現代建築を見た気分になったので、気を取り直して最後のお目当てに行くことにした。

 

参道にいたる出雲のまち。

平たく、広く、出雲平野は広がっていく。

 

 

2013年

10月

19日

島根紀行その4

松江城から下りてきて、武家屋敷群の一角にある田部美術館にやってきました。

もちろん途中で足が攣り、搦手口の馬洗いの池近くで不自然に静止していたのは言うまでもありません・・・。

 

さてこの美術館、菊竹さんの設計手腕を認めた田部長右衛門さん(前記事参照)がとうとう自分の家の美術館設計を依頼。田部家代々の茶器や美術工芸品、藩主松平公ゆかりの品々などが展示されています。

なにしろ田部さん自身が島根新聞社(現山陽中央新報)の社長も努めた生粋の文化人。地域の文化芸術の保護のためこの美術館の建設は悲願だったようです。

 

出雲の田部家といえば、元来はたたら製鉄の経営がルーツ。山林地主となったのも莫大な量の木材を燃やすためでした。そこで菊竹さんは、屋根にコールテン鋼という錆皮膜を施した特殊鋼板を採用しました。

RC造の白亜の建物との対比で、小さく控えめながらも、上品な佇まいが醸しだされています。

 

急勾配の屋根の下はどんな空間になっているかというと、

 

山側を廻りゆったりと回遊しながら、庭側の空中スロープを登って上階に進んでいく動線。

 

化粧突板のシンプルな天井が織りなす勾配変化と、壁面の開口比率が美しい、展開図のプロポーションが非常に優れた内部空間。

 

決して華美ではない、どちらかと言うと素朴で温かい雰囲気です。おっとりとした松江の気質を、お二人はよく分かっていたんでしょう。

 

気質といえば長屋門にある受付でお金を払う時に、続きの割引シートを出したら、

 

「お兄さん、次のとこで使いやすいように切り込み入れといてあげるよ」

 

と受付の女性がハサミで勝手にチョキチョキ切って、タコ足短冊状にしてくれました。

おかげでワサワサになりカバンに入れるのを戸惑っていたら、受付内で隣の女性がくすくす笑いをこらえてる。

「あれ、あたしいいよねぇ。使いやすいもんねぇ・・・」と中でごにょごにょやりとりしている。

 

いいとこです。松江。

 

この建物が面する塩見縄手を歩いていても、お茶会やお花の稽古に向かうのか和服姿の素敵な女性たちに行き交いました。って、すぐ見てしまうのが悪い癖(笑)

 

日常を楽しんで生活していることが伝わってきます。

 

う~ん、やっぱり今夜は交流会はパス。

一人でのんびり食事をすることにしようかな。

 

 

2013年

10月

19日

島根紀行その3

角を曲がったら見えてきた。旧島根県立博物館(現島根県庁第三分庁舎)だ。

島根といえば、田部さんと菊竹さんに触れなければならない。

 

田部長右衛門。日本一の山林大地主であった田部家第23代当主。衆議院議員、島根県知事を歴任し、さらに竹下登元首相の支援者としても有名な、まさに島根のドン!

 

そして建築家・菊竹清訓。昭和30年台、メタボリズムの思想で世界的に注目を集めていた新進気鋭の建築家。縁あって若干28歳の彼をこの建物の設計者に抜擢したのが何を隠そう田部さんだ。

島根にとっても県の文化行政を象徴する建物。周囲はその度量の広さに驚嘆したらしい・・・。

 

久留米出身で筑後川の氾濫をたびたび経験していた菊竹さんは、同様に水害の多い松江で収蔵品を守るため、収蔵スペースを上に持ち上げ集会室やホールを下に配した空間を提案。

 

そしてこの建築のコンセプトを、日本人になじみの深い「くら」と「ざしき」という言葉で説明した。外から見ても何をやろうとしていたかすぐ分かる、明快でシンプルな構成だ。

 

北側のバルコニーから目をやると、県庁庭園越しに松江城が正面に見える。スカッとして毎日見ても飽きなそうだ。

実際この建物にも、松江城を意識して内壁にいぶし瓦貼りが施されていたり、矢狭間を模して小窓を切ってあったりと、菊竹さんが松江城を強く意識していたあとが見えて微笑ましい。

 

でも鉄筋コンクリートで形も四角だし全然違うじゃない・・・と思う人も多いだろう。

 

しかしこの時代の建築、日本のモダニズム建築では、美の拠り所を日本独自の伝統的な木造建築の構造美においていた。法隆寺や国宝の建物を思い浮かべてみてもいい。

 

素材は違っても、軸組の配列、均整のとれたプロポーション、細部の完成度を厳しく追い求める姿勢は変わらない。

そして何より、柱一本一本を御神木並に敬う姿勢があった。いま見ても妙に迫力がある。もちろん現代だってあるんだけれど、当時は建築が少ない。つまりそれを作る人の息吹が生々しいのだ・・・。

 

とかなんとか考えながら、お城に登ってみた。街があって、宍道湖の向こうは中国山地だ。私の足も攣りそうだ・・・。

 

実は島根でひとつ触れたい問題がある。竹島だ。

 

前述の建物の二階は、竹島資料室として使用されている。写真撮影は禁止だったが、意外なことに若いカップルが結構いた。だけど展示の内容は悲惨・・・。

 

韓国が勝手に引いた李承晩ラインによる竹島の不法占拠は今でもよく報道されているけれど、韓国が日本の漁船を片っ端から拿捕し、船員を牢屋にブチ込み、国際的に不当に多くの人々を悲しませて来たことはどれだけの人が知っているだろう。ラインを引いた裏の理由は、要は船を欲しかっただけと思えるくらいに。

 

ただ当時の日本はGHQの占領下だったから、全く身動きがとれなかった。朝鮮戦争も始まり、冷戦も深まり、上手くいかない流れが続きすぎてしまった。

 

ここで展示を見ると、地元の人が受けた苦しみがよく分かる。素朴で正直。竹島で行っていたニホンアシカの漁や関わりも初めて知った。

 

でも何もこんなにこっそり展示しなくてもいい。地元の声が一番なんだから。

 

ふ~。どうしようこの急傾斜の階段・・・。絶対攣る。分かる。攣る。

さっきお姉さんたちの写真撮ってあげた時既にピキピキきてたし(汗)

下りれない~。

 

 

2013年

10月

19日

島根紀行その2

二日目の夜が明けた。

ホテルの窓から外を見ると、裏町の向こうに大きな湖が広がっていて驚いた。

 

橋のたもとの山陰合同銀行のビルが街並みに不釣り合いなほど大きいけれど、

よく考えれば山陰地方最大の地銀。

 

資本を形にするとこんなものなのかもしれない・・・、

なんてボンヤリしている場合じゃない!

 

今日は朝からセッションだ、急げ~。

といいながら出されたものはしっかり食べる・・・。

 

は~、終わった終わった!

 

午前中?ええ~、頑張りましたよ。

ディスカッションはがんばりました。木造講演会は寝ました(笑)

 

最後に委員のみんなで記念撮影。

・・・なんか変です。

 

頭が切妻屋根の猫は島根のゆるキャラ「しまねっこ」だとか。

忍者と武士は不明です。なぜか巫女共々当然のごとく居る感じ・・・。

他のご当地にもやっぱり同じようなワンセットがいるんでしょうか。

 

このメンバーでの任期もあと半年。2年なんて早いものです。

全国から集まっているメンバーだと、普段遠い分、逆に気が置けなくて

さっぱりしていいと個人的には思っています。

 

やれやれと役目が終わったら、珍しく猛烈にお腹が空いてきて、バイキングで盛り食い。

そしたらなんだか無頼な気分になってきたので、式典はパスして一人でまちを歩くことにしました。

 

 

ぶらぶらと。途中仕事の電話でクラクラと。

 

松江はお堀で囲まれた水の町。この堀川を船で廻るのが定番コースだとか。やっぱり落ち着きますね。

 

橋の欄干に寄りかかって見ていたら、若い女性の観光客が思いのほか多いことに気がついた。

おっとりしてコンパクト。危ない雰囲気皆無だし?確かにいいかもしれません。みんな真面目そう。

 

上の右の建物は、旧日銀松江支店。現在は工房や飲食店、イベントスペースが入った賑の拠点になってます。

 

明治23年当時、小泉八雲が木橋であった松江大橋を渡る時に、下駄の音がカラコロと響きそれに心を惹かれたことが命名の由来だとか・・・。

 

行く前はな~んか意味無理やりだなぁ・・・なんて思っていたけど、来てみるとノスタルジックな感じで結構まちに合ってます(笑)

和菓子に彫金、ステンドグラスに勾玉などなど、体験メニューが目白押しで、満員かつ真剣そのもの。

 

そういえばまちを歩いてて思ったんだけど、チェーン店らしきものも少ないし、コンビニもほとんど見かけない。流行っていようがいまいが基本路面店。

 

あまり世間のことを気にしないで、好きな事に夢中になれるのも、城下町ならではなのかもしれません。

 

自分達のまちで、自分達の価値観で、幸せそうだなぁ・・・。

 

 

 

 

2013年

10月

18日

島根紀行その1

建築士会の全国大会に参加するため、島根県松江市のくにびきメッセにやって来ました。

 

ふぅ~、ここまでホントに長かった・・・(泣)

 

始発の新幹線で岡山まで2時間半。岡山からは特急やくもで更に2時間半。激混み激揺れの中国山地。諸々6時間の旅で体はすでにガタガタです。

そのうえ松江はおおらかなのか、どのお店も看板は営業中なのに、入口は全て準備中・・・。

なんとか見つけた小料理屋で遅刻覚悟でお昼にありつき、やっとのことでスタートです!

さて大会前日の今日は、私が所属する日本建築士会連合会青年委員会主催で、第4回全国建築士フォーラムを開催しました。

 

内容は、全国7ブロック(北海道、東北、関東甲信越、東海北陸、近畿、中四国、九州)から選出された、地域実践活動代表事例の発表会です。

 

全体発表とワークショップを行い、参加者が様々な角度から理解を深めた上で最終投票を行います。

 

私も運営担当として半年前から準備に関わってきましたが、今日の役目は司会者です。

会場の国際会議場が全国の建築士達で満員になっていく光景を眺めながら、きっとうまくいく予感がしました。

全体発表では、各発表者ともプレゼンに並々ならぬ力の入れよう。長い年月をかけて積み重ねてきた自分たちのまちづくりへの取り組みを、限られた時間で伝えることは大変だったと思いますが、皆さん分かりやすく、伝わりやすく、時間通りに進めて下さり大変助かりました。

 

揃いの衣装や、実物持参、中には小芝居を交えて・・・。

個性豊かな発表に、ライバルたちは興味津々で見入っていました。

 

全体発表の次はワークショップ。

各自興味を持った2事例のブースに参加してもらいました。

 

そもそもの発端や事業の流れ、運営上の問題点や苦労話、打開策など濃い話がいっぱい。

良かった点やもっと良くするための検討、時には自らの経験も交えながら、慣れてきたら皆さん喋る喋る。

コーディネーターさん達もご苦労様でした。

投票の結果、今年の日本建築士会連合会会長賞は長野県建築士会佐久支部の

 

 「まちづくりへの挑戦

~佐久穂の〈まちなみ〉再考プロジェクト~」

 

が受賞しました。建築士会と信州大学が手を組み、地域の人々を巻き込み活性化へとつながる活動で、当日は出版した本も持参して下さいました。

本当におめでとうございます。

 

夜、くにびき大橋を渡りながらパチリ。

「何もない夜景やろ」と言われたけれど、これも松江の夜。さあ、疲れた体で一杯やろう。

 

 

 

 

2013年

10月

12日

運動会&稚児行列

秋晴れの空の下、午前中に息子の幼稚園の運動会、午後に近所の熊野神社の稚児行列に参加してきました。

 

思い起こせば3年前、当時年長の子供達のはつらつとした立派な姿を見て、うちの息子がいつかああなるなんて全く想像できなかったけど、今日見て本当に驚きました。

 

なってるなってる!!

 

組体操に綱引き、リレーに応援。立派な姿にちょっとホロリ。先生方に心から感謝。成長した息子に感動です。

 

お父さんの綱引きで勝ったら、息子がすごく喜んでくれました。いつも会議が重なって最後までいられなかった運動会だったけど、今年はいい思い出ができました。

 

そして疲れ果てた息子が足を引きずり、眠気と戦い、午後ももうひと頑張り(笑)

少子化で町内会の人に頼まれ断りきれず参加したけど、衣装もなかなか決まっていました。

 

今日は手放しで褒めますよ。ご苦労様でした。

 

 

 

 

 

 

2013年

9月

29日

宝石探し

昨日は富士の奇石博物館へ宝石探しに行ってきました。お目当ては9月の誕生石サファイア。

 

深いブルーの輝き、なんとしても手に入れたい!

と家族みんな気合充分(笑)

 

水槽の砂利の中から宝石だけを探し出すのですが、種類は全部で40種以上もあり、周りを見ると大人のほうが真剣です(笑)

 

たまに5ミリ角の金属のサイコロ見つけることができれば、大きな宝石と交換してくれます。

うちも以前、アメジスト、ローズクオーツ、タイガーズアイなどを獲得してきました。

本日のお目当てはS(サファイア)かB(誕生月)が刻印されたサイコロ。

 

どこだ~!と、必死に探した1時間でしたが、

残念ながら見つかりませんでした・・・(泣)

 

でも、他にもたくさんの宝石が見つかりました。

 

何より息子が色々な鉱物や色彩に興味を持ってくれるのが一番です。と、自分を納得させる親たち(笑)

お陰様で今日は朝から背中がピキピキなのでした。

 

 

2013年

9月

15日

静岡県住まい博

 

昨日、今日と、静岡県住まい博に参加しました。

 

昨日は日本建築家協会静岡地域会からの相談員として、今日は静岡県建築士会の青年企画委員として(汗)

 

お会いできた皆様、ありがとうございました。

 

左は、本日建築士会のブースでお配りしたパンフレットです。私が委員長を務めている青年企画委員会のみんなで知恵を出し合って作成し、本会事務局の窓口や各イベントで配布しています。

 

内容は、住宅をつくる際の企画段階から完成までの流れの中で、各段階の要所で大切なことを整理してまとめてあります。

 

建て主がよくわからない状況のまま家づくりが進行してしまうことのないよう、それぞれの工程の意味、品質確保のために重要なことなど、かしこく住まいづくりに取り組む為の虎の巻!

 

一般の方向けに分かりやすくした内容ですが、設計側と施工側のメンバーのエッセンスがつまっています。さらに内容を聞きたい方はいつでも御相談を受付けています。お気軽にお問い合わせ下さい。

 

今日パンフレットをお渡しする中で気づいたことは、

 

「建築士さんとどうやって知りあえばいいんですか?」

 

「地元でやっている人の名簿の一覧とかないんですか?」

 

「誰かいい人いませんか?」

 

という、良き出会いを求める声の多さ。

 

「います、目の前に!」と言いたいところですが、今日は公益社団法人として営業なしで参加している手前、そこは控えめに説明させていただきました(笑)

 

建築士名簿の閲覧は建築士会事務局でできます。

建築士事務所名簿の閲覧も建築士事務所協会でできます。

 

しかし名簿を開いた瞬間分かるはず。

 

誰がいいのか分からない・・・。

 

そうなんです。例え名簿があっても業界の人間でなければ文字の羅列にしかすぎません。ましてその建築士が何歳なのか、どんな人柄なのか、子供はいるのか、信頼の置ける人物なのかを知ることはできません。

 

やはり会ってみないとわかりません。そのためには自分で探していただくしかありません。

 

しかしそうは言っても、いくらインターネットが普及したからといって業界事情が右も左も分からない一般の方にとっては限度があります。あっちで言うことと、こっちで言うことが全然違うなんてよくある話です。

 

なので我々は、このようなイベントを通して一人でも多くの方と出会い、中立的な立場で技術や情報をお伝えし、品質の向上や生命財産の確保の為に皆さんが最善の選択をできるよう活動しています。

地道で根気のいることですが、私は必要だと思っています。

 

他の人の家の完成事例も気にはなるかと思いますが、やはり土地や条件の違うご自分の家は全くの別物。

 

結局は相性や人間次第です。

 

だからこそ出会いが本当に大切なんです。

一人でも多くの皆様と良き出会いがありますように。

 

 

 

 

2013年

9月

08日

お見舞い

今日は母方の祖父のお見舞いに清水へ。

ちょうど従兄弟も産まれた子供を連れて東京から帰ってきてるというので、何か手土産をと探しつつ、

県立美術館の近くのパン屋さん、プティタプティへ寄りました。

 

実はこのお店、以前うちの事務所の名刺を置いてもらったことも有り、オーナーの川中さんにはお世話になっていたのですが、ここ最近は通えずじまい(汗)

そうするとなんだか逆に行きづらくなっちゃったりしてたのですが・・・

 

スタッフさん:「いらっしゃいませ~」

自分            :「こんにちは~」

(ああ、相変わらず完成度高い。美味しそ~。)

 

ん?レジ後ろの窓から視線が・・・。

ドキドキ。そしてなぜかコソコソ(笑)

 

 「ゴルゴンゾーラにはちみつかかってるのと、イチジクのデニッシュ、

クロワッサンとオレンジの乗ったやつ。あと季節野菜のこれも美味しそ~」

 

見てしまったら止まらない!だってもうここのパンは料理だもん!!

と、興奮してたら、あ・・・。

 

川中さん:「こんちわ!」ペコリ

自分    :「あ、こんちわ(照)」ペコリ

川中さん:「最近はやっぱ駆け込み需要とかあるんですか~?」

自分    :「あ、消費税。え、どうでしょうね、僕のとこは事務所だからあれですけどでもよく聞きますね~」

 

って動揺してしどろもどろ。オイオイ、今やってる仕事もそれがらみでしょ(笑)

 

書くまでもないまったく普通の会話なんだけど、なんか嬉しかった。

ありがとうございます。また通わせてもらいます!!

 

そして清水へ

お見舞いしたおじいちゃんはイスに座ったままずっと寝ていた。95歳、老衰だ。

おばあちゃんと話をし、おばさんにお寿司をごちそうになる。いとこの子も元気でいい子だった。

 

帰りがけおじいちゃんが目を開けた。話もできた。子供の手を握らせて肩に触れた。

「また来いよ」

「うん」

 

帰り道、車を運転しながらなんだか涙が出てきた。なぜか乾杯の歌詞が口から出てきた。

長く働いたじいちゃんが引退し、市から表彰された時の食事会で小学生の僕が独唱したっけ。

カラオケが使えなくて少し間違えたけど、ありがとうって言ってくれた気がする。

 

もう、25年も前だ。

 

「あれからどれ~くらい」か・・・。

 

少しずつ心の準備をするよ、じいちゃん。

 

 

 

 

 

2013年

9月

04日

JIA秋の予定

夜は急に涼しくなりましたね。

毎年恒例、お隣のお嬢さんの夏休み最後のピアノの練習が終わったと思ったら、鈴虫が鳴きだしました。

 

さて実は今、JIA(日本建築家協会)静岡地域会で建築ウォッチングを企画しています。

 

先週フレンチのビストロに誘われたと思ったら、なぜか自分がコース決めの担当になってしまったのですが(笑)、なんとか大枠のスケジュールが決まりました。

 

公益事業として一般参加も募りますので、建築家と一緒に建物を見て回ってみたいという方は是非ご参加下さい。

 

10月25日(金)、26日(土)の一泊二日。

場所は八ヶ岳、軽井沢方面です。

 

八ヶ岳高原音楽堂(設計:吉村順三)

 

軽井沢千住博美術館(設計:西沢立衛)

 

セゾン現代美術館(設計:菊竹清訓)

 

星野温泉・ハルニレテラス(設計:東理恵)

 

石の教会・内村鑑三記念堂(設計:ケンドリック・ケロッグ)

 

田崎美術館(設計:原広司)

 

新旧の名作建築を鑑賞しながら、紅葉に染まる軽井沢を一緒に歩きませんか?

 

詳しい予定は、今後決まり次第お知らせしていきます。

 

 

そしてもう一つお知らせです!

 

9月14日(土)~16日(月)まで、静岡市駿河区のツインメッセで

「静岡県住まい博」が開催されます。

 

その中の相談コーナーで、JIAとして住宅計画一般相談を受け持つのですが、

14日(土)の相談を私が担当します。

 

終日相談員としておりますので、何かありましたらお気軽にお越しください。

 

どうぞよろしくお願いします。

 

 

 

 

2013年

8月

26日

Luca Wine

昨日は、私が独立前に勤めていた設計事務所の社長宅に家族でお呼ばれして、食事をご馳走になってきました。

グリーンやステンドグラスに飾られた感性豊かなお住まいで、灯りをしぼればちょっとしたバーのような雰囲気。

 

奥様お手製のアクアパッツァやアヒージョ、ナスのパテに生ハムイチジクと、美味しい料理に舌鼓を打ちながら、キリッと冷えたワインをみんなで楽しくいただきました。

 

そして娘の琉花(ルカ)の誕生のお祝いに、三島のLuca Wineまでいただいてしまいました(汗)

1年経ってもずっと憶えていて下さり、感謝感激です。本当にありがとうございます。

 

私はいつもここに来るとつい飲み過ぎてしまうのですが(笑)、美しく生きる姿勢を持ちながら肩肘張らないそのスタンスがとても心地よく、訪れた人皆が気持ち良い空間と時間を作り出しているのだと思います。

 

ものを創る人は、何を創るかと共に、どう生きるかということがとても大切な気がします。

 

いただいたワイン、ピカソの画集と共に撮ってみました。

 

 

2013年

8月

18日

森の中の水族館

山梨県忍野村の山梨県立富士湧水の里水族館に行ってきました。

ここは2001年にオープンした、富士山麓の森の中にある淡水魚専門の水族館です。

お隣には山梨県水産技術センター忍野支所があり、その名も「さかな公園」の中にあります。

 

車から降りた瞬間、涼しくて風も爽やかで、木立に包まれた清々しい気分になりました。

同じ山梨でも、猛暑と報道されているの甲府の最高気温が嘘のよう(笑)

気持ちのいい予感に胸をふくらませ、歩を進めました。

 

建物は周辺環境に溶け込みながら、湧水の池に浮かぶようなイメージでデザインされています。

竣工から12年が経ち、コンペの時から一貫して注力してきた森の水族館としての佇まいづくりが成功しているように見えました。外壁に全面的に貼った木材もいい具合に風化して、周辺の植生もちょうどよい雰囲気でした。

 

実は表の池には、たくさんの淡水魚がいます。チョウザメなどの大型淡水魚もウヨウヨです。そして池を水槽に見立ててアクリルで仕切り、建物内から見ることができるようになっています。

子供はやっぱり大興奮ですね、張り付いて見ていました。

 

内部中央には大きな二重回遊水槽が配置されています。

内外二重に仕切られた楕円形の大型回遊水槽で、内側に小型魚(マス類の稚魚など)、外側に大型魚(イトウ、ニジマスなど)が遊泳し、大迫力です。

というか淡水魚ってこんなに大きくなるの?ってびっくりしちゃいました(汗)

 

ところでみなさんこの魚をご存知ですか?

そう、クニマスです。っていきなり分かりませんね。

 

クニマスは秋田県田沢湖で1940年頃絶滅したと言われていましたが、70年後の2010年に富士五湖のひとつの西湖で生息していたことが確認されました。新聞やメディアでも大きく取り上げられました。説明してくれた研究員さんのお話では、ヒメマスにしては色が黒いし、クニマスに似ているとはずっと言われていたらしいんですが、まさか地元の漁師さんでDNA鑑定までしようとする人もいなかったので確認が遅れたそうでした。

 

ちなみに昔は魚一匹の価値が米一升と同じだったとか。

透明で豊かな湧水だからそのまま水槽に使い川に放流することもできる。富士山のおかげですね。機械式で循環濾過するシステムとは違い、魚達も幸せそうでした。

 

建物の奥には湧水を使ったじゃぶじゃぶ広場があり、多くの家族連れが遊んでいました。

私達もワーイと早速入ってみると・・・、冷た!!

っていうか痛!!痛って!痛って!イチチチ~(泣)

もう何で~?っていう位の恐ろしい水温・・・。

 

こんなよくある憩ってる風の写真ですが、よく見るとみなさん3秒後には厳し~お顔に変わりますから(笑)

でも楽しかったです。羨ましいですね、湧水。

 

 

2013年

8月

11日

猛暑なので

あまりの暑さに外出することもままならない状況。

それはさすがに子供に可哀想なので川遊びに連れて来ました。

 

実はここ、私が子供の頃夏になると毎日遊んでいた、とっておきの場所。

 

深みの角度や川底の砂利、水流の緩急から岩の形まで昔と何も変わりません。楽しいところも危ないところも全部身を持って知っているので安心なんです。

 

1才の娘もプール筏の上でお昼寝・・・。

プ~カプカして気持ちいいね。

極楽極楽。

息子もゴーグルをつけて泳ぎまわり、自在に潜って魚を追いかけていました。

 

30年前の昔、私の親もこの場所で同じように息子の背中を見つめていたのかもしれません。

 

疲れると岸に上がり、蝉の声を聞きながら対岸の緑を黙って見つめる。

 

子供達が岩から飛び込む姿や嬌声を聞きながら、いつまでこんなことしているのかな、大きくなったらどんな大人になるのかな、なんてぼんやり考えていました。

親から子へ、こうして巡っていくのかもしれませんね。

 

 

 

2013年

8月

05日

ま・あ・る

清水駅西口にある、「静岡市こどもクリエイティブタウン ま・あ・る」に行って来ました。

 

千葉に引っ越した息子の友だちの里帰りに合わせたこの計画。

子供達はただただ再会が嬉しいのか、施設そっちのけで大はしゃぎ(笑)

 

この施設では、子供達が就業体験を通してお金を貯め、それを利用してものを買ったりサービスを受けたりすることができます。

ちなみに通貨は「まある」(笑)。例えば、このお仕事をしたら100まある貯まったぞ!よしあれを買おうって感じです。

 

施設に入ると、入り口の市役所で受付し、ハローワークで仕事を斡旋してもらい、銀行でお金を受け取ったり貯金をしたり。仕事をする社会人の輪郭をなるべく体験できるような疑似体験。

 

しかも各お店の店長を近所の小学生達が登録ボランティアでやっていて、なかなかうまく回してる。

 

まあ男の子の店長さんは居らず女の子だけでしたが、この年代の女の子は男の子より責任感があってこういうことが好きなのかな~と微笑ましく見てました。

ちなみにうちのキッズたちはバスケット籠づくりに挑戦!牛乳パックに色紙を貼る工程までのお仕事です。

 

しかし係の職員の人がなんか急かしていたなあ・・・。

大人が手を出したらしょうがないのにと思いつつ、最低限だけお手伝い。

お金をもらって、「幼稚園」に行って遊んでました(笑)

 

実は冬に、私の所属する日本建築家協会静岡地域会がここでイベントをやる予定です。

子供達に建築教育を行うため、空間体験を企画中。

そのさいはどうぞよろしくお願いします。

 

 

2013年

7月

27日

夏のビーチと原発と

夕暮れの相良サンビーチ。潮風が気持ちいいです。

 

先ほど中部電力浜岡原発を見学してきました。

 

再稼働申請に向けて、対策工事を進めていました。

22mの防潮堤、重さ4トンの防波扉、高台には非常電源装置、ポンプ車も自前で6台、もちろん原発運転員全員が操縦できるよう訓練中とか。

 

途中、エレベーターで上まで上って原子炉建屋に向かう廊下で遠州灘を見渡しました。あの海面が盛り上がり、この空間に面で押し寄せる。恐ろしい容積です。足元の防潮堤が高いのか低いのか、よくわかりませんでした。

 

原発は50年前からある、単純な仕組みの技術です。水の中にぎっしりと並べた燃料棒(ウラン235)の間から、制御棒を抜き取って中性子の動きを活性化させる。中性子がウランにぶつかり核分裂を引き起こし、その熱で水を沸騰させ蒸気を起こし、タービンを回して発電する。

 

原油も必要とせず、天候にも左右されず、二酸化炭素も排出しないで莫大な電力を生み出せます。

 

だけどさっき見たものはコンクリートの塊、要塞そのものでした。そして新基準をクリアするために要塞はどんどん拡大を続け、地形も変わっていっています。

 

私は原発絶対反対派ではありませんが、どうしてもここまでしてやり続けなければいけないものなのかな?

と思いました。50年も経つのに、新しい仕組みって見つけられないものかなあと。

 

御前崎の反対側にはこんな砂浜が広がっています。50年前から変わることなく愛される地元の海。

いつの時代になっても、波の音を聞いて手をつないで帰ってこれる場所であってほしいと思います。

 

 

2013年

7月

23日

暑中お見舞い申し上げます

暑さ厳しい毎日、皆様いかがお過ごしでしょうか?

 

私の方は、幼稚園の夕涼み会でパワーを出し尽くしてしばし放心し・・・、

 

集合住宅の計画を進めながらルームとスペースについて考えたり・・・、

 

10月に島根で行う建築士の全国大会に向けてWEB会議をしたり・・・。

 

なんだかもう夏が終わったような気がしています(笑)

 

そんな中、日本建築家協会から機関誌が届きました。

 

何気なくパラパラめくっていると・・・、お!

 

先月入会承認された自分の名前が載ってる~。

 

そういえばJIA静岡のHPの名簿にも出てました。

 

また、新たな始まりです。

 

建築と人生の間には時々節目となるタイミングの年みたいなものがあって、自分の歩みもそういったものの積み重ねだった気がします。

 

自分の中で重要な仕事をやったり、資格を取得したり、団体活動を始めたり、多くの人に会い始めたり。

 

自分自身に向き合ったり・・・。

 

長い時間のかかる仕事です。

 

ゆっくりでも丁寧に、一歩一歩進んでいこうと思います。

 

 

 

 

2013年

7月

13日

木和田川

 あまりの暑さに涼を求めて、宇津ノ谷峠の岡部側にある木和田川に行って来ました。

 

つたの細道公園として整備されていて、芝生広場にせせらぎと、小さな子供を遊ばせるにはぴったりの場所でした。

息子の幼稚園が例年夏の遠足に使っているのも納得です。

 

行った時は人がいなかったのですが、ぞくぞく家族連れが集まってきてすぐに賑やかに。息子も早速友達を作ってサワガニ取りに夢中になっていました。

 

ちなみに今回は獲物は最後にきちんとリリース。

実は以前、金谷の童子沢でカジカをたくさん捕まえて静岡の家に連れて帰ってきたのはいいものの一晩で全滅!

その前は金魚すくいの金魚も全部挫折して、最後は麻機遊水池に夕方こっそり放流した前科あり(笑)

 

 まあ一歩一歩、生き物と向かい合っているとしよう!

 

娘も1歳、もうちょっと髪の毛生えるといいんだけどな・・・。

 

 

 

 

2013年

7月

01日

デザイン学校講評会

 

今日は教えているデザイン学校の今期最終授業として第二課題の講評会を行いました。

 

プレゼン前とあって、各チーム共レジュメの作成や最終調整に必死!

 

寝不足の人もたくさんいるようだけど、あとちょっと、あとちょっととかじり付いて最後の追い込み。

 

ホントは私が教室入って来てまでやってるようじゃダメなんだけど、まあね・・・(笑)

 

プレゼンスタート!

 

各チーム思いのたけを全てぶつけて言い残しや悔いがないよう一生懸命。

 

実は私の授業では、デザイナーとして人前でしっかり説明することに重点を置いて来ました。

企画発表や中間発表、プレ発表に本番と、今どんな段階にいるのか、何を考えその根拠は何なのか?

 

生徒自身の言葉で語らせ、他の生徒達から複数の質疑を公の場で受け、必ず回答させるようにしています。

 

人にものを伝えるのは本当に難しい。いい意味で恥をかきながら説得する術を模索して、自分なりに進んでいくしかありません。

 

そしてその時に一番大切なことはコミュニケーションの状況に対し素直であることだと私は思います。

 

説明で伝わらないなら視覚的に伝える。模型を覗かせる、目の前で絵を書く。物語にして語ってもいい。

何でもいい、とにかく伝えることに全力を尽くし続ける。そしてそれが日常的にできるようになってくると今度は自分が楽しみ始めることができる。

 

凝り固まった自分と決別し、デザイナーとして発信する側の人間になる第一歩です。

 

今回は模型に照明を仕込んで、プレゼンしてくれたチームもありました。他の作品と比べ、やはり熱意や臨場感が格段に高く伝わってきます。

 

伝えることと表現することはセットだから、目的意識が強い作品ほど表現のグレードが上がっていたし、反対に何を伝えるべきか分かっていない人は、表現のクオリティも低く妥協が多かったように思います。作品を介したコミュニケーションの状況に気づけてないというのかな。

 

最後は生徒自身が一人2票の投票権を持ち審査会。お互い談笑しながらも、ライバルたちの仕事にため息をついたり、無言になったり(笑)

 

そして各自の作品の上に置かれた票(鉛筆やペンの本数)を自ら読み上げてもらって開票!

票が固まる一方で、もちろんゼロの生徒もいる。

 

何て残酷でひどい先生なんだと我ながら思うけど(笑)このくらいしないとライバル達からの評価を体感することはできないからね。でも安心して、私の評価は別だから。見るとこは見てるよ~!

 

来年の今頃は社会人として働いている生徒たち。

 

私がこの立場で教えられることは、一言で言えばデザイナーとしてのスタンスに尽きます。

 

楽しさと共に、常に「こんなもの世に出せるかい!」と器を割る陶芸家のような厳しさを(笑)。

 

そして創造へのアプローチ。情報の調べ方さえ知っていれば自然と知識が増えるように、創造に至る基本的な道の歩き方さえ知っていれば、どんな道にも応用できる。

皆の人生を心より応援しています。お疲れさん!

 

 

 

 

2013年

6月

19日

花沢の里

小雨降る午後、焼津市の花沢の里に行って来ました。

今日は日本建築家協会静岡地域会(JIA静岡)の第一回JIA塾。広葉樹材を取り扱う株式会社山王さん主催の勉強会でした。

 

会場は同社の常務取締役のIさんのご自宅。

この花沢の里の中の古民家を改装して田舎暮らしを楽しんでいらっしゃいます。

 

同社は元々北海道産の広葉樹を中心に扱う会社でしたが、現在はアメリカ産広葉樹がメイン。戦後の日本経済の変化と歩調を合わせ、山や材木市場も大きく変遷していきました。

 

昭和40年台、北海道産のミズナラは世界最高品質で欧米から高い評価を得ていました。外貨の欲しい日本は(北海道の山は全部国有林か道有林)、全てインチ寸法で製材し、積極的に輸出をします。特にヨーロッパでは棺桶に用いられ、高額で買われていきました。

 

一方で、国内資源の海外流出に対しこのままでいいのかと憂う機運が高まり、道も輸出型でなく国内消費拡大に向けて様々なプロモーションをしかけます。

 

 

 

テレビが普及し外枠用にブナが大量に売れたり、エレキギターのボディーにセン、オーディオボックスにクルミ、鏡台に栗が使われ、刑務所で作る学校机にはナラが用いられました。

 

しかし、落札した山を一山丸裸にする伐採方法を繰り返してきたせいで、日本で経済ベースの流通経路に乗る広葉樹は次第に姿を消してしまいました。広葉樹は人口植林ができず自然植林に任せるしかないので、元通りになるには100年~200年もかかるのです。

 

婚礼家具もほとんどなくなり、テレビや音楽の楽しみ方も変わりました。そして現在では、供給が安定し人工乾燥設備も整っているアメリカ産広葉樹が普及するようになったのでした・・・。

 

う~ん、なんか切ない。

 

国産広葉樹の復活は遠い遠い未来なのか~。構造材となる針葉樹(杉、ヒノキ等)には助成する政策があるけど、国産広葉樹は製材する動きすらないらしい・・・。

 

ただ地球規模で見てみると、それぞれの土地で育ったものが然るべきタイミングでデビューし、市場を獲得していくということでしょうか。経済行為である以上当然ではありますが、木も資源ビジネス。

 

寿命と時間という厳しい現実に直面し、いろいろ考えさせられました。

 

 

2013年

6月

19日

開業2周年記念!~無料建築相談会~

日増しに暑さ増すこの頃、皆さんいかがお過ごしでしょうか?

 

普段自分はなるべく歩くようにしているんですが、昨日は事務所から静岡駅まで2キロ、新幹線に乗り浜松駅からデザイン学校まで1.5キロ、片道3.5キロだから往復7キロ歩きました。

 

いや~、疲れました~。

日射にやられて戻ってきたらフラフラでした。

 

そのうえ学校で3時間もデザイン教育をしてくると、生徒達の作品と対峙して思っていることをガンガンに出しきってくるからか後からどっときます。私だけでしょうか(笑)

 

さて、そんなこんなの日々を過ごしながら気づけばこの夏で事務所を開業してから2年を迎えようとしています。

多くの人と出会い、汗をかき、助けられ、あっという間の2年でした。

 

そこで、この機会に建築相談会を開催しようと思います。

 これまでの感謝と恩返しの意味を込め無料とさせていただきます。

 

何よりも単純に自分ができることとして、「建築家として人の役に立つ」という原点に立ち返り、今後進む道の糧にしていきたいと思っています。

 

雑談をしに来るような気持ちで、お気軽にお申込み下さい。

 

 

八木紀彰建築設計事務所 無料建築相談会

日時:平成25年7月6日(土)、7月14日(日)

場所:静岡市葵区駿府町1番12号 静岡県教育会館 地下1階 D会議室

予約優先、先着順

詳しくはNewsまで

 

 

 

2013年

6月

06日

森と月

先週末に天竜に行き、材木の天然乾燥の研修をして来ましたので、今日はそのお話です。

 

みなさん、「月齢伐採」って御存知ですか?

 

月のサイクル(29.5日で地球を周回)に合わせて材木の伐採時期を限定することをこう呼びます。

 

木は満月になると月の力に引っ張られて地中の水分や養分を一番強く吸い上げ、逆に新月(月が見えない状態)の時にその力が一番弱まります。

 

月に関しては他にも、満月の日に手術をすると人間も血がよく出るという話はお医者さんならよく御存知。

 

つまり、新月から上弦の月を経て満月に向かうに従って木の中に養分が増えていき、満月から下弦の月を経て新月に向かうに従って木の中の養分が減っていきます。

 

そしてこの減っていく過程(月のサイクルの後半の期間)でのみ伐採を行うことを月齢伐採と呼びます。

 

 

何でそんなことするのかっていいますと、上の写真中央奥に倒れて葉が枯れている木があるのが分かりますかね。これ今、葉枯らし中なんですが、

 

・・・葉枯らし。

 

う~ん、聞きなれない言葉ですね。説明しますね。

 

一般的に山に生えている原木が建築用の材木として機能するためには、木の中の水分を抜かなければなりません。

最終的に含水率20%程度を目指すんですが、原木の含水率はなんと200%。もうタップタプです(笑)

 

当然普通に製材しても水が抜けるまでものすごい時間がかかってしまいますので、木の特性を利用します。

単純ですが、木を根本で切って葉をつけたまま3ヶ月以上寝かせておくんですね。

葉は生きるために水分や養分を吸収しようとしますので、幹の中のものをどんどん吸い上げます。そして吸うものがなくなってくると自然に葉が枯れてきます。幹の含水率は大幅に下がります。これが葉枯らし。

 

つまり、土からの吸い上げが少ない時期に月齢伐採をし、それを葉枯らしすることでゆるやかに木を天然乾燥することができるというわけです。

 

材の表面は固まるけど中心が割れる人工乾燥材に対し、外から徐々に割れながら乾燥していくけど繊維が強く中心に粘りがある天然乾燥材。

 

素材本来の力を活かす伝統工法にも適しています。

 

現在は一本一本バーコードで厳密に履歴を管理。

じっくりと品質を上げていくので若干お値段は張りますが、よく考えたら昔から先人達がやっていたこと。

今一度見つめなおす時期なのかもしれません。

 

森と月の関係の中で生まれた住宅に暮らす。

ちょっぴり神秘的で素敵なお話だと思いませんか。

 

 

 

2013年

5月

24日

静岡駅前交番

静岡駅北口に向かって御幸通りから車を走らせて行くと、タクシー乗り場の奥に小さな建物が見えてきます。

今日も外出した際つい横目で追ってしまいましたが、初夏の日差しをガラスのスクリーンがいっぱいに受けている様子を見ると、色々なことを思い出します。

 

静岡駅前交番。

以前、私が設計した建物です。

 

プロジェクトに着手したのは6年前のこの季節。

 

当時このエリア一帯で行われていた駅まち再開発事業と歩調を合わせるため、関係各所と様々な打ち合わせを繰り返す一方で、駅前広場に建つ交番としてどんな建物がよいのか、在り方を探るべく東京の桜田門や六本木、恵比寿の交番を見てまわったりもしました。

 

そして、交番機能の中で市民に接する部分とシェルターとしての役割の部分をスクリーンとキューブに形態として分け、周囲に明るく開かれながらも後ろでしっかりと支える警察のイメージを作り出すことを提案しました。市民に親しまれる、開かれた交番です。

 

諸事情もあり、工事完成はそのまた2年後のこの季節でしたが、関係者の努力のおかげでなんとか無事オープンに辿り着いた時には感慨深いものがありました。

 

 

季節が巡るごとに、ゆっくりと着実に、地域に根づいていって欲しいと思います。

 

 

2013年

5月

20日

アクト通り再考 その3

今日は教えている学校での第一課題の講評会でした。

はたしてしっかり仕上げてくるか心配でしたが、全員提出することができました。

 

想像していたよりグッと伸びた生徒、途中で失速した生徒、コツコツとやったことが分かる生徒とみんなそれぞれ。

 

でも一人一人が全員の前でプレゼンをし、お互い評価をし合い、他の作品の良いところや悪いところ、自分の作品の優れたところや足りないところを身をもって理解していくと、デザイナーとして一番大切な負けん気がムクムクと出てきたようで・・・。

 

教える側としては、まさにこの瞬間のためにやってきたって感じ。ニンマリですね(笑)

 

私の学生時代もそうでしたが、実際課題の最後の追い込みになるともはや気力勝負。

 

これくらいでいいだろうと思った人間から消えていきました。

 

いいものをつくりたいのは当たり前。

 

前回の授業で言われた悔しさから怒りに燃え、今度こそ見てろ、あっと言わせてやる、これならどうだって張り合う強い気持ちだけがキツイ作業の支えになっていたんだと思う。

 

そして不思議なことに一つ一つ妥協しないで片付けていくと、だんだん気持ちが浄化されて最後にはすごく素直な目線で落ち着いた心になり、黙って作品に向き合っている自分の姿に気づくのでした。

 

完成した時はもはや無言、握力もなくなり大きなため息・・・。

 

でも帰り道に何か気づいて、ア~!って一人大騒ぎとか(笑)

 

いい時代なんでしょうね。

 

きっと。

 

さて、来週から第二課題。

 

あの生徒たちを伸ばす為に次はどんなプログラムを組もうかな。

今夜はちょっと寛いで、じっくり考えてみます。

 

 

 

2013年

5月

15日

事務所サイン

通りに面した窓に事務所の案内サインをつけました。

つけて見てみると、まったく今まで何でやらなかったんだろうと苦笑い。改めて心が引き締まりました。

 

デザインは、建物の雰囲気を壊さないようちょっと目を上げてもらえれば気づく、フォントのみのサインとしました。

 

今回初めてカッティングシートを使ってみたのですが、思いのほか使い勝手が良かったです。シンプルな素材なので、デザインさえしっかりやれば何にでも応用できそう。また試してみようかな、楽しみです。

 

 

2013年

5月

14日

喫茶一茶

新茶の季節がやってきましたね。

 

今日は静岡駅北口地下広場の日本茶カフェ「喫茶一茶」に寄って来ました。

 

お茶菓子と一緒に本格的な呈茶のサービスを受けられるこのお店。本日のおすすめ、深蒸しの新茶を選びました。

 

口の中に広がる爽やかな香りと、深蒸しならではのコク。

 

羊羹と梅をお茶受けに、一杯ずつしっかり出しきり計3杯。

鮮度の良いカフェインで若干頭がクラクラです(笑)

静岡駅北口再開発にあわせて4年前にできたこのお店、実は私が設計させていただきました。

 

静岡市のバックアップのもと、静岡茶商工業協同組合さんが運営し、市内約50社の茶匠選りすぐりの逸品をワンコイン(500円)で提供しています。

 

設計当初の会議では、ペットボトルに押されリーフで飲むお茶人口の減少を危惧する茶業関係者の声をたくさん聞きました。そんな中でもなんとか現状を打開しようとお茶にまつわるスイーツ開発や合組(ブレンド)の開発、産地を飛び回り新しい呈茶スタイルを模索する若手の方々もおりました。

 

私自身も熱が移り、東京の日本茶カフェを何件も回り(実は県内には日本茶カフェが少ないんです)、カフェインで鼻血が出そうになりながら視察をしたのを思い出します。

 

油脂の高いナッツやレーズンバターがお茶に合うことを発見したり、金属製の茶釜や呈茶のテクニックを教わったり、静岡の仕事らしい勉強をたくさんさせていただきました。

 

皆さんも、通りついでによろしければ是非お立ち寄り下さい。

2013年

5月

08日

ID card

今日は息子が通う幼稚園の定時総会でした。実は今年、父母の会(PTA)の会長を務めることになりました。子供の教育の為、これもご縁と思い引き受けさせて頂きました。

 

まだ新年度が始まってひと月ですが、やってみるといろいろなことが見えてきたり考えたりと、いい経験になりそうです。子供が自分で考え自分で判断する能力を養うために、クリエイティブな保育を出来る限りサポートできたらと思います。

 

そして園から頼まれ私の方でIDカードをデザインしました。

 

文科省の指導によるセキュリティ対策のため、園に出入りする保護者の皆さんにカードストラップを首から下げてもらうことになりました。

 

デザインとしては視認性を第一に、スクールカラーのブルーをベースに園章とロゴ、それからカトリックの園らしく教会のパースを描いて入れてみました。

 

敷地内で普段目にするこの教会は、園の関係者なら子供でも分かるもの。息子に見せたら、「あ、神様のおうちだ」と見た瞬間言っていたので一安心。職員や父母の方々にも喜んで頂けたようで良かったです。

 

風通し良くどんどん力が湧いてくる、活気ある園を目指して、こちらのほうでも頑張っていこうと思います。

 

 

2013年

5月

07日

アクト通り再考 その2

今日は第一課題の中間発表。

16人の生徒にスタディ模型を使い、一人一人全員の前で発表してもらいました。

 

どんなカフェにするか言葉やイラストのイメージから、形に立ち上げる肝となる段階。

ゴールデンウィーク中に格闘してもらいました。

 

面白い空間は何かの一点を追求していた生徒。

 

しっかり物やスペースの寸法を測り上げ締まりのある提案ができた生徒。

 

まだ形は決まってなくて~と平然と言う生徒。

(オイオイ今日は何の日だとツッコミたくなったけど私も講師2年め、まだ怒らない(笑))

 

焦りながら噛みながら、必死に言葉を探しながら説明する生徒。

 

だんだん、個人差が出て来ました。

 

設計というのは実は地道なことの積み重ね。スケール感覚を養うには、ものを測り、動作をしてみないと分からない。身体と空間のバランスを見極めたその境界に初めて生きた線を引くことができるというもの。

 

まずは素直に取り組んでみる。そして考えまたやってみる。検証と実践。

 

建築は全ての行為にお金がかかる以上、説明のできない無駄なものなど何もない。

 

それが美しさの為のものであろうと機能の為のものであろうと、伝える責任が設計者にはある。

 

今、この瞬間考えている仲間に負けないよう、自分のスタンスを持って頑張って欲しい。

 

がんばれ!

 

 

 

2013年

5月

03日

小土肥海岸

西伊豆の小土肥海岸にやって来ました。土肥のちょっと北側の穴場です。

お目当ては磯遊びだったけど、残念ながらそれはちょっとお預け。でもとても気持ちのいい場所でした。

 

同じ県内といっても、静岡市からここに来るまで3時間位かかります。もはや埼玉や岐阜にも行ける時間(笑)

だけどそのおかげで煩わしいものから開放されて、のんびりとできるのが一番の魅力。

ちょうどここから駿河湾越しに静岡側を眺めることができるので、普段の自分はどうかなってボンヤリ考えたり。

 

ちなみに今日は憲法記念日。新聞各紙もそれぞれの考えを表明していますね。

人間は何も考えず、何も変えず、与えられた世界のなかで個人的な幸福を追求していくのが一番らくなのかもしれません。しかしそれは声を上げる姿勢を抑えつけることと表裏一体です。

 

周りを取り巻く環境の変化や、そもそもの物事の成り立ち、仕組みの経年劣化という現実を見つめず、観念の世界だけに逃避するのも滑稽な話。

 

自分自身も含めて、

 

「現実に即し、正しく変化していく」

 

そして正しさは自ら決めなければならない。

 

日焼けで足がヒリヒリしながら、そんなふうに感じています。

 

 

2013年

4月

25日

日本建築家協会

昨日は日本建築家協会東海支部静岡地域会(JIA静岡)の総会と講演会に出席してきました。今年度より入会し、こちらでも活動をして参ります。

 

建築家としてのスタンスを大切に、自分の仕事や職能を通してより一層社会に貢献していくことができるよう頑張ります。懇親会では会の皆さんに温かく迎えていただき、また新しい出会いもあり、今後が楽しみです。

 

同時に、現代日本を代表する構造設計者である金箱温春先生の講演会が行われました。実直で分かりやすい解説でぐいぐいと引き込まれ、あっという間の一時間半でした。

 

紹介しますと、

 

建築デザインが空間や形やテクスチャーなどの「イメージ」を決める行為だとしたら、構造デザインは架構や材料や力学を解き「具現化」すること。

 

それには両者の密接な関係が必要ですが、氏の考える構造デザインとは「空間の質を満たすように最大の効率を持つ架構を最適な材料で構成すること」というシンプルなものです。

そもそも建築は他の工業製品と違い、不確定な自然現象を相手にした個別性が高い一品生産です。

しかし現在の法としての技術規定は標準的な建物を前提に作られているため、設計の全てを基準で網羅することは不可能です。

 

裁量性が必要な行為にもかかわらず、確認申請時の構造計算適合判定で硬直的な判断を一方的に下す判定員の存在や専門家どうしの議論ができない問題も指摘します。

 

よりよい法制度の構築や改善と共に、構造設計の可能性は一体どこにあるのだろうか。

 

それは「普遍性と個別性」と、氏は語ります。

 

科学や工学の普遍性を前提としつつ、建築デザインを生かす個別的な合理性が必要であり、技術や力学原理など普遍化されるものには限界があるが、個別性には無限の可能性がある。

 

建築は生き物の体の構造に似ていると思うことがありますが、この話を聞いて様々な生き物の進化の仕組みと共通するものを感じました。構造への興味が一段と深まったひと時でした。

 

 

 

 

2013年

4月

15日

アクト通り再考

アクト通り。浜松に縁のない方はご存じないかもしれませんが、静岡唯一の超高層浜松アクトタワー(212.77m)から北に伸びる、緑豊かな大通りの名称です。

 

しかし残念ながらこの通り、ちょっと元気がないんですね。

 

もともとはバブル景気のさなか、工業都市から文化都市への変革を目指す浜松市が、中心市街地の高度利用を促して人口回帰の起爆剤とするためにアクトシティ、アクトタワーを計画したのがことの始まり。

それにともない周辺街区の再開発も進め新しい都市の骨格をつくろうとしましたが、できた時にはバブル崩壊。

どこかでよく聞いた話・・・、駐車場も目立ちます。

 

大学や官庁も近くにあったり、落ち着いていいとこなんですけどね・・・。

 

でも最近、高層マンションの建設が進み、少しづつ都心へ人が戻る兆しがでているようです。

 

そこで、

 

私が設計を教えている学校の第一課題として、カフェを計画してみることにしました。

現在の地域の状況、人の流れ、景観について分析し、新しい賑わいの拠点を自由に計画してもらおうと思います。

 

今日は最初の現地調査。

ここで何を感じるかがとても大事。

 

それぞれ進み方に個人差はあるだろうけど、迷ったら何度でもここに来てほしい。

 

さあみんな、がんばろう!

 

 

 

2013年

4月

06日

横浜にて

春の嵐を心配しつつ、本日は横浜で大学時代の恩師の退職記念講演会・交流会に出席してきました。

会場はYCCヨコハマ創造都市センター(旧第一銀行を保存改修した横浜市認定歴史的建造物)です。

 

多くの懐かしい顔ぶれと再会し、先生の研究室に所属していろいろな建物の調査に参加したことや、おおらかで自由な当時の雰囲気、頑張ったり駄目だったりした自分を思い出し、私が今も建築の道を歩んでいるのはこの研究室との縁があったからなんだなとつくづく思いました。

 

雨の気配も近づいていましたが、まち歩きに出ていろいろな建物を見て回りました。

 

例えば上の建物。皆さんがイメージする横浜の歴史的な近代建築からするとだいぶシュールな建物ですが(笑)、旧横浜居留地48番館という横浜最古の煉瓦造り建築です。

モリソン商会の建物の遺構の一部ですが、今から130年前(明治16年)ですからまさに文明開化の真っ最中。

 

有名な建物の調査もしますが、こういう小さな物語を大切に紡いでいく事で横浜の街並みや景観作りはできていきます。この研究室からも横浜市に多くの人材を送り出し、長い年月をかけ一緒になってまちづくりをしてきました。

今日もOBの市の職員が一生懸命アテンドしてくれました。

 

こちらは三井物産横浜ビル(明治44年)。我が国で初めて躯体のすべてを鉄筋コンクリートでつくった建物です。

背後の倉庫には国家財政を左右するほどの生糸が保管されていたという輸出産業の最前線基地。

 

当時の横浜はまさに「稼ぐ街」ですから、国家にとっても重要建築物として最新技術がいち早く導入されました。

関東大震災や空襲で壊滅的な被害も受けましたが、こうして生き残った由緒ある建物の存在が復興への歩みを勇気付けてきたのだと思います。

 

 

私自身も受験でこの街を訪れた時に、山下町のホテルのまわりを散策しながら、

 

「こんな街で建築を勉強するのもいいかもな」

 

って思ったのが全ての始まりだったような気がします。

 

・・・あれから18年。

先生、長い間本当にお疲れ様でした。

 

地元の国立大学の先生ということで、本当は専門外だったことも引き受けざるを得ない時もあったかもしれません。ですが、そのおかげで幾多の歴史的建造物が保存・活用され、私のように建築に出会えた人間もおります。

 

無事定年を迎えたということで、これからは好きな建築芸術の研究に自由に時間を割いて下さいね。

 

今後ともどうぞよろしくお願いします。

 

 

 

2013年

3月

31日

春爛漫

今週の静岡市は桜が満開。

駿府城公園もお花見に来たたくさんの人で賑わっていました。

 

金曜は小さな子供連れのママさんや学生達がほのぼのとお花見をし、土曜日は大人たちが盛大に酒盛りをしている。同じ桜並木の下でシートを広げている光景とはいえ、役者が違うとまったく違う光景に見えます(笑)

 

この場面転換のドライさ、なんだか伝統的日本家屋の座敷のようでした。

お通夜をしたりお祝い事をしたり、親戚みんなで寝てみたり、必要に応じて自由にコンバート。

 

個人住宅に大きな場がなくても、こうして都市の中で代わりの場を持とうとしている人々を見ていると、上手に地域に住まうことが微笑ましくなりました。

 

 

2013年

3月

12日

建物づくりと復興と

本日は竣工間近の静岡ガス本社ビルの見学に行ってきました。

静岡駅の南口から東へ数分、久能街道沿いに位置するこの社屋。1階のショールームやキッチンスタジオも充実し、将来的には地域のにぎわいの拠点となることを目指しているそうです。

 

SRC造6階建て、約7500㎡の建物で外観的には道路に面した西側の日除け木製ルーバーが目を引きますが、構造上の大きな特長は梁間方向の両端に2列ずつ柱を配したダブルコラム構造で柱のない大空間オフィスを実現している点です。

 

実際フロアの中では、木製縦ルーバーのある範囲21.6m間は柱がありません。

 

北側のダブルコラムの間です。木製デッキバルコニーになっています。

 

ダブルコラムの良い点は内側の柱に大きな荷重を持たせ、外側の柱は内側の柱と梁が中央に垂れないよう引っ張る役割を持たせるという目的分けができるため、意匠上目につく外側の柱をスリムにすることができる点です。この建物の構造も、内側柱は1100角、外側柱は550角でした。

 

静岡の構造設計指針は全国的にも非常に厳しく、構造部材の大きさも他の地域より一回りも二回りも大きくなることがあります。それはそれで仕方ないところもあるのですが、デザイン上ではいつもせめぎあい。

 

何か解決策がないかと頭をひねりひねり設計に取り組んでいるので、デザインを専門とする自分ですがついつい構造のほうに話がいってしまいます(笑)

 

またこの建物にはガスエネルギーと自然エネルギーを融合する環境設備がふんだんに設けられています。

 

太陽熱によるソーラークーリング(写真手前)、太陽光発電パネル(契約電力の1/10を賄う)、階段室から自然換気を自動で促すエコタワー(写真左奥)、コージェネレーション発電機(排熱も活用)やデシカント外調機(導入外気から湿度を取り除き体感温度を下げる)。

クールチューブ(地面の下から冷やされた外気を導入)に屋上緑化(空調負荷を抑える)などなど、環境設備を計画途中で一切妥協しなかったおかげで、建築環境総合性能評価(CASBEE)で最高評価Sランクを受賞しています。

 

配置・断面計画においても、オフィスというものは基本的に冷房負荷のほうが高いため、階段やEV、トイレなどのコア回りも南面に配置し、「常に下から上に風が抜けていくオフィス」というものをイメージしています。

 

すべて静岡ガスが総合エネルギー企業として発展していくための大きな投資です。

 

 

先日、東日本大震災から二年が経ちました。

 

その間建築界では構造(耐震、制震、免震)、環境(エネルギー供給方法、環境負荷、非常時ライフラインの確保)に加え、コミュニティーデザイン(住民やまちづくりにおける人々や生活の営みなどのつながり方のリ・デザイン)について主に議論が見直されてきました。

 

一つ目と二つ目はお金がかかります。三つ目は時間と手間がかかります。

 

しかし気づいた時が改革するチャンスです。そこで選択が問われます。

 

現在、復興が遅い、時間がかかると思われている方が大半だと思います。もちろん被災された人たちの日々の苦労や不自由、孤独や精神的ショックを考えれば軽軽なことは言えません。

 

しかしその裏でこれを日本再構築の大きな機会と捉え、日夜脳漿を振り絞り、汗を流し、声をからしている設計者・関係者達が大勢いるのも事実です。

そしてその誰もが、やっつけ仕事はできない。より質の高い、文明の進歩に貢献するものを創るんだという気概であたっています。

 

何百年に亘り形成されてきた地域を再生するということは本当に大変なことです。政府の責任、だれそれの責任と言う事は簡単ですが、本来時間がかかって当たり前なことなのです。

 

情報の行き交うスピードが上がったからといって、デザインの検討にかけるスピードが上がるわけではありません。こういう建物だって企画から設計に1年2年は普通にかかります。 意匠や構造、設備を統合しシンプルでサスティナブルな仕組みをつくりあげるには、やはり慎重な検証と選別が必要なのです。

 

社会に投資をすること、社会をつくるということはそういうことです。

 

だからこそ人は、少しずつでもより良いものを目指して、一歩一歩進むことができる。

 

粘り強く希望を持って復興を願いたいと思います。

 

 

2013年

3月

03日

誕生日

今日は私の誕生日ということで、息子も手伝った手作りケーキでお祝いしてもらいました。

まるで絵本に出てきそうなシンプルなケーキですが(笑)、ちゃんとアーモンドもロースト

してくれて美味しかったです。

 

ありがとう。

 

実は昨日から熱と共にものすごい頭痛が襲ってきて、まったく動けず寝込んでいました。

今朝飲んだバファリンが効いたようで、午後にやっと動けるようになり・・・。

 

バファリンって女性用の薬だとずっと勘違いしてたけど男性にも効くんですね(汗)

 

今年は巳年の年男。

 

いいのかどうか分かりませんが、とりあえず神様が最初にくれたのはきつ~い試練。

膨大な汗とともに、悪いものは流れ去ったと信じたい(笑)

 

これからの一年、既にいろいろ大変そうな雰囲気は濃厚にただよっていますが、

自分の長所のマイペースと明るさで楽しんでやっていこうと思います。

 

自分の周りで笑顔になる人が一人でも多く増えるように。

 

 

平成25年3月3日

 

 

2013年

2月

20日

南禅寺・琵琶湖疏水

京都・南禅寺へ。

 

まずは重要文化財の三門です。

三門とは、悟りに至る為の三つの関門を表す、空、無相、無作の三解脱門の略ですが、横から見みるとずいぶん武張った感じが・・・。

 

南禅寺は臨済宗のお寺ですが、この三門は築城の名人と言われた藤堂高虎が大阪夏の陣に倒れた家来の菩提を弔うために再建したもの。

 

圧倒的な量感と列柱群の力強さ。まだまだ武将の俗っ気が抜け切れて無いようにも見えます(笑)

そして国宝の方丈へ。

 

小方丈内部の虎の間には狩野探幽筆と伝えられる40面からなる「群虎図」(重要文化財)があります。有名な「水飲みの虎」も教えていただき初めてみることができました。

 

左は、大方丈前面の「虎の子渡しの庭」。

 

小堀遠州の作と伝えられていますが、なるほど他の庭園に比べればそっけない・・・。

 

虎が襖から出て走り回る姿を想起させるにはこの位伸びやかな方がいいのかもしれません。

さあ本日の本命、琵琶湖疏水の南禅寺水路閣です。自分の気持ちが写真の大きさに比例しています(笑)

 

どっしりと根付いた煉瓦造りの重厚な趣。

 

時と共に環境になじむその姿は、南禅寺という寺社建築の境内にあっても不思議と違和感はありません。

 

上に登ると、今でもすごい勢いで水が北に流れていきます。北上する水に不思議な感じもするのですが、この辺りは地形が高いため疏水がしばらく北上してから西に曲がり鴨川へと合流するようです。

 

1890年に完成した琵琶湖疏水。明治2年に東京遷都してからというもの、人口が減り活気を失った京都にとって生活環境の改善と産業用水の確保は死活問題でした。

 

琵琶湖の湖水を引き込み一挙に挽回しようと考えた知事が、市の年間予算の十数倍という莫大な費用を投入した大事業の主任技術者として選んだのが当時工部大学校(現在の東大)を卒業したばかりの青年技師田邉朔郎。

 

21歳の若さです!

 

現在では考えられないことですが、このあたりに何が何でも新しい方向に打開してやるぞ!という強い決意を感じます。大変な苦労と努力、米国視察を経て最後は日本最初の商業用水力発電所までつくってしまうんですから本当に素晴らしい。

 

きっと京都市民の喜びようも半端なかったことでしょう。

 

私は産業遺産がすごく好きなんですが、人間ってすごいなあ、文明の進歩に挑戦することっていいなあと心から思いました。

 

明治に完成した疏水により、現在では琵琶湖から毎日200万立方メートルの水が送られてきます。

水路閣にしろ哲学の道にしろ、疏水という地域の産業資産を景観資産として捉え、現在も十分に機能を果たす状態で維持し続けることが人々の心を魅了する大切な仕掛けなんでしょうね。

 

 

 

2013年

2月

10日

山崎のこと

建築士会のイベントで大阪に出張した帰りに山崎に寄ってきました。京都と大阪にまたがる西国街道の山崎宿。

歴史的には山崎の合戦で有名ですが、お目当てはアサヒビール大山崎山荘美術館とサントリー山崎蒸留所です。

 

まずは京都側に向かい、天王山の山麓を登っていくと・・・、

 

木立の向こうに英国風の山荘が見えてきました。もともとは大正・昭和の実業家、加賀正太郎氏が別荘として自ら設計したこの建物。現在は周辺の緑地が市民に開放された遊歩道として整備されています。

 

ちなみに右側に伸びるコンクリート製の通路は安藤忠雄氏設計の地中館に至るアプローチ。

建築家にとってはここを通るイメージのほうが有名かな・・・。

 

地形を活かした地下に下りていくアプローチの先に広がるのは・・・。

 

クロード・モネのための空間。

 

そう、「睡蓮」です。

 

ある特定の画家の絵を鑑賞するためだけに考え抜かれた空間。

 

天井から降り注ぐ光を浴びながらも、足元が下りていくことで心は静かに落ち着いていき、左側の小さな入口を抜けた先で別世界に出会います。

 

円柱状のコンパクトで力強い空間は、見る者と作品との距離をぐっと近づけ、モネが過ごした人生そのものに肉薄するような感覚にとらわれました。

 

設計の本質が人間の心理操作にあるということを、はっきりと表す建築作品です。

見晴らしも良く、とてもいいところ。

 

左は京都(山城)右は大阪(摂津)。向かいの山を挟んで山麓に街道が走るこの地が、古来いかに重要な要衝の地であるか、一目見て分かりました。

 

新幹線で通り過ぎる車窓から見るのとでは全然違いますね。 ここで聞く風の音には少し緊張感がありました。

 

さて一度下って大阪側へトコトコ歩き、サントリー山崎蒸留所へ着きました。

 

ここはもうすみません、100%ウイスキーが目当てです。

サントリーの蒸留所は余市(北海道)に続いて二つ目ですが、ほんとテンション上がります。

 

大好きなんです!

 

良質な地下水と湿潤な気候。多彩に原酒をつくり分けるこだわりの手法。

戦時中は竹林の奥に穴を掘って原酒の樽を空襲から守り、連綿とつないできた山崎の感性。

 

きっとこの辺りには親子何代かでここで働き、ウイスキーをつくり続けている人達もいるんだろうな。

 

ここでしかできない、厳しくも豊かな仕事。

 

飲んでやっぱり。こんなに美味しいんだもん。

 

いい仕事だな。

 

 

2013年

2月

03日

トモダチ

昨日は横浜に大学時代の演劇サークルの同窓会に行ってきました。

 

ほぼ10年ぶりの再会にかなりドキドキして行きましたが、世代を超えて40名弱の人が集まりとても賑やかで楽しい時間を過ごせました。

 

共に過ごした時代、笑ったことやぶつかったこと、言えなかったことや、離れてから過ごしてきた日々のこと。

個性の強い仲間達が大人になった今、それぞれの人生にお互い敬意を払い、いろいろなことを素直に話せていることが本当に嬉しかったです。

 

僕自身も、ずっと心の中で気にかけながら過ごしていた大切な友達と語り合えたこと、その上泊めてもらって家族にも会えたことが何より嬉しくて、感無量で帰ってきました。

 

全力で過ごしているからこそ、つながれる仲間がいる。一瞬で本音の話に入って笑い合える。

やっぱりトモダチっていいな、いいもんだなとつくづく実感する、僕の人生の大切な日になりました。

 

なんかまだ感動している(笑)

 

おおらかな先輩たち、僕をいじりからかう後輩たち、そして幹事さん、本当にありがとう。

 

 

 

 

 

 

 

2013年

1月

17日

増穂へ

本日は山梨に計画しているセカンドハウスの敷地調査に行ってきました。

静岡から向かうと甲府盆地が開け始まるあたりですが、このあたりにも先日降った大雪がたくさん残っていました。

小春日和の静岡から来て凛とした空気を一息吸うと、なにか本当に遠くに来たように感じますが、全国的にみれば静岡のほうが異常なんでしょうね(笑)

 

 

この町は最近合併したおかげで庁舎がいくつもあるので、都市計画図を入手したり道路や水道を調べる為にあちらこちらへ出向く必要があったのですが、道すがら街の中に倉や宿場町的な構えの建物、想定する人口の割に銀行や官公庁の建物が多いことに気づきました。

町立小学校に至っては創立125周年を祝う垂れ幕と、明らかに文化財であろう西洋風の建物まで・・・。

 

そう、ここは昔「富士川舟運」で繁栄した宿場町でした。

 

旧秋山家(追分館)で資料を見てきましたが、この町には甲州三河岸のひとつである青柳河岸があった上、駿州往還などの重要な街道も通過し、物資の集積地として大いに栄えたそうです。

現在はJR身延線があるので富士川舟運自体はありませんが、やはりその名残からこのあたり一帯の中心的な地域となっているようでした。

 

建築設計という仕事は、毎回新しい土地や地域との出会いから始まり、その成り立ちや背景を探究しながら進める仕事です。

どこにアイデアがあるか、その空気を掴めるかは宝探しのようなところもありますが、こうして町のことを知っていくことができることもこの仕事の喜びのひとつだと思っています。

 

 

 

 

2013年

1月

12日

海岸線

 

天気のいい休日。

 

久しぶりに用宗海岸に行ってきました。

 

風は強かったけど太陽の光が温かく、波の音で癒されました。

 

このあたり、昔は武田水軍の本拠地だったとか。

 

近くの蜜柑畑になっている丘陵の上には持舟城(現在の地名と漢字違い)という城があり、駿府の街の防衛に一役かっていたそうです。

 

実は最近、とっている新聞の朝刊で古城の話を連載しており、楽しみに読んでいます。

 

有名なお城もありますが、多くはあまり知られてない城や砦のお話。

 

中には私が小学生のころよく登ってた近所の山の上の小さな城跡の話も・・・。

 

開けた都市や集落の中心に城があるからといって必ずしもそのまちを外敵から守り通せたわけではありません。

 

多くはそのまちの周囲に衛星状に配置された出城たちの緊密な連携によって都市防衛が成り立っていました。

 

この駿河湾沿岸においても、駿府から西に安倍川を超えて持舟城(静岡市)、大崩海岸を超えて花沢城(焼津市)、さらに大井川を超えて小山城(吉田町)、相良城(牧之原市)と連なり、徳川との激戦の地である高天神城(掛川市)の兵站を支えていました。

 

舟で何刻、騎馬で何刻・・・。

 

ひとつ穴が開けば雪崩式に崩れていってしまったでしょうから、昔の人は今よりもっと面的に広いスケールで地域ごとの関係性や国という単位を捉えていたかもしれません。

 

右は現代の防波堤。みんな大津波のことばかり騒いでいるけれど、日常の波や浸食から地域を守ることもとても大切なこと。全部海岸線で大変な県だけど、要所要所で淡々と力強くがんばってほしいものです。

 

 

2013年

1月

02日

初詣

初詣に遠州森町の小國神社に行ってきました。

 

といっても元旦の午前0時に行ったわけではありません。

今日の昼すぎには森町に着いていたのに激混みで車が動かず、やっと境内に足を踏み入れた時にはとっぷりと日も暮れていました(笑)

 

せっかくだからと何度も自分に言い聞かせ・・・。

最後はほとんど意地だけで・・・。

 

田舎の小さな神社だもん、三が日だって大丈夫だよと完全に舐めてました。すみません・・・。

 

 

鳥居はくぐらないように気を付け(喪中)、手早く参拝を済ませようと列に並ぶと、何やら左手に人だかりが。

 

「5時半でおしまいですよ~」

 

ほう・・・。

 

はい。わたくし人生で初めてだるまを買いました。

 

一番しゅっと鼻筋が通っているのを選んでもらい、帰ってから片方に黒目を入れてみると・・・。

 

お、お、おお~!

 

ぐわぐわっと迫力出てきた~。

 

なんだか今年は行けそうな気がする!!

 

今年はこれで勝負、がんばるぞ!!